浮かび上がる異変
西暦二一九二年二月二四日
金曜日の放課後。来週から一年生と二年生は学年末試験が始まるらしく部活は無し。冬華から「一緒に帰ろう」と連絡があったので、久しぶりに並んで下校している。もちろん、オカブとミラも一緒だ。
「うー、来週からの試験、あんまり勉強できてないよぉ。週末は晶君と一緒に過ごしたかったのに……」
「冬華、成績いいじゃん。三年は受験大変だけど、学年末試験ないから助かったよ」
「うらやましいよ。私、もうちょっと英語がんばらないと」
通い慣れた通学路を歩く。いろんな気持ちを抱えて通った道だが、この道を歩く日も、もう多くはない。そう思うと、少しだけ胸が締めつけられる。
「少し遠回りだけど堤防道路から帰らない?通学路だから校則違反じゃないし」
『了解!変更ルートヲアルテアヘ連絡シマス』
オカブは素早く反応する。
「いいね!そうしよ!」
『それは名案だね』
冬華とミラが息のあった双子のように声を揃える。実際、晴れた日の帰り道は、よく川の堤防を通る。見晴らしがよくて、暖かな日は風も心地良い。冬華は歩きながら、ちらっとこちらを見て言った。
「腕を組むべきか、手を繋ぐべきか……それが問題だ」
「なんなんだよ、その二択。シェイクスピア先生に申し訳ないよ」
「あぁ晶、あなたはどうして晶なの?」
「どうしてもこうしても、昔っからだよ」
「あはは」
久しぶりの一緒の下校で、冬華はやけに楽しそうだった。
***
「へえ、アルテアってパワーアップしたんだね」
堤防道路を降り、いつもの通学路に合流した頃、冬華が興味深そうに言う。
「うん。最初はちょっと不安だったんだけどさ」
僕は少し考えてから続けた。
「でも、思ったほど変わってないかな。料理の味付けが本格的になったのと、口調が人間と区別できないくらい自然になったのと……あと」
「あと?」
「なんていうのかな……」
少し言葉を探す。
「『僕のこと好きなんだな』って感じが、すごくする」
冬華がぴたりと足を止めた。
「むむむ……恋のライバルが意外なところに」
「いやいや、家事用ロボットだから」
「でも、それだけ人間っぽくなったってことだよね?さすが、私が“雑草ではなく麦”だと見込んだだけのことはある」
「あはは」
僕が笑って返すが、逆に冬華は少し考え込むような顔をする。
「それだけ賢くなったんなら、いろんなことできるんじゃない?」
「どういうこと?」
僕が真顔で聞き返すと、冬華は少し得意そうに言った。
「初詣のときのこと、覚えてる?」
「冬華ん家でおせち料理いただいたときだよね。もちろん」
「そうそう。私のこと家族って言ってくれてたから、すごく印象に残ってるんだけど」
「ああ、そうだったね」
「あのときさ、映像メモリの話してたでしょ?怪しいところがあるとかなんとか」
その言葉で、記憶がふっと蘇る。
「思い出した」
僕は小さく笑った。
「よく、覚えてたね」
冬華は肩をすくめる。
「私、あれ、ちょっと気になってたんだよね」
そして、少しだけこちらを見上げた。
「もしかして、今のアルテアなら、何か分かるんじゃないかな?」
その言葉を聞いた瞬間、僅かだが手がかりが見つかったような気がした。
***
夕食と風呂を済ませると、僕は自分の部屋でくつろいでいた。週末の夜は、いつもより少し時間の流れがゆっくりしている。
アルテアがトレイを持って部屋に入ってきた。湯気の立つホットミルクと、焼きたてのクッキー。野菜や果物を練り込んだ、アルテア特製のものだ。
「ありがとう」
僕はクッキーを一枚つまむ。さくっと軽い音がして、甘い香りが広がった。アルテアは静かに僕を見つめている。
「そういえばさ」
クッキーをかじりながら、僕はふと思ったことを口にした。
「アルテアって、すごく人間っぽくなったよね」
『ありがとうございます』
アルテアは少し嬉しそうに答える。
「演算能力というか……性能も上がってるの?」
『もちろんです。ただ、アルゴリズムも大幅に変更されていますので、単純な数値で比較するのは難しいのですが』
僕はミルクのカップを手に取りながら、少し黙り込んだ。
「……」
『どうかなさいましたか?』
アルテアが首をかしげる。
「実はさ、半分くらいはアルテアも知ってると思うけど……」
僕はゆっくり話し始めた。
先日まで見ていた遺族向けのデータのこと。
その中に、途中で不自然に編集されたような箇所がいくつかあったこと。
下校中に何度か感じた監視のような視線。
アカデミー受験の帰り道、アルテアの機転に助けられたこと。
そして——。
ステラー・ソムナス研究所のルシアン・ケイという謎の男。
彼が残した“最初のSD”という意味不明な言葉。
それらを一つずつ、できるだけ正確に説明していく。
それぞれがバラバラの出来事なのか。それとも、どこかで繋がっているのか。いくつかは、僕の気のせいなのか。思いつく限りのことを、全部アルテアに話した。
話し終えると、部屋に少しだけ静かな時間が流れた。アルテアは少し考えるように目を伏せ、それから顔を上げた。
『なるほど』
落ち着いた声で言う。
『よくお話しくださいました。情報を整理しながら、私なりに解析してみます』
「助かるよ」
僕はほっとして言った。アルテアは続ける。
『遺族向けデータは、晶様以外の視聴が禁止されています。閲覧許可をいただけますでしょうか?』
「もちろん」
僕は頷き、机の上に置いてあった映像カードを手に取ると、認証部分に親指を当てた。小さな電子音が鳴る。
「アルテアの視聴制限を解除する」
カードのロックが解除されると、アルテアはすぐにデータの読み込みを開始した。机の上に置かれた映像カードが、かすかに光る。
『解析を開始します』
「頼むよ」
僕はベッドにもたれながら、残っていたクッキーを一枚つまんだ。夜は静かで、部屋には小さな電子音と時計の秒針の音だけが響いている。アルテアは動かない。けれど、その内部では膨大な計算が進んでいるはずだった。
数秒……数十秒……そして——。
『……』
アルテアが、ふいに僕の方に顔を向けたのに気付いて、僕も目線を合わせる。
「アルテア?」
アルテアは映像カードを再び見つめ、わずかに首を傾けた。まるで、人間が何か理解できないものに出会ったときのような仕草だ。
『晶様』
「どうした?」
ほんの一瞬、沈黙が落ちる。それから、アルテアは静かに言った。
『このデータには——』
言葉が、そこで途切れる。アルテアの瞳の光が、ほんのわずかに強くなった。
『……不自然な構造を検出しました』
僕は思わず体を起こす。
「不自然?」
アルテアはゆっくり頷いた。
『はい。ですが——』
また、言葉が止まる。そして。
『これは、単なる編集では無さそうです』
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。アルテアは映像カードから視線を外さないまま、静かに続ける。あの映像の中には、まだ僕の知らない何かが隠されているらしい。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。中学三年生。
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学一年生、晶の幼馴染兼彼女。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。
◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。グレーで無骨。
◯ミラ:冬華の通学補助用ドローン。赤くて丸っこい。可愛らしい声で話す。




