管理官の告白
西暦二一九二年三月二六日
案内されたのは、パーシング管理官の執務室だった。もちろん、これとは別に居住用の部屋もあるのだろうが、広さだけで言えば、学校の保健室ほどだろうか。
ただし、ここは無重力だ。壁も床も関係なく使われていて、空間は思った以上に有効に活用されているように見えた。
「どうかしら?思ったより狭いでしょ?」
管理官の問いに、物珍しそうに室内を見回していたリアムが答える。
「はい。私室は別にあるとはいえ、責任者の部屋ですから、もっと広いのかと思っていました」
望月さんも頷きながら、続けて口を開いた。
「あの……人工重力の設備は、この静止軌道駅には導入されないのでしょうか?」
「そうね。ここは無重力を前提にした実験施設も多いから、難しいって話だったのだけど――」
管理官は少し肩をすくめる。
「実験棟と居住棟で区分されているでしょう?居住棟の方には、すでに導入が決まっているの。しかも、全エレベータで配備される予定よ。どこの管理責任者も、きっと喜んでるんじゃないかしら」
その言葉に、望月さんの表情がわずかに明るくなる。だが、すぐに何か思いついたように、さらに質問を続けようと口を開いた。
——その前に。
「とりあえず、飲み物でも用意するわ。コーヒーでいいかしら?」
管理官が先に切り出した。全員が頷く。
「じゃあ、私もお手伝いします」
望月さんが申し出る。
「ありがとう。でも、ここの給湯設備は初めてだと少し難しいのよ」
柔らかく微笑んで、軽く首を振る。
「気持ちだけ受け取っておくわ」
そう言って、管理官は一人で奥へと向かった。
***
準備を終えた管理官が、コーヒーを運んできた。無重力用のストロー付きカップだ。液体は中でふわりとまとまり、ゆっくりと揺れている。それぞれ飲み物を受け取り、礼を言う。
「お待たせ。無重力でのコーヒーは、味よりも『こぼさないこと』に神経を使うのが難点ね」
ひと呼吸置いてから、管理官が口を開いた。
「それじゃあ、話すわね」
視線が、まっすぐ僕に向けられる。
「まずは——どうして私が、星野君のことを知っているのか……ね」
「はい、お願いします」
僕は思わず身を乗り出していた。ここに来た理由は、まさにそれだったからだ。
「そうね……」
管理官は一度、視線を落とす。
「十一年前、ガニメデで、あなたに会っているの」
(やっぱり)
胸の奥で、何かが静かに繋がる。
「間違っていたらすみません」
言葉を選びながら、口を開く。
「もしかして……航おじさん——朝比奈機関長の部下の“三人娘”の、お一人ですか?」
一瞬の間。そして、ぱっと表情が明るくなる。
「そう!よく覚えていたわね」
どこか嬉しそうに、頷く。
「星野君の言う通り、私は“お父さん”の下で必死に食らいついていた三羽のヒヨコの中の一羽だったわ」
ふっと、少しだけ遠くを見る。
「……それにしても、“三人娘”なんて呼ばれるのも久しぶりね」
「いえ、その……覚えていたわけではなくて……」
僕は首を振る。そして、遺族向けに公開された映像のことを説明した。同時に、事情を知らないであろうリアムと望月さんにも、十一年前の出来事について、簡単に触れる。
話を聞き終えた望月さんが、目を丸くした。
「えっ……ガニメデの事故のことは知ってたけど……」
視線がゆっくりと僕に向く。
「星野君のお父さんって、信濃の星野艦長だったの……?」
驚きが、そのまま声に滲んでいた。
「さっき、星野君は“三人娘”って言ったけど――」
管理官は、ふっと微笑む。
「当時、信濃の機関部にいた技師は三人とも女性で、年齢も近かったの。だから、とても仲が良かったわ」
少しだけ視線を遠くへ向ける。
「今でも、ときどき連絡を取り合っているのよ」
その声音は、どこか柔らかかった。
「二人とも、すごい実力だったから……私も必死だったわ」
小さく息を吐く。
「練習もしたし、勉強もした。時間があれば、“お父さん”やローラ次席に質問ばかりしていた」
懐かしむように、目を細める。
「二人とも、いつも優しく答えてくれたわ」
ほんの少しだけ、言葉を区切る。
「……最高の上司だった」
(ローラ次席……信濃と運命を共にした、次席機関士——)
「あの……」
少し迷ってから、決心して口を開く。
「聞いていいのか分からないんですけど……ローラ次席って、信濃と一緒に行方不明になった、ゴールドバーグ機関長代理のことですよね?」
その瞬間、管理官の表情がわずかに曇った。けれど、すぐに真っ直ぐな眼差しに戻る。
「ええ、そうよ」
一度だけ、静かに頷く。
「遺族向けの映像に、何か残っていたのかしら?」
「いえ……映像は僕の両親についてだけで」
首を振る。
「機関室のことは、後で航おじさんから少し聞いただけです。“とてもかなわない”って」
「……お父さん」
その名前を、噛みしめるように呟く。
「しばらく連絡を取っていないけど……会いたいわ」
短く息を吐き、視線を戻す。
「そう、機関室のことね」
ゆっくりと頷く。
「もちろん、話してあげなくちゃね」
そして、ふと周囲に目を向ける。
「ところで……リアムと望月さんに聞かれても、大丈夫?」
「僕は構いません」
即座に答える。リアムと望月さんも顔を見合わせ、小さく頷いた。それを確認すると、管理官は表面張力でカップの縁に張り付いたコーヒーを慣れた手つきで口に運んだ。
そして、静かに視線を遠くへ向ける。
「で、星野君は“映像では見ていない”ということで、いいのかしら?」
「はい。航おじさんから聞いているのは『機関長代理が三人をシェルターに押し込んで、自分は最後まで残った』ということだけです。おじさんも、その場にはいなかったので、細かいところは分からないと聞きました」
管理官はカップを握る手に力を込めた。沈黙が、重く沈んでいく。
「そうだったわね。お父さん、退去の指揮をしてたから……もちろん、その認識で大枠は間違ってないわ」
その一言に、わずかな違和感が混じる。
(……間違っていない?)
管理官はカップを持ったまま、しばらく沈黙した。
「でもね」
彼女が顔を上げた。その眼差しは、先ほどまでの柔らかな再会を喜ぶ女性のものではなかった。かつて地獄を見た、一人の生存者のものだ。
「あのとき、機関室で起きていたことは——」
一瞬、言葉を切る。視線が、僕を真っ直ぐに捉えた。
「あなたの想像とは少し違うかも知れない」
その言葉の響きは不穏なものだった。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院の新入生
◯望月凛(20)(165cm):国際宇宙学院の新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。
◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院の一年生(中等生)。感情表現は豊かだが、感情に流されない。机上の空論嫌い
◯カタリーナ・パーシング(女性)(34)(オーストリア)(164cm):第五軌道エレベータ静止軌道駅の管理官。
◎用語
◯静止軌道駅:軌道エレベータの静止軌道(高度約三万六千㎞)に浮かぶ施設。全長=約一六〇m、最大幅=約一一〇 m。総床面積=約一万八千㎡。常駐人員=五百人、最大滞在人員=千五百人。




