音声トラック【輸送艦<信濃>・伝言室】
『音声データの復元、ならびに再生を開始します』
アルテアの声が静かに響く。深海の底から気泡が弾けるようなノイズが走り、次の瞬間、その奥から低く落ち着いた声が聞こえてきた。
***
『……今、信濃の伝言室にいる』
お父さんの声だ。
『ここは録画も録音もされない。誰にも聞かれることもない場所だ。今は特別に、信濃に会話を許可している状態にしている』
ほんのわずかな沈黙。遠くで艦の振動のような低音が響いている。
『木星系を襲った“カサンドラ”の最終第三波が、間もなく到達する。その前に、現時点で——おそらく人類最高の知能を持つAI、“信濃”に質問をしようと思う』
信濃が応じる。
『なんでしょうか?』
父が続ける。
『私は当初から、ずっと気になっていることが一つあった』
父の声は、いつもの冷静な艦長の声だった。
『つまり、これが——“天災”なのか、“人災”なのか……だ』
わずかな沈黙。スピーカーからは、重力防壁が軋むような金属音と、艦の心臓部が悲鳴を上げる低い震動が、地鳴りのように絶え間なく響いている。
『……分かりました。解析を開始します』
『頼む』
少しの間のあと、父の声が再び響いた。
『以後、これは輸送艦“信濃”艦長、星野渉からの最後のメッセージとなる』
『この記録を開封できたのは、いつの時代だろうか』
軽く咳払いを一つして、続ける。
『そして——それを聞いているのは、誰だろうか』
艦の振動が、少しだけ強くなる。
『私はこれが天災であることを望んでいる。しかし、もし、これが人災であるなら——この悲劇が繰り返される前に、この記録が届くことを願う。そして、それを防ぐことができる立場にあるなら——』
ほんのわずか、父の声が柔らいだ。
『どうか最善を尽くしてほしい……そう願っている』
***
数秒の無音のあと、再び信濃の声が響いた。
『解析結果は、モニターを通して星野艦長へ報告しました。私の解析では——この現象は、ほぼ確実に人為的なものです』
僕は思わず息を呑む。
『理由を説明します』
『第一に、自然起源の小天体群であれば、軌道は重力散乱による確率分布に従います。しかし今回観測された群体は、自然現象にしては整い過ぎています。特に中心の物体は、まるで“ストレンジレット類似物質を通常小惑星が護衛している”かのような配置を示しています』
『第二に、三波に分かれて襲来する構造です。このような段階的衝突は、自然現象というよりも兵器による攻撃パターンに近いものです』
『第三に、未知物質である“ストレンジレット類似物質”そのものが、軍用物質として都合が良すぎることです』
『それぞれ単独であれば、偶然と説明することも可能でしょう。しかし、この三つが同時に成立しています』
『以上より、この現象は人工的に発生した可能性が極めて高いと判断します』
『“カサンドラ”の軌道を逆算した結果、起源はエッジワース・カイパーベルト付近と推定されます』
『推定座標は——』
数字がいくつか読み上げられる。
『ストレンジレット類似物質が、どのように生成されたか特定するには時間が足りません。しかし、この座標周辺には何らかの人工施設——つまり“基地”または“工場”が存在する可能性が高いと私は推定します』
『そして、それが発見された時、私の推定は確証に変わるでしょう』
数秒の沈黙——そして、信濃の声の調子がわずかに明るくなった。
『ここからは、私からのメッセージです』
『この記録を解読できた知性は、おそらく私より優れたAIでしょう』
『願わくば——』
ほんのわずかな間。
『私が慕う星野艦長や星野博士と同じ立場』
『同じ価値観』
『そして、同じ正義感を持つ知性であることを、心から願っています』
(“心から”……か……)
***
『復元したメッセージは、以上で全てとなります』
アルテアの声が静かに告げた。僕はしばらく、言葉が出てこなかった。さっきまで聞いていた声——父の声と、信濃の声が、まだ部屋の空気に残っているような気がする。
僕は重い口を開く。
「なるほど……」
自分でも情けないくらい、弱い声だった。
「アルテア」
『はい』
「僕は……どうしたらいいと思う?」
ほんのわずかな沈黙。アルテアは、慎重に言葉を選ぶようにして答えた。
『……申し訳ありませんが……今の晶様は、アカデミー入学前の普通の中学生です。物理的な能力も、社会的な発言権も持ち合わせていません』
少しだけ間を置く。
『つまり、この問題に対して、今すぐ出来ることはありません』
僕は苦笑した。
「……それはそうなんだけどさ」
分かっている。そんなことは、僕だって分かっている。それでも、聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、この情報は……誰かと共有した方がいいのかな?」
アルテアは、すぐには答えなかった。数秒ほど沈黙が続く。いくつもの可能性を計算しているのかも知れない。やがて、静かな声が返ってきた。
『難しい問題です。この情報は、人類社会にとって極めて重大な内容を含んでいます』
少しだけ声を落とす。
『もし拡散すれば、社会的混乱を招く可能性があります』
僕は黙って聞いていた。
『また、信濃お姉様の推理が正しく、“カサンドラ”が人為的な現象である場合、“犯人”はその事実を知られることを望まないでしょう』
背中が少し寒くなる。アルテアは続けた。
『したがって、共有するにしても慎重であるべきです。絶対に盗聴される可能性がない場所で、そして最小限の人数に限定することを推奨します』
僕は小さく息を吐いた。
「最小限……」
『はい』
アルテアは、はっきりと言った。
『例えば——朝比奈航様』
その名前を聞いて、僕はゆっくり頷く……この後、お互いの沈黙は長く続いた。
***
「最後に一つだけ、いいかな?」
僕は画面から目を離さずに言った。
『なんでしょうか?』
アルテアはいつもの静かな声で応じる。
「この音声を聞く前に言ってたよね。“一点だけ説明のつかない点がある”って」
『はい』
少し間を置いてから続けた。
「それって何?」
アルテアはすぐには答えなかった。ほんの数秒、沈黙が続く。
『それは、晶様が見つけた——“不自然な編集”についてです』
僕は首を傾げた。
「それは、アルテアが言った通りじゃないの?お父さんや信濃の解析をしてほしいから、わざと気づくようにしたって」
アルテアは、静かに問い返した。
『では、“不自然な編集”を行ったのは、渉様、あるいは信濃お姉様でしょうか?』
「それはないな……」
僕はすぐに首を振った。
「時系列が違う。映像の編集が行われたのは、あの事故のずっと後だよね?」
『その通りです』
アルテアは続ける。
『では、その編集者は、渉様や信濃お姉様のメッセージ内容を知っていたと思いますか?』
僕は少し考えた。
「それも……ないと思う」
父のメッセージも、信濃のメッセージも、あれだけ厳重に隠されていた。今のアルテアをもって、ようやく見つけたのだ。
「これを解析できたのは、たぶんアルテアが初めてじゃないかな?」
そこまで言って、僕はふと気づいた。
「……あれ?」
アルテアが静かに言う。
『お気づきになられましたか?』
僕はゆっくりと言葉を探した。
「うん……つまり……編集した人は、メッセージの内容を知らない。そもそも——」
僕は画面を見つめた。
「メッセージが入っているかどうかすら、分からなかった可能性があるってこと?」
『その通りです』
アルテアの声は穏やかだった。
『編集者は、お父様や信濃お姉様の記録に何か違和感を覚えた……または、何かあると直感した。しかし真相までは辿り着けなかった。だからこそ——』
ほんのわずか、間を置く。
『引っ掛かりだけを残した』
僕はゆっくりと頷いた。
「つまり……誰かが、“何かあるかも知れない”と思って……でも、それが何かは分からないまま、未来の誰かに託したってことになるね」
『はい』
アルテアは静かに言った。
『それが、私の言う“説明のつかない点”です』
部屋に沈黙が落ちる。窓の外では、夜の街が静かに瞬いていた。父は未来へメッセージを残した。信濃もまた、未来の知性へ語りかけた。
そして——もう一人。
名前も分からない誰かが、ただ一つの引っ掛かりを残していった……
画面の向こうに広がる宇宙は、何も知らない顔で静かに広がっていた。だけど、そのどこかに——まだ誰も知らない真実が、確かに存在している。それだけは間違いない。




