僕の遺言
西暦二一九二年二月一八日
今日はアカデミーに落ちていれば高校を受験する日。大半の同級生もそうだ。その受験からは解放されたはずなのに、僕は今、机の前で頭を抱えていた。その原因は、そう——卒業生代表の答辞、これだ。
「文面、全然浮かんでこないな……」
画面を睨みながら、ふと隣に立つアルテアを見る。
「アルテア、代わりに——」
『ダメです。ちなみに、この判断に〇.一秒を費やしました』
「即答……」
アルテアは、なぜか得意げだ。
『それは晶様のお言葉でなければ意味がありません』
「ぐ……」
文字通り“ぐうの音”も出ない。僕は椅子の背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。
「はあ……アカデミーの入試より難しいよ」
アルテアは何も言わず、ただ嬉しそうに僕を見つめていた。
***
カメラの角度を少し調整する。
「カメラよし、マイクOK、ネットワークは……」
一つずつ声に出して確認していく。最後に、市役所で受け取った遺言カードを机の上に置いた。カードは、淡い青い光を静かに放っている。
いよいよ、遺言の記録だ。
「一応、文面は書いてあるし……読みながらでいいかな」
両親も、遺言の部分は原稿を見ながら話していたような気もした。そう思うと、少しだけ気が楽になる。
けれど——遺言を書いているときも、こうして録画しようとしている今も、正直なところ全く実感がない。
「お父さんやお母さんも、きっとそうだったんだろうな」
遺言を書いたとき、二人は死ぬつもりなんて微塵もなかったはずだ。それでも、残した。だから僕も残す。
「……よし」
小さく気合を入れ、アルテアを見る。
「アルテア。遺言を記録」
『承知しました』
「最初に、哲平じいちゃんと早苗ばあちゃんへ」
『確認しました。星野晶様から朝比奈哲平様と朝比奈早苗様への遺言を記録します』
ピッ。
短い音とともに、カードの光が赤に変わった。僕は、カメラをまっすぐ見た。
「哲平じいちゃん、早苗ばあちゃん」
言葉を探しながら、ゆっくり話す。
「祖父母の居ない僕にとって、二人は本当のおじいちゃんとおばあちゃんでした」
縁側で並んで座って、のんびりおしゃべりした時間を思い出す。
「誕生日プレゼントの肩たたき券も、お手伝い券も……まだ残ってるよね」
少し笑ってしまう。
「全部使う前にいなくなっちゃって、ごめんなさい」
胸の奥が、少しだけ痛む。
「でも、僕が宇宙船の操縦士になりたいって言ったとき、二人が応援してくれて……すごく嬉しかった」
僕は一度だけ深く息を吸った。
「もしこれを見ているときに、万が一、航おじさんや春華おばさんに何かあったら……後のことは、お二人にお願いします」
ボタンを押す。
ピッ。
カードの光が青に戻った。
***
翔、航おじさん、春華おばさん。
一人ずつ遺言を残していく。そして——。
最後に残ったのは、一人だけだった。
「アルテア。遺言を記録」
『承知しました』
「冬華へ」
『確認しました。星野晶様から朝比奈冬華様への遺言を記録します』
アルテアの声が、心なしかさっきより柔らかく、慈しむような響きに変わった気がした。カードが再び赤く光る。僕はカメラを見た。
「冬華」
ほんの少しだけ、言葉が詰まる。
「大好きな冬華」
言葉にした瞬間、胸が熱くなる。
「僕のこと好きになってくれて、ありがとう」
僕は机の上のカードをちらりと見た。
「冬華には、僕が住んでいた家とアルテアを残します」
そして、続ける。
「もし将来——冬華に、将来を誓うくらい好きな人ができて……その人と結婚することになったら——」
結婚。その言葉が口から出た瞬間、胸の奥が妙にざわついた。冬華が、僕じゃない誰かと結婚する。
その光景を想像した瞬間——
「しない!」
突然、ベッドの下から手が伸びてきた。
「うわっ!?」
心臓が跳ね上がる。次の瞬間、ベッドの下から這い出てきたのは——
もちろん、冬華だった。目を真っ赤に腫らして、僕を睨んでいる。
「もし晶君が宇宙で死んじゃっても!」
涙で声が震えている。
「私は他の誰とも結婚なんてしないから!」
言い切った瞬間、冬華はその場で泣き崩れた。
「うわああん……!」
冬華が僕の前で泣くのを見るのは——三年前。僕が朝比奈家を出たとき以来だった。冬華は、僕の前では泣かない子だから。僕はそっと冬華の隣に座らせ、小物入れからハンカチを取り出した。
「ほら……」
差し出す。
「泣くなよ」
僕は困ったように笑った。
「重要なのは、僕が冬華にこの家とアルテアを譲るってところなんだから」
「……だってぇ」
冬華はハンカチを握りしめながら、まだ涙を止められずにいた。
「絶対に、涙を武器になんてしないって決めてたのに……」
その言葉に、僕は思わず冬華の顔を見た。冬華は昔からそういう子だった。わがままを言わない。泣いて頼んだりもしない。どんなときでも、ぐっと我慢してしまう。
だから——。
僕の前で泣くときは、本当に限界のときだけだ。
「……武器って、そんな大げさな」
冬華は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま首を振った。
「大げさじゃないもん……」
小さくつぶやく。
「だって、私が泣いたら……晶君、絶対、困るもん」
僕は言葉に詰まる。冬華は袖で目を拭きながら、僕を見上げた。
「だから、泣かないって決めてたのに……」
少しだけ笑う。でも、その笑顔は全然うまく作れていなかった。
「宇宙に行くって言ったときも……泣かなかったし」
また涙がこぼれる。
「でも……」
言葉が続かない。僕はそっと手を伸ばし、冬華の頭に優しく触れた。
「……ごめん」
小さく言う。冬華は何も言わない。僕は少しだけ視線を落として続けた。
「でもさ」
少しだけ笑う。
「先週、お父さんとお母さんの遺言を観たんだ」
あの映像を思い出す。
「正直……遺言なんて、見る前は嫌だなって思ってた」
続ける。
「でも、観てみたら——」
言葉を探しながら続ける。
「……あって良かったって思った」
冬華の頭に置いた手で、優しく髪を撫でる。
「もし、二人が何も残してくれていなかったら……きっと、もっと寂しかったと思う」
僕は少しだけ考えてから続けた。
「それで、ちょっと思ったんだ」
言葉を選びながら、ゆっくり口にする。
「遺言ってさ、死ぬための準備じゃなくて……残された人が、一人で歩き出すための——最後の“配慮”なんじゃないかって」
静かな部屋の中で、その言葉だけが残った。
「だから……僕も残しておこうと思った」
僕は冬華を見た。
「もし冬華が、いつか僕のいない未来を歩かなきゃいけなくなったとき——ちゃんと前に進めるように」
冬華はしばらく黙っていた。それから、鼻をすすりながら小さく言った。
「……分かった」
冬華は僕が差し出したハンカチをぎゅっと握りしめる。涙を拭きながら、少しだけ顔を上げた。
「……でも、晶君。約束して」
「なに?」
「私より長生きして」
その言葉に、僕は少しだけ驚いた。
それから——静かに頷く。
冬華はその様子を見て、涙をこぼしながら、少しだけ微笑んだ。
◎登場人物
◯星野晶(15)(166cm):主人公。中学三年生。
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学一年生、晶の幼馴染兼彼女。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。




