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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
研鑽の記憶
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静止軌道での再会

西暦二一九二年三月二六日

(あきら)兄ちゃん、起きろー!』


 オカブの声で目を覚ます。時計は午前七時。軽く身体を起こし、足を床に下ろす——重さは、昨日と変わらない。ここがすでに高高度にあることを、身体はまるで感じさせなかった。


(……すごいな)


 加速も減速も、すべてが吸収されている。ただ、地上と同じ重力が、そこにあるだけだった。


 着替えを済ませると、端末を操作して朝食をオーダーする。


 しばらくして、小型リフトが静かに音を立て、朝食が運ばれてきた。トーストを中心とした、シンプルな洋食メニューだ。それを口に運びながら、同じ端末で今日の予定を確認する。


(アルテアの朝食と比べるのは酷だけど、それなりに美味しいな)


 静止軌道駅(GEOステーション)到着まで、あと二時間。

 少し身体を動かそうと思い、部屋のルームランナーに乗る。走り出すと、足音だけが静かに室内へ響いた。ここが宇宙だという実感は、まだどこにもなかった。


***


『着いたぞー』


 クライマーが減速を終え、定刻通りに静止軌道駅(GEOステーション)へ到着する。オカブは僕の声に反応するより早く、ぴょんと跳ねて旅行鞄の中へ飛び込んだ。


「はいはい、ちゃんと入って」


 荷物を整え、出口へと向かう。中央のリフトが稼働し、順番に乗客が降りていく。やがて僕の番が来て、一歩外へ踏み出した。

 思わず、足を止める。


 ——広い。


 サッカーコートよりも、ひと回りは大きい。それが、宇宙に浮かんでいる。


(ほんと、地上とはスケールが違うな……)


 視線を巡らせながら、僕はゆっくりと歩き出した。


***


 クライマーのハッチが開き、ステーションの中央ハブへと踏み出す。その瞬間、昨日まで僕を地面に繋ぎ止めていた重力が、嘘のように消え去った。手すりを掴む手に力を込めないと、身体が勝手に浮かび上がってしまう。そのまま、ゆっくりとクライマーから引き離されていった。

 ほどなく前方に視線を送ると、十五メートルほど先にいる男性に見覚えがあった。


(リアムさんだったかな……やっぱり、この便に乗ってたんだ)


 知っている顔を見つけて、少しだけ肩の力が抜ける。


「星野君」


 不意に肩をトントンと叩かれ、驚いて振り向く。


「あぁ!望月さん!やっぱり、合格されてたんですね」

「うん、お互い合格おめでとうだね。同じチームだったし、星野君のファインプレーのおかげだよ」

「いえいえ、それはお互い様ですよ」


 知った顔が増えたことで、胸の奥にあった緊張が少し和らいだ。

 やがて通路を抜け、係員に案内されるまま進んでいく。辿り着いたのは、教室ほどの広さの部屋だった。前方には巨大なスクリーンが設置されているが、それ以外には机も椅子もない。

 無重力の空間の中で、生徒たちは思い思いに動いていた。慣れた様子で壁を蹴って移動し、手すりでぴたりと止まる者。逆に、腕をばたつかせながら、まるで水の中のように進もうとしている者。


(……教室みたいだな)


 そう思っているのは、どうやら僕だけではなさそうだった。

 しばらくして、部屋には二十名ほどの学生が集まる。やがて、僕たちが入ってきたのとは反対側の扉が開いた。一人の女性が、静かに入室する。その瞬間、空気が変わった。


「ようこそ、静止ステーションへ」


 落ち着いた声が、無重力の空間に響く。


「私は本ステーションの管理責任者、カタリーナ・パーシングです」


 その名に、わずかにざわめきが走る。


「ここにいるのは、国際宇宙学院アストリス・アカデミーの学生となります。移動の途中で申し訳ありませんが、一度こちらに集まってもらいました」


 彼女は一度、周囲を見渡した。


「本ステーションでは、皆さんの通信端末をかざすことで、中枢部を除く大半のエリアに立ち入れるよう、権限を開放しています。クライマーが出発するまでの時間、見学や調査に活用してください。宿泊予定の学生は、右側の扉を抜けてください。五十メートルほど先に個室があります。荷物はすでに搬入済みです」


 一呼吸置いてから、続ける。


「それでは——星野(あきら)君を除いて、解散してかまいません」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「星野君は、この場に残ってください」


 パーシング管理官の説明を聞きながら頷いていたが、自分の名前が呼ばれた瞬間、思考が止まった。


(今、僕の名前、出たよな?)


 呆気にとられたまま言葉を失う。

 ふと視線を感じて横を見ると、望月さんが「なに、やらかしたの?」とでも言いたげな目でこちらを見ていた。反射的に首を横に振る。


(いや、ほんとに何もしてないって……)


 記憶を必死に辿るが、思い当たる節はどこにもない。

 そのとき、管理官がふっと視線を落とし、何かを思い出すように一瞬だけ考え込んだ。次の瞬間、ぱっと顔を上げる。


「——見つけた!」


 そう言ったかと思うと、彼女が壁を蹴った。真っ直ぐ、弾丸のような速度でこちらへ飛んでくる。避ける間もなく、衝撃と共に柔らかな香りに包まれた。


「えっ――!?」


 避ける間もなく、そのまま抱きしめられた。状況がまったく理解できない。ただ、その勢いのまま身体が持っていかれ、思考が追いつかないまま彼女に身を預けるしかなかった。

 反対側の壁が迫る直前、伸ばされた彼女の足が衝撃を吸収し、流れるような動作で手すりを掴んで静止した。まるで、無重力を完全に使いこなしているかのようだった。


「あなたが星野君ね?会いたかったわ!」

「え……あの……幼い頃に、お会いしたことが?」


 必死に記憶を手繰る。直接の記憶はない。だが、どこかで見たような——そんな感覚だけが残っていた。


「そうね。ほぼ初対面よ」

「ほぼ……ですか?」

「そう、ほぼ……ね」


 パーシング管理官は少しだけ目を細める。


「でも、すぐに分かったわ。お父さんの目元と、お母さんの口元——よく似ているもの」


 首を傾げた、そのとき。望月さんが不器用に身体をばたつかせながらこちらへ近づき、少し遅れて、リアムが滑るように同じ位置までやってくる。二人とも、帰らずに待っていてくれたらしい。そのことに、少しだけ安心する。

 パーシング管理官は僕の肩に手を置き、ゆっくりと身体を離した。そのタイミングで、リアムが一歩前に出る。


「ご無沙汰しております、パーシング先生」

「お久しぶりね、ハートリー君。半年ぶりかしら?」


 リアムは軽く敬礼を解き、どこか懐かしそうに彼女を見つめた。


「はい。先生が今の管理責任者とは驚きました。ところで――」


 ちらりとこちらを見る。


「私の可愛い後輩に、何か御用ですか?」


 管理官は三人に視線を配り、ふっと柔らかく笑った。


「ええ、少しお話がしたくてね」


 そう言ってリアムと握手を交わす。


「むしろ、あなたが星野君と知り合いだった方が驚きだわ」

「でしょ?とはいえ、知り合ったのは三日前、地上ステーションで……ですけどね」


 その言葉に小さく頷くと、今度は望月さんへと視線を向けた。


「お嬢さんは?」

「は、はじめまして。望月(もちづき)(りん)と申します。星野君とは同じ受験会場で……そのときから仲良くさせてもらっています」


 少し緊張しながらも、しっかりと答える。


「そう。はじめまして、望月さん」


 二人は軽く握手を交わした。そして再び、管理官は僕を見る。


「せっかくの自由時間に悪いのだけど、少しだけ時間をもらえないかしら?」

「あなたと、話がしたいの」


 その言葉に、頭の中の疑問符が一気に膨れ上がる。けれど——断る理由はない。


「ええ、ぜひ」


 僕が頷くと、リアムと望月さんが顔を見合わせ、小さく頷いた。


「それでは、我々もご一緒してよろしいでしょうか」


 リアムが代表して申し出る。管理官はすぐに頷いた。


「もちろん」

「ここでは落ち着かないわね。私の部屋に案内するわ。ついてきてちょうだい」


 そう言って、彼女は軽く壁を蹴り、滑るように移動する。僕たちは顔を見合わせてから、その後を追った。他の学生たちとは別の、彼女が入ってきた側の扉へ。その向こうへ、吸い込まれるように。

 何が起きているのか分からない。けれど——確実に、何かが始まろうとしていた。


◎登場人物

星野(ほしの)(あきら)(15)(166cm):主人公。国際宇宙学院アストリス・アカデミーの新入生

望月(もちづき)(りん)(20)(165cm):国際宇宙学院アストリス・アカデミーの新入生。主人公とはアカデミー入試の下見で出会った。

◯リアム・ハートリー(男性)(24)(179cm)(オーストラリア):国際宇宙学院アストリス・アカデミーの一年生(中等生)。感情表現は豊かだが、感情に流されない。机上の空論嫌い

◯カタリーナ・パーシング(女性)(34)(オーストリア)(164cm):第五軌道エレベータ静止軌道駅(GEOステーション)の管理官。


◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。(あきら)を兄、アルテアを姉と認識している。


◎用語

国際宇宙学院アストリス・アカデミー:宇宙船の乗組員を養成するための専門機関。


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