表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルテアの記憶  作者: 上井みるき
研鑽の記憶
PR
66/78

管理官の告白

西暦二一九二年三月二六日

 案内されたのは、パーシング管理官の執務室だった。もちろん、これとは別に居住用の部屋もあるのだろうが、広さだけで言えば、学校の保健室ほどだろうか。

 ただし、ここは無重力だ。壁も床も関係なく使われていて、空間は思った以上に有効に活用されているように見えた。


「どうかしら?思ったより狭いでしょ?」


 管理官の問いに、物珍しそうに室内を見回していたリアムが答える。


「はい。私室は別にあるとはいえ、責任者の部屋ですから、もっと広いのかと思っていました」


 望月さんも頷きながら、続けて口を開いた。


「あの……人工重力の設備は、この静止軌道駅(GEOステーション)には導入されないのでしょうか?」

「そうね。ここは無重力を前提にした実験施設も多いから、難しいって話だったのだけど――」


 管理官は少し肩をすくめる。


「実験棟と居住棟で区分されているでしょう?居住棟の方には、すでに導入が決まっているの。しかも、全エレベータで配備される予定よ。どこの管理責任者も、きっと喜んでるんじゃないかしら」


 その言葉に、望月さんの表情がわずかに明るくなる。だが、すぐに何か思いついたように、さらに質問を続けようと口を開いた。

 ——その前に。


「とりあえず、飲み物でも用意するわ。コーヒーでいいかしら?」


 管理官が先に切り出した。全員が頷く。


「じゃあ、私もお手伝いします」


 望月さんが申し出る。


「ありがとう。でも、ここの給湯設備は初めてだと少し難しいのよ」


 柔らかく微笑んで、軽く首を振る。


「気持ちだけ受け取っておくわ」


 そう言って、管理官は一人で奥へと向かった。


***


 準備を終えた管理官が、コーヒーを運んできた。無重力用のストロー付きカップだ。液体は中でふわりとまとまり、ゆっくりと揺れている。それぞれ飲み物を受け取り、礼を言う。


「お待たせ。無重力でのコーヒーは、味よりも『こぼさないこと』に神経を使うのが難点ね」


 ひと呼吸置いてから、管理官が口を開いた。


「それじゃあ、話すわね」


 視線が、まっすぐ僕に向けられる。


「まずは——どうして私が、星野君のことを知っているのか……ね」

「はい、お願いします」


 僕は思わず身を乗り出していた。ここに来た理由は、まさにそれだったからだ。


「そうね……」


 管理官は一度、視線を落とす。


「十一年前、ガニメデで、あなたに会っているの」


(やっぱり)


 胸の奥で、何かが静かに繋がる。


「間違っていたらすみません」


 言葉を選びながら、口を開く。


「もしかして……(こう)おじさん——朝比奈(あさひな)機関長の部下の“三人娘”の、お一人ですか?」


 一瞬の間。そして、ぱっと表情が明るくなる。


「そう!よく覚えていたわね」


 どこか嬉しそうに、頷く。


「星野君の言う通り、私は“お父さん”の下で必死に食らいついていた三羽のヒヨコの中の一羽だったわ」


 ふっと、少しだけ遠くを見る。


「……それにしても、“三人娘”なんて呼ばれるのも久しぶりね」

「いえ、その……覚えていたわけではなくて……」


 僕は首を振る。そして、遺族向けに公開された映像のことを説明した。同時に、事情を知らないであろうリアムと望月さんにも、十一年前の出来事について、簡単に触れる。

 話を聞き終えた望月さんが、目を丸くした。


「えっ……ガニメデの事故のことは知ってたけど……」


 視線がゆっくりと僕に向く。


「星野君のお父さんって、信濃の星野艦長だったの……?」


 驚きが、そのまま声に滲んでいた。


「さっき、星野君は“三人娘”って言ったけど――」


 管理官は、ふっと微笑む。


「当時、信濃の機関部にいた技師は三人とも女性で、年齢も近かったの。だから、とても仲が良かったわ」


 少しだけ視線を遠くへ向ける。


「今でも、ときどき連絡を取り合っているのよ」


 その声音は、どこか柔らかかった。


「二人とも、すごい実力だったから……私も必死だったわ」


 小さく息を吐く。


「練習もしたし、勉強もした。時間があれば、“お父さん”やローラ次席に質問ばかりしていた」


 懐かしむように、目を細める。


「二人とも、いつも優しく答えてくれたわ」


 ほんの少しだけ、言葉を区切る。


「……最高の上司だった」


(ローラ次席……信濃と運命を共にした、次席機関士——)


「あの……」


 少し迷ってから、決心して口を開く。


「聞いていいのか分からないんですけど……ローラ次席って、信濃と一緒に行方不明になった、ゴールドバーグ機関長代理のことですよね?」


 その瞬間、管理官の表情がわずかに曇った。けれど、すぐに真っ直ぐな眼差しに戻る。


「ええ、そうよ」


 一度だけ、静かに頷く。


「遺族向けの映像に、何か残っていたのかしら?」

「いえ……映像は僕の両親についてだけで」


 首を振る。


「機関室のことは、後で(こう)おじさんから少し聞いただけです。“とてもかなわない”って」

「……お父さん」


 その名前を、噛みしめるように呟く。


「しばらく連絡を取っていないけど……会いたいわ」


 短く息を吐き、視線を戻す。


「そう、機関室のことね」


 ゆっくりと頷く。


「もちろん、話してあげなくちゃね」


 そして、ふと周囲に目を向ける。


「ところで……リアムと望月さんに聞かれても、大丈夫?」

「僕は構いません」


 即座に答える。リアムと望月さんも顔を見合わせ、小さく頷いた。それを確認すると、管理官は表面張力でカップの縁に張り付いたコーヒーを慣れた手つきで口に運んだ。

 そして、静かに視線を遠くへ向ける。


「で、星野君は“映像では見ていない”ということで、いいのかしら?」

「はい。(こう)おじさんから聞いているのは『機関長代理が三人をシェルターに押し込んで、自分は最後まで残った』ということだけです。おじさんも、その場にはいなかったので、細かいところは分からないと聞きました」


 管理官はカップを握る手に力を込めた。沈黙が、重く沈んでいく。


「そうだったわね。お父さん、退去の指揮をしてたから……もちろん、その認識で大枠は間違ってないわ」


 その一言に、わずかな違和感が混じる。


(……間違っていない?)


 管理官はカップを持ったまま、しばらく沈黙した。


「でもね」


 彼女が顔を上げた。その眼差しは、先ほどまでの柔らかな再会を喜ぶ女性のものではなかった。かつて地獄を見た、一人の生存者のものだ。


「あのとき、機関室で起きていたことは——」


 一瞬、言葉を切る。視線が、僕を真っ直ぐに捉えた。


「あなたの想像とは少し違うかも知れない」


 その言葉の響きは不穏なものだった。


◎登場人物

星野(ほしの)(あきら)(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院アストリス・アカデミーの新入生

望月(もちづき)(りん)(20)(165cm):国際宇宙学院アストリス・アカデミーの新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。

◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院アストリス・アカデミーの一年生(中等生)。感情表現は豊かだが、感情に流されない。机上の空論嫌い

◯カタリーナ・パーシング(女性)(34)(オーストリア)(164cm):第五軌道エレベータ静止軌道駅(GEOステーション)の管理官。


◎用語

静止軌道駅(GEOステーション):軌道エレベータの静止軌道(高度約三万六千㎞)に浮かぶ施設。全長=約一六〇m、最大幅=約一一〇 m。総床面積=約一万八千㎡。常駐人員=五百人、最大滞在人員=千五百人。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ