親鳥と三羽の雛
西暦二一九二年三月二六日
「あのとき、機関室で起きていたことは——あなたの想像とは、少し違うかもしれない」
パーシング管理官の言葉に、背筋がぞくりとした。そのまま、彼女はゆっくりと視線を望月さんへ移す。
「その前に」
ひと呼吸、間を置く。
「あなたはまだお若いけど、十一年前の木星系の大災害について、どれくらい知っているのかしら?」
望月さんは、いつになく真剣な表情で頷いた。
「大災害があったことは知っています。信濃や星野艦長の名前も……でも、詳しいことは」
一度言葉を探す。
「報道されていた範囲くらいです」
ゆっくりと続けた。
「当時の人類では対応できない飛翔体が多数襲来したこと」
「輸送艦隊が対応して、信濃では行方不明者が出たこと」
「その代わり、コロニーや基地に避難していた民間人や科学者の命は救われたこと」
「行方不明になった方々は英雄として語り継がれていること……」
そこまで言ってから、少しだけためらいがちに僕を見る。
「……それから、それが星野君のご両親だったってことは、さっき知りました」
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
(英雄、か……)
けれど、僕自身も、映像を見る前は似たような認識だった。
「そうね」
管理官は静かに頷く。
「一般的な学院の学生でも、その程度の認識だと思うわ」
視線が、次にリアムへ向く。
「あなたは?」
リアムは少しだけ考え、答えた。
「正直に言って、付け加えるほどの知識はありません」
「重力子によって飛翔体の軌道が変更され、それが人類史上初めてだったこと」
「そして、最強とされた輸送艦の防壁が、完全ではなかったこと……思いつくのは、そのくらいです」
「ありがとう。さすがね」
管理官はわずかに微笑む。
「それに加えて——信濃のAIの貢献が大きかった、という点もあるわ」
「あ……それは失念していました」
リアムは軽く肩をすくめる。
「確かに、その通りです」
管理官はもう一度、小さく頷いた。
「作戦開始のとき——正直、私たち、割と楽観視していたの。信濃を傷つけるものが、太陽系内に存在するなんて……信じられなかったから」
管理官は、カップを指先でゆっくりと回す。
「実際、巨大な小惑星や彗星に、最高速度で正面衝突でもしない限り、船が沈むなんて、考えられなかったのよ」
静かな声だった。管理官は視線を落として、続ける。
「もちろん、計算では……飛翔体を防ぎきれない可能性が高いって、知らされてはいたわ。でも、心のどこかで……『まさか』って、思っていた」
僕たちは、誰も口を挟めなかった。ただ、黙って、その続きを待つ。やがて管理官は、顔を上げた。
「ところで——」
僕たち三人を順に見渡す。
「飛翔体が三波に分かれて飛来したのは、ご存知かしら?」
「はい」
「ええ」
「もちろん」
それぞれ短く答える。管理官は、小さく頷いた。
「私たちの希望は——第一波で、早くも打ち砕かれたわ」
その一言に、空気がわずかに重くなる。
「被害そのものは、想定の範囲内だった。でも……輸送艦が誇る防壁の“自動治癒”が、飛翔体に対しては、まるで役に立たなかった」
ゆっくりと首を振る。
「それでも、客員博士二人によるAIは、素晴らしかった」
管理官の声が、わずかに強くなる。彼女は一瞬だけ、僕の方を見る。
「そのうちの一人は……あなたのお母さんね」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
「新しい信濃は自動治癒を再開した。艦隊を、まるで自分の手足みたいに操作して——第二波でも、その被害を最小限に抑えた」
その光景を思い出しているのか、管理官の視線はどこか遠くに向いていた。ほんの少しだけ、口元が緩む。
「機関室もね……最初は沈んでいたけど、“やれる”って空気に変わっていったわ」
そう言って、管理官はカップを持ち上げ、ゆっくりと口をつけた。そして、少しだけ間を置く。
「でも……最後の第三波が来て、いよいよ万策尽きたと誰もが思ったとき、信濃は判断したの」
視線が、遠くへと向けられる。そして、声がわずかに低くなったような気がした。
「自らの質量で、最後の飛翔体の前に立ちふさがる。そして、重力子防壁を、瞬間的に最大出力まで引き上げる」
言葉が落ちる。部屋の空気が、ひとつ沈んだ。
「そのとき、艦長権限を持っていた信濃は、私たち乗組員に、最初で最後の命令を下したの」
管理官は呼吸を整える。
「『すべての任務を放棄して、ただちに隔壁へ避難せよ』って」
映像で見た光景が、脳裏によみがえる。
「……僕も、映像で見ました」
思わず口にしていた。
「父と母も、その命令を受けて、主艦橋裏の隔壁へ避難していました」
管理官は、小さく頷く。
「ええ……私たちも、それに従おうとしたわ」
視線を落とす。
「機関室の状態は、完全じゃなかったけど……“絶望的”ってほどでもなかった」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「出力は、まだ維持できると思っていたしね」
そこで、ふと顔を上げる。
「リアム」
呼びかけに、リアムがわずかに姿勢を正す。
「これは試験問題じゃなくて、ちょっとした俗語なんだけど、機関室って、人間で言うと何に例えられるか、知ってる?」
「心臓……ですね」
即答だった。
「他にも、艦橋を脳、主計室を胃に例えることがあります」
「そうね」
管理官は、ゆっくり頷く。
「航行にも、生命維持にも……それにAIの維持にも、機関が生み出す出力は、すべての基盤になる」
一瞬、言葉を切り、静かに続けた。
「だから、ローラ次席は、信濃に問いかけたの」
視線が、まっすぐ前を向く。
「『本当に、それが最善なのか?』」
さらに、言葉を重ねる。
「『信濃は優秀だけど、“手足”はない。私たちが、最後まで手足であるべきじゃないのか』って」
——その言葉が、静かに落ちる。
(機関室では……そんなやり取りがあったのか)
「信濃は、最後まで毅然としていたわ」
管理官の声は、静かだった。
「『もう、すべきことは残っていない。これで充分』って。それから——『ありがとう』って続けたの」
「すごい……ほんとに、信濃って……人間以上に人間みたいね」
望月さんが、小さく呟くと、管理官は、ゆっくりと頷く。
「ええ……そうね」
一瞬だけ、遠くを見る。
「私たち“三人娘”も、信濃と同じ意見だった。でも、ローラ次席だけは違った」
空気が、ぴんと張り詰める。
「『重力子防壁を最大出力にするなら、自分が残った場合と、隔壁へ避難した場合の作戦成功確率を、数字で示してほしい』って」
少し置いて続ける。
「『機関長なら、そうしたはずだ』って」
思わず、唾を飲み込む。確かに、僕が想像していた話とは全く異なっていた。全員が冷静そのものだ。
「最初、信濃は——その要求を拒否したわ。次席が婚約中だってことまで持ち出して」
一瞬だけ、言葉が止まる。
「それでも、ローラ次席は引かなかった。半ば無理やり、数値を引き出したの」
静寂が落ちる。
「それは——『ローラ次席が残る場合、成功確率は六二%から七四%に上昇する』という内容だった」
空気が、重く沈む。
「……十二ポイント」
リアムが、低く呟いた。
「そんなことが……あったんですね」
「ええ」
管理官は、短く答えた。
「でも——アニーが言ったの。『それなら、私が残る』って。『その場合、成功確率はどうなるのか』って」
わずかに視線を上げ、言葉を、ひとつずつ置くように続ける。
「私も、同じことを考えていたわ」
小さく息を吐く。
「だから……アニーの言いたいことは、痛いほど分かった」
そのあと、ほんのわずかに言葉を切る。
「ただ——信濃の答えは、残酷だった」
管理官は、ゆっくりと目を伏せた。
「私たちが残ったところで、成功確率は誤差レベル、ほとんど変わらない。仮に……ローラ次席以外の三人全員が残ったとしても」
言葉を絞り出すように。
「上がるのは、多く見積もって二ポイント」
その数字が、重く沈む。管理官の瞳が、わずかに揺れた。
「……私たちは、言葉を失った」
ぽつりと零す。
「自分たちで無理やり聞き出したのに——その答えを、受け入れられなかった」
唇を噛む。
「……その言葉を、呪ったわ。自分たちの未熟さが、これほど憎かったことはなかった」
空気が、痛いほど張り詰める。
「でも、ローラ次席は……ずっと、落ち着いていた」
その声は、どこか遠くを見ているようだった。
「そして、私たちの頭を——一人ずつ撫でたの。その瞳は、とても優しかった」
一瞬、言葉が途切れる。
「まるで……まるで、娘を嫁に出す母親のような少し寂しそうで優しい笑顔……」
その比喩が、静かに落ちる。
「……あの表情を、私は一生忘れない」
部屋の空気が、完全に止まる。望月さんの瞳は、すでに涙で滲んでいた。リアムも、顔を上げたまま動かない。言葉が、誰の口からも出てこない。
「それで……ローラ次席は、どうされたんですか?」
自分でも、よく分からないまま問いかけていた。その答えは、もう分かっているはずなのに。それでも、聞かずにはいられなかった。
管理官は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。そして、静かに開く。
「……残ったわ」
短い言葉だった。けれど、それだけで、すべてが伝わる。
「『それが最善なら、それでいきましょう』って」
その声音は、どこまでも穏やかだった。まるで——ただ、当たり前のことを選んだだけのように。部屋の中に、深い静寂が落ちる。
「私たちは——無力感に押し潰されながら、隔壁に入った」
管理官の声が、かすかに震える。ゆっくりと、言葉を落とす。
「そして、三人で……泣いたわ……涙が枯れるまで」
少しだけ間を置く。
「……あまりに、悔しくて」
誰も動かない。何も言えない。そんな中、僕はただ拳を握りしめていた。
何もできなかった自分たちの代わりに、すべてを背負って、残った人がいた。それが、どれほどのことなのか。
今なら、少しだけ分かる気がした。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。語学堪能な健啖家。
◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院の一年生(中等生)。感情表現は豊かだが、感情に流されない。机上の空論嫌い
◯カタリーナ・パーシング(女性)(34)(オーストリア)(164cm):第五軌道エレベータ静止軌道駅の管理官。十一年前は信濃の機関技師だった(旧名:カタリーナ・アドルフ)。
◎用語
◯国際宇宙学院:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関
◯静止軌道駅:軌道エレベータの静止軌道(高度約三万六千㎞)に浮かぶ施設。全長=約一六〇m、最大幅=約一一〇 m。総床面積=約一万八千㎡。常駐人員=五百人、最大滞在人員=千五百人。




