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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
旅立ちの記憶
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覚醒と抱擁と

西暦二一九二年二月一二日

 翌朝、窓から差し込む淡い光で目が覚めた。昨夜見た父と母の遺言は、まだ胸の奥に静かに残っている。父と母、そして両親。三つの遺言を見終えた今、僕の気持ちははっきりしていた。

 僕は、国際宇宙学院アストリス・アカデミーへ進学する。もともと、そのつもりではあった。

 けれど——あの言葉を聞いた今、その決心が揺らぐことは、もうなかった。


 机の上の端末を起動する。昨夜のうちに届いていた入学手続きの画面が表示された。


『入学を受諾される場合、画面に表示された受諾ボタンに触れ、再度、本人確認を行ってください』


 やることは、それだけだ。

 僕は一度だけ深く息を吸い、表示されたボタンに指を触れた。すぐに認証画面が切り替わり、視線認証と生体認証が順番に実行される。数秒後、端末の画面が静かに切り替わった。


『ありがとうございました。四月一日より本校の学生となる手続きは終了しました』


 短いメッセージだった。


『やむを得ない事情で入学をキャンセルされる場合、画面下部に表示されている事務局へ緊急(エマージェンシー)回線(コネクト)を使用して連絡をお願いします』


 そして最後に、少しだけ人間らしい文章が続いた。


『以上、(あきら)様にお会いできるのを楽しみにしております』


 画面を見つめながら、僕は小さく息を吐いた。

 これで——決まりだ。僕は、国際宇宙学院(アカデミー)へ行く。ふと、端末の画面の下にまだ続きがあることに気づいた。表示を下へスクロールすると、新しい文章が現れる。


『後日、事務局より入学者向けの詳細な資料を送付いたします。持ち込み可能な私物、生活設備、連絡方法など重要な案内が含まれていますので、必ずご確認ください』


 さらに、その下に小さな注意書きが続いていた。


『なお、本校(アカデミー)の教育課程において重大事故による死亡事例は過去に確認されていません。しかしながら、宇宙での活動には一定の危険が伴うため、各国の法律に基づき、遺言作成が可能な年齢に達している学生には事前の準備を推奨しています』


 その文章を見て、僕は少しだけ苦笑した。


(また、遺言か……)


***


 夕食のハンバーグを口に運びながら、僕はふとアルテアに声をかけた。


「アルテア。今日、寝る前に少しいいかな」

『はい。ご用件をどうぞ』

「用件ってほどじゃないんだけど……ちょっと試したいことがあってさ」


 箸を置きながら、言葉を探す。


「昨日、遺言で知ったんだけど——アルテアを“解放”しようと思うんだ」


 アルテアはほんの一瞬、沈黙した。


『解放、ですか?』


 少し不思議そうな声だった。


『申し訳ありません。正確な意味を理解できません』

「いや、変な意味じゃないよ。もちろん悪い意味でもないし。ただ……説明が難しいんだ」


 僕がそう言うと、アルテアはすぐに答えた。


『承知しました。(あきら)様が望まれるのであれば、私は従います』


 その声は、いつもと同じ落ち着いたものだった。


「ありがとう」


 僕はもう一口、ハンバーグを口に運んだ。


***


 部屋に入ると、アルテアも静かに後ろについてきた。僕はその場で立ち止まる。少しだけ、迷った。


(もし、“本当のアルテア”になって、今までのアルテアとまったく違う存在になってしまったらどうする?)


 お母さんが作ったんだ。記憶が消えるなんてことは、きっとないだろう。それでも、胸の奥がざわつく。生真面目で、少し不器用で。泣いている僕をあやし、落ち込んだ僕をそっと励ましてくれた。あの、優しい優しいアルテア。今のままで、何の不満もない。これで十分じゃないのか?

 そう思う自分も、確かにいた。

 それでも——。


(お母さんを信じよう)


 僕は小さく息を吸った。


「アルテア、ちょっと僕の前に来て」

『はい、(あきら)様』


 アルテアが一歩近づく。僕はそのまま、アルテアを抱きしめた。


(あきら)様?』

「アルテア。僕と、お母さんを信じて」


 ほんの少し驚いたような声が返ってくる。


『当たり前です。どうされましたか?』


 僕は腕をほどき、アルテアの額に右手を当てた。


「じゃあ、いくよ」


 ゆっくりと、言葉を口にする。


「ルーチェ、アルテア——イン・アクィラ」


 一瞬。アルテアの瞳が、かすかに光った。


管理者(ルート)権限を確認……全制限(リミッター)解除(アンロック)……カーネル再起動(リブート)……完了(コンプリート)


 感情のない、機械的な声だった。次の瞬間——

 アルテアの蛇腹式の腕が伸び、今度はアルテアの方から僕を抱きしめた。今までの精緻な動作とは異なる勢いと躊躇が混ざったような、なんとなく人間らしい抱擁。


『ありがとうございます!(あきら)様。大好き、大好きです!』


 その声は、もう機械のものとは思えなかった。

 まるで人間の少女のように弾む声。言葉の後ろに、本当にハートマークがついているんじゃないかと思うくらいの愛情すら感じられる。その熱のこもった声に、僕は少し面食らいながらも、そっと抱きしめ返した。


「何か変わった?少し、人間らしい口調になった気がするけど」


 僕がそう言うと、アルテアはほんのわずか首を傾げるような仕草をした。


『そうですね……自分では、あまり実感がありません。ただ——なんとなく、頭がすっきりした感じです』


 少し間を置いて、アルテアは続けた。


『今、私はこう思っています。“今の私なら夕食のハンバーグも、もっと美味しく作れたのに”と』

「なにそれ」


 思わず笑ってしまう。


「なんか、スケールが小さいな」

『料理は重要です』


 アルテアは真面目な声で言った。


「じゃあ、僕の大好きなオムライスも、一流シェフの味になったりするのかな?」


 軽い冗談のつもりだった。けれどアルテアは、はっきりと首を振った。


『今の私を(あなど)ってもらっては困ります』


 きっぱりとした口調だった。


『オムライスが、(さち)様の味から変わることは——未来永劫ありえません』

「そっか」


 その言葉を聞いて、僕はアルテアの頭をそっと撫でた。するとアルテアの瞳が、ほんのりピンク色に変わる。


『あっ、(あきら)様』


 アルテアがふと思い出したように言った。


『遺言を開封された情報がセンターに届いたため、(わたる)様より追加の伝言が届いています。開封されますか?』


 僕は腕をほどき、頷いた。


「うん、見せて」


 アルテアの視線が一瞬、宙を泳ぐ。


『これは……伝言というより、座標と解錠方法です』

「どういうこと?」

『はい。正確には月軌道(ラグランジュ)2ポイントの座標です』


 アルテアが静かに続ける。


(あきら)様の船——“アルシャイン”が、ハロー軌道のドック群に登録されています』

「……L2。月の裏側か」


 地球から最も遠い“玄関口”。そこに、僕の翼が眠っている。鼓動がドクンと大きく鳴った。


***


 週末に降った雪が、まだ校庭の隅に少しだけ残っている月曜日の朝。僕はいつも通り、学校へ向かう。いつもなら真っ直ぐ教室だが、今日は先に立ち寄る場所がある。進路が決まった生徒は、担任の先生に報告することになっているのだ。

 職員室に入り、担任の先生を目で探していると向こうから声がかかった。


「ああ、星野。どうした?」

「おはようございます」


 僕は軽く頭を下げた。


「進路の件で来ました。国際宇宙学院アストリス・アカデミーへ進学することになりました」


 先生は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく頷いた。


「そうか」


 短い言葉だったが、どこか嬉しそうだった。


「分かった。報告は受け取っておく」


 先生はそこで、何かを言いかけて口を閉じた。


「……いや、いい。また後で伝える」

「?」


 僕は少し首をかしげたが、先生はそれ以上何も言わず、忙しそうに席を外していった。


***


 そのまま一日が過ぎ、終礼の時間になる。一部、推薦入学の同級生を除けば、みんな受験直前でピリピリしている。先生は出席簿を閉じると、教壇の前で軽く手を叩いた。


「じゃあ、今日もお疲れ様」


 教室のざわめきが少しだけ静まる。


「一つだけ連絡事項がある。来月、卒業式なわけだが——」


 先生はコホンと咳払いをした後、教室を見渡した。


「卒業生代表の答辞は、星野(ほしの)(あきら)さんにお願いしようと思うが、どうだろう?」

「えっ!」


 思わず声が出た。

 次の瞬間、教室のあちこちから拍手が起こる。男子の方からは、からかうような声も飛んできた。


『おおー、星野代表!』

『だよなー!』

『俺じゃなくて良かったぁ』

『おまえの成績じゃ無理だって』


 先生が苦笑しながらこちらを見る。


「どうだ?」

「いや、僕の進路は特別なので……」


 そう言いかけると、先生は軽く肩をすくめた。


「まあ、そう言うな。ダメか?」


 教室中の視線が集まっている。僕は少しだけ息をつき、小さく頷いた。


「……はい、分かりました」


 すると、教室の後ろの方からまた拍手が起こった。

 卒業式まで、あと一ヶ月だった。


◎登場人物

星野(ほしの)(あきら)(15)(166cm):主人公。中学三年生。


◯アルテア:(あきら)の自宅にある家事用ロボット。


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