記録の底流
西暦二一九二年二月二五日
翌朝。目を覚ますと、まだ外は薄暗い。時計を見ると、午前六時前。土曜日にしては我ながら早起きだ。
(昨夜、アルテアがデータ解析を続けてたけど……大丈夫だったのかな)
少し気になって、ベッドから体を起こす。
「アルテア?」
呼びかけると、すぐに声が返ってきた。
『あっ、晶様。おはようございます』
いつもの落ち着いた声だ。
『今朝はお早いのですね。まだ朝食の準備ができていませんので、もうしばらくお待ちいただけますか?』
「いや、それはいいんだけど……大丈夫?」
『大丈夫、とは?』
「ほら、データ解析。夜通しやってたみたいだけど……」
一瞬だけ間があって、アルテアが答える。
『ああ、遺族向けデータの解析ですね。はい、すでに完了しています』
少しだけ楽しそうな声だ。
『やはり、気になりますか?』
「気になるっていうか……」
僕は少し肩をすくめた。
「アルテアが心配だっただけ」
すると、アルテアは小さく笑って、力こぶのポーズをする。
『私は疲れませんので、大丈夫ですよ』
それから、少し柔らかい声になる。
『ですが、そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます』
「そっか」
僕は軽く伸びをする。
「じゃあ、僕の朝食は自分で作るから。せめて、アルテアは休んでてよ」
アルテアが少し驚いたように目を瞬かせる。
『晶様が……ですか?』
「トーストとベーコンエッグくらいなら作れるから」
そう言ってキッチンへ向かうと、アルテアは少しだけ困ったように、でも嬉しそうな声で応える。
『では……お言葉に甘えます』
トースターにパンを入れ、電磁調理器の電源を入れる。いつもと少しだけ違う土曜の朝は、静かに始まった。
***
食後のコーヒーを飲みながら、僕はアルテアの向かいに座っていた。窓の外では、朝の光がゆっくりと街を照らし始めている。静かな土曜日の朝——けれど、僕の頭の中は解析のことで埋まっていた。
「それで、どうだった?」
カップを置きながら聞く。
「実はさ、トラック一で二ヶ所だけ“不自然な編集”があったんだ。何か関係ある?」
アルテアは小さく頷いた。
『確かに、編集と思われる痕跡が数ヶ所確認されました』
「数ヶ所……」
思わず呟く。僕が気づいたのは二つだけだった。もしかしたら、他にも見逃していたのかもしれない。アルテアは静かに続けたが、その内容は意外なものだった。
『ですが、そちらは私の言う“不自然な構造”とは異なるものです』
「……え?」
僕はカップを持つ手を止める。
「じゃあ、僕が見つけたのは——」
『偽装』
アルテアが言葉を補った。
『解析開始当初、私もその可能性を考えました』
アルテアは少しだけ視線を落とす。
『ですが、それは誤りだったと、今は考えています』
「ん?どういうこと?」
僕は身を乗り出す。アルテアはゆっくりと答えた。
『つまり、それは“この動画に何かある”と思わせるための——きっかけのようなものではないかと私は考えています』
「きっかけ?」
『はい』
アルテアは頷いた。
『つまり、真相を編集で消すためではなく、その逆です』
僕は思わず言葉を繰り返す。
「逆……」
『こう言ったら分かりやすいでしょうか?もし、晶様が見つけた“不自然な編集”が存在しなかった場合』
アルテアは静かに問いかけた。
『晶様は、果たして私に解析を依頼されたでしょうか?』
一瞬、考える。そして、首を横に振った。
「……いや」
たぶん、気にも留めなかった。
「なるほど……そういうことか」
僕は小さく息を吐いた。
あの編集は、真実を隠すためではない。
むしろ——気づかせるためのもの。
『ただし、私の仮説でも、一点だけ説明のつかない点が残ります』
「謎ってこと?」
『はい。ただ、それついては一旦保留にしても問題ありません。まずは、こちらをご覧ください』
「お願い」
アルテアが映像を再生する。
『今回の解析では、映像信号そのものではなく——映像に含まれている情報を重点的に確認しました』
「つまり、この映像を遺族向けに編集した人が隠したわけじゃないってこと?」
『その通りです』
映像が止まる。それは、信濃の艦橋。総員退去直後からのものだった。副コンソールに赤い文字が並んでいる。
『晶様は、この場面を覚えていらっしゃいますか?』
「分かるよ。防壁の出力が落ちてたところだよね?」
『はい。ですが、こちらをご覧ください』
アルテアが画面を拡大する。副モニターのログが、一行ずつ強調表示された。
SHIELD GRID OUTPUT : 64%
MAIN POWER LOAD : 40%
そして——
ANOMALY CLASSIFICATION : ARTIFICIAL SOURCE
僕は、しばらく画面を見つめた。
「分類が人工?……どういうこと?」
喉の奥が、砂を噛んだようにザラついた。アルテアは静かに答える。
『直訳すると——』
『異常現象の分類:人工起源』
僕の背筋が、ひやりとした。
「つまり?」
『はい。“カサンドラ”と名付けられた飛翔体は自然現象ではなく、人為的な原因による可能性が高い、という意味です』
(お父さんとお母さんは“殺された”可能性があるということ?)
「ちょっと待って」
僕は画面を指さす。
「これ……信濃が出したログだよね?」
『その通りです』
アルテアは続ける。
『この現象が自然のものではない可能性に、すでに気づいていたと考えられます』
「でも……」
僕は腕を組んだ。
「なんで信濃は、急にこんなログを出したんだろう。それに、艦長であるお父さんは、そのことに触れてないよね?」
『ここから先は推測になります』
アルテアは続ける。
『映像を確認すると、渉様は通常、信濃に対して口頭で指示を出していました』
「うん、確かに」
『しかし、総員退去の後——つまり乗組員が減少してからは、キーボードによる入力が増えています』
言われてみれば、その通りだった。あの場面でも、父はコンソールに向かって必死にキーを叩いていた。
「忙しかったから、じゃないの?」
『その可能性もゼロではありません』
アルテアは首をわずかに傾ける。
『しかし、信濃クラスのAIであれば、緊急時であっても口頭指示の方が遥かに迅速です』
僕は思わず呟いた。
「……わざと、口頭を使わなかった?」
『その可能性が高いと考えられます』
「どうして?」
『口頭での会話は、すべて記録に残ります』
アルテアは淡々と説明する。
『遺族向け記録であれ、事故検証用であれ、音声データは誰の目にも触れる可能性があります……最悪、事故を仕組んだ“誰か”にも。もし、この現象が人為的なものであると口頭で断定してしまえば——』
そこで言葉を切った。
『その記録は、後から改竄、あるいは削除されるかも知れません。ひょっとして、証拠ごと消されてしまうことすら、ありうるでしょう』
僕は息を呑んだ。
「つまり……」
『渉様は、誰にも知られない形で信濃に解析を行わせていた可能性が高いと思われます』
僕はゆっくりと言った。
「……この惨劇が、本当に自然現象なのかどうか」
アルテアは小さく頷いた。
『その通りです』
そして、ほんのわずかに声の調子を変える。
『そして——ここからが、本当に伝えたかったデータとなります』
「えっ?」
思わず声が裏返る。
「あの一行のメッセージじゃなくて?」
『はい』
アルテアは落ち着いた声で続けた。
『続きの映像をご覧ください』
画面が切り替わる。
ログ表示のあと、副モニターには艦内外の映像が次々と映し出されていく。破損した通路、火花を散らす配線、揺れる格納庫。どれも、あのときの戦いの記録にしか見えない。
僕は画面を見つめながら首を傾げた。
「だいぶダメージを受けてるね……このダメージが関係あるの?」
『いいえ』
アルテアは静かに否定する。
『ダメージそのものは関係ありません』
そして、画面の一部を拡大した。
『この画像そのものに、情報が埋め込まれています』
「埋め込まれている……?」
一瞬、意味が理解できなかった。アルテアが説明を続ける。
『ステガノグラフィーという言葉をご存知ではありませんか?』
「あっ」
思わず声が出た。
「聞いたことある。情報隠蔽の技術だよね?」
『はい』
アルテアは頷く。
『二〇世紀から存在する技術です。レベルは大きく異なりますが、原理は同じです』
画面の解析結果が次々と表示されていく。数値の列、ビットパターン、復号のログ。
『こちらの画像の下位ビット領域に、非常に高度な暗号化データが埋め込まれていました』
アルテアは静かに言った。
『解析の結果——これは音声データである可能性が極めて高いと判明しました』
僕は思わず息を呑む。
「音声……?」
つまり。あのとき——
信濃は、ただログを残しただけじゃない。未来の誰かに向けて、声を残していたということだ。
僕は画面を見つめたまま言った。
「……復元できるの?」
アルテアは一瞬だけ考えるように沈黙した。
『正確に申し上げますと——』
そして、いつもの落ち着いた声で続ける。
『この暗号化は、信濃と同等、もしくはそれ以上の解析能力を持つ知性が現れるまで解読されないことを前提としている可能性が高いと思われます』
僕は目線を上げ、アルテアを見つめる。
「つまり……未来の誰かに向けたメッセージ?」
『おそらく、そのような意図でしょう』
アルテアは頷く。
『信濃は、自分が残す記録が改竄される可能性を想定していたはずです。ですから、当時の技術では容易に解析できない形で情報を埋め込んだのだと思われます』
僕はゆっくりと息を吐いた。未来の誰か。それはきっと、僕じゃないはずだった。
「……でも」
僕はアルテアを見る。
「君は解けたんだね?」
アルテアは、少しだけ照れたように、そして誇らしげに微笑んだ。
『はい——信濃お姉様の想定を少しだけ上回ったようですね』
部屋の空気が、重力が増したかのように静かに揺れる。飲みかけのコーヒーから立ち上る湯気が、朝の光に透けていた。
十一年前。父と母が生きていた、最後の数分間。巧みに画像に織り込まれ、編集者や検閲の目を潜り抜け、時を止めて眠り続けていた“真実の声”が眠っている。
僕は膝の上で拳を握り、ゆっくりと頷いた。
「……聞かせて、アルテア」
『はい……音声データの復元、ならびに再生を開始します』
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。中学三年生。両親を十一年前の木星系での惨劇で失っている。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。




