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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
旅立ちの記憶
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卒業証書授与式

西暦二一九二年三月十五日

 三月十五日。今日は卒業式だ。鏡の前で学生服の襟を正し、少しだけ深呼吸をしてから玄関へ向かう。


「じゃあ、行ってきます」

『はい、(あきら)様。お気をつけて』


 アルテアの、いつも通りの見送り——のはずだった。


(あきら)兄ちゃん』

「えっ」


 思わず足が止まる。ゆっくりと振り返ると、そこにはいつもの通学ドローン——オカブがホバリングしていた。

 いつもと同じオカブの声——それなのに、昨日までの無機質な口調とは、まるで違っていた。


「……え、オカブ?今、なんて……」

『今日は僕、ついて行ってあげられないけど——』


 オカブは空中で器用にくるりと一回転する。その仕草は、どこか楽しそうで——


『卒業式、がんばるんだよ!』


 弾むような声だった。僕は、一瞬言葉を失った。それから、ゆっくりと視線をアルテアへ向ける。アルテアは何も言わない。

 ただ、ほんの少しだけ——誇らしげに、僕を見つめていた。


***


 登校して教室に入ると、みんな少し浮き足立っていた。思い出話があちこちで始まり、笑い声が絶えない。

 普段は制服を着崩している級友も、今日はきちんと着こなしている。それがなんだか少し誇らしく、いつもより大人びて見えた。


 先生の合図で体育館へ移動する。入り口に整列し、扉が開いた瞬間——吹奏楽部の演奏が始まった。それが合図で、卒業生入場だ。

 校歌、国歌、卒業証書授与、そして退場の曲。吹奏楽部は、卒業生よりずっと忙しい。

 僕自身はというと、答辞があるせいで、ずっと緊張が続いていた。でも、冬華たちの演奏を聞いていると、それがまるで自分へのエールのように感じられて、なんとか落ち着くことができた。

 式は、滞りなく進んでいく。そして、ついにその時が来た。


『卒業生答辞。卒業生代表——星野(ほしの)(あきら)君』

「はい」


 僕は大きく返事をして立ち上がる。舞台に上がり、一礼して壇上に立った。視線を上げると、体育館いっぱいに人が見える。

 会場の最後方には吹奏楽部の後輩たちが座っていた。クラリネット担当の冬華は僕と視線が交わると、ニコニコしながら演奏席から手を振っている。

 少し前の保護者席には、(こう)おじさんの姿もあった。カメラを構え、こちらを撮影している。


 僕は深く息を吸った。吸い込んだ空気が冷たく、肺の奥まで引き締まるのを感じる。もう一度、会場へ向かって大きくお辞儀をする。そして原稿を広げ、ゆっくりと話し始めた。


「校庭の桜も(ほころ)び、間もなく満開を迎えるこの()き日に、私たち卒業生のために、このような式典を挙行していただき、誠にありがとうございます。

 先生方、来賓の皆様、保護者の皆様におかれましては、お忙しい中ご臨席いただきましたこと、卒業生を代表して心より御礼申し上げます。

 また在校生の皆さん、式典の準備や運営、本当にありがとうございました」


 体育館は静まり返っている。


「今、一年生や二年生の皆さんを見ていると、私たちが入学した日のこと、そして先輩方を見送った日のことを昨日のように思い出します。

 当時の先輩方は、私たちにとってとても頼もしく、大人に見える存在でした。今の私たちも、皆さんにとって、そんな存在になれていたでしょうか。もしそうであれば、とても嬉しく思います」


 僕は原稿を少しだけめくる。


「この三年間、本当に多くの出来事がありました。文化祭、体育祭、遠足、修学旅行——思い出を数え始めればきりがありません」


 少しだけ言葉を止める。


「そして、友人たちにも一言伝えさせてください」


 体育館の空気が、ほんの少し変わった気がした。


「私には両親がいません。十一年前、木星系を襲った大災害で二人とも亡くなりました」


 少しだけ視線を落とす。


「今でも、部屋で一人になると、寂しくないと言えば嘘になります」


(それでも……)


「それでも、学校にいる間、寂しい思いをしなくて済んだのは、クラスメイトのみんなのおかげでした。くだらない冗談で笑い合うとき。誰にも言えない悩みを抱えているとき。先生に叱られるとき。いつも、みんながそばにいてくれました」


 僕は少し顔を上げた。


「同級生でいてくれて、本当にありがとう。これからも、友達でいてください」


 原稿の最後のページを見つめる。


「四月から、私たちはそれぞれ、自分で選んだ新しい世界へと進んでいきます。私は国際宇宙学院アストリス・アカデミーへ進学することにしました」


 会場が、ほんの少しざわめく。


「これから先、今より寂しく感じることもあるでしょう。大変なこともあるでしょう。(つら)くて前に進めなくなる日もあるかもしれません」


(でも……)


「そんなときは、ここで過ごした日々を思い返したいと思います。そして、先生方や先輩方の言葉を心の糧とし、本校の卒業生であるという誇りを胸に、少しずつでも前に進んでいきたいと思います」


 僕はゆっくり顔を上げた。


「最後に、この場にいらっしゃるすべての皆様、既に学校を去られた先輩方や先生方に、改めて感謝を申し上げます。

 そして母校の発展を——来月からは、遠く宇宙の彼方からお祈り申し上げ、答辞とさせていただきます」


 原稿を閉じる。


「西暦二一九二年三月十五日 卒業生代表 星野(ほしの)(あきら)


 体育館の空気が、ほんの一瞬止まった。


 次の瞬間——大きな拍手が、会場いっぱいに広がった。


***


 柔らかな日差しの下、校庭は一気に賑やかになっていた。さっきまで厳かな空気に包まれていた体育館が嘘のようだ。

 校舎の階段や校庭のあちこちで、卒業生たちが端末を掲げて写真を撮り合っている。笑い声とシャッター音があちこちで弾けていた。


「星野!一枚撮ろうぜ」


 級友(クラスメイト)に呼ばれ、僕はその輪に加わる。肩を組まれ、レンズに向かって無理やり笑顔を作らされる。


「俺も入れて!はいチーズ!」


 誰かが言い、またシャッターが切られる。そのうちの一人が、ニヤニヤしながら僕の肩を叩いた。


「しかし星野、お前は出世頭確定だな。なんせエリート街道だもんな」

「やめてくれよ」


 僕は苦笑して首を振る。


「いやいや、中学から国際宇宙学院アストリス・アカデミーだろ?なかなかないって」

「サインもらっとくか?」

「だからやめろって」


 みんなが笑う。その笑い声の中にいると、少しだけ胸の奥が温かくなった。しばらくすると、先生の声が響く。


「では卒業写真を撮ります!全員、体育館前の階段に並んで!」


 三年間、何度も上り下りした階段に整列すると、写真係の先生が叫ぶ。


「はい、いきますよー!最高の笑顔で!」


 シャッターが切られた。それが終わると、再び自由時間のような空気になる。いつの間にか在校生も集まり、あちこちで端末同士をかざして連絡先の交換が始まっていた。


「卒業生って、来週から中学のアカウント使えなくなるんだろ?」

「そうだよ。俺の個人ID送っとくから登録してくれ」


 あちこちで、繋がりの糸を必死に結び直すような会話が聞こえる。僕も何人かと新しい連絡先を交換した。画面の中のリストが増えていくのを見ながら、少しだけ不思議な気持ちになる。

 三年間、毎日のように顔を合わせていた仲間たち。それなのに、これからは連絡先という細い電波の糸がなければ、気楽に話すことすらできない。しかも、僕が向かうのは月軌道——遥か三十八万キロの彼方だ。

 気軽に『またな』と会える距離ではないことを、僕は痛いほど自覚していた。


 春の風に乗って、笑い声とすすり泣く声が混じり合う。その賑やかな喧騒を背中で聞きながら、僕は校門の前で立ち止まった。

 三年間通い続けた学び舎を振り返る。そして、ゆっくりと深く頭を下げた。


(あきら)


 声に顔を上げると、そこには(こう)おじさんと春華おばさんが立っていた。さっきまで手にしていたカメラをしまったところらしい。

 二人とも、どこか誇らしげな顔をしている。


「お疲れさん。いい答辞だったぞ」

「本当にかっこよかったわよ、(あきら)君」


 僕は少し照れくさくて頭をかいた。


「ありがとうございます」


 (こう)おじさんが僕の顔を見て、ふっと笑う。


「送っていこうか?」


 いつもなら、たぶん甘えていただろう。でも今日は——僕はゆっくり首を振った。


「大丈夫です。今日は、ちょっと歩いて帰ろうと思います」


 航おじさんは一瞬だけ僕を見つめ、すぐに頷いた。


「そうか」


 それ以上は何も言わない。その代わり、軽く肩を叩いた。


「気をつけて帰れよ」

「はい」


 僕はもう一度だけ校門を振り返った。校庭では、まだ写真を撮る声や笑い声が聞こえている。その音を背中に受けながら、僕は歩き出した。いつも一緒のオカブも今日はいない。

 中学生としての最後であり、そして一人きりの帰り道。この三年間を思い返しながら、まるで道路の感触を確かめるように、一歩ずつ踏みしめて歩いた。


◎登場人物

星野(ほしの)(あきら)(15)(166cm):中学三年生(卒業生)

朝比奈(あさひな)冬華(ふゆか)(13)(155cm):中学一年生。(あきら)とは幼馴染兼彼女。

朝比奈(あさひな)(わたる)(51)(181cm):冬華の父。(あきら)の父と親友だった。

朝比奈(あさひな)春華(はるか)(46)(155cm):冬華の母。(あきら)の母と親友だった。


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