遺言3【十五になったあなたへの贈り物】
父と母の遺言が終わったあと、部屋の中には、しばらく静かな時間が流れていた。ヘッドセットの中の画面は暗いままだ。
胸の奥に残っていた緊張が、ようやくほどけていく。
(終わった……)
長い息をひとつ吐く。そのときだった。小さな電子音が鳴り、暗転していた視界に、ふたたび光が差し込んだ。次のトラックが、自動で再生され始めた。
(え……?)
呼吸が止まる。
画面の向こうに現れたのは——父・渉でも、母・幸でもない。
二人だった。二人が、並んで座っている。同じフレームの中で、まるで家族写真でも撮るように、静かにこちらを見つめていた。一瞬、言葉が出ない。
(どうして……)
父の遺言も、母の遺言も、もう見終わったはずだった。
なのに——
父が、ゆっくりと口を開いた。
『晶、驚いたかもしれないな』
父の声は、どこか静かだった。
『私たちがこれから撮影するのは、特別な映像だ』
一度言葉を区切る。
『一番残念で……しかし、避けては通れない可能性のための遺言だ』
幸が、隣で小さくうなずく。そして、やわらかな声で続けた。
『ええ。もし渉さんか私、どちらかが残っていれば……』
母は少し微笑む。
『晶と二人で、いくらでも頑張れると思う』
そこで、ふっと表情が静かになった。
『でも——』
一瞬の沈黙。
『この映像をあなたが見ているということは……』
父が、言葉を引き取る。
『晶。お前は——』
少しだけ目を細める。
『両親を失って、十一年間、生きてきたということになるな……よく、ここまで頑張った。立派に育ってくれた。ありがとう、晶』
重い言葉が、静かな部屋に落ちた。胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
『うちには親戚がいないが、二人ともいなくなったときは、施設ではなく、航のところで預かってもらう約束だ』
父は、少しだけ優しく目を細めた。
『だが、晶のことだ。迷惑をかけないようにって、もう一人で暮らしてるのかも知れないな』
(中学に入るときだったよ、お父さん)
心の中で、小さく答える。
(でもね、迷惑をかけないように……じゃない。ただ、二人が建てたこの家で暮らしたかったんだ)
父はそんな想いを知るはずもなく、穏やかな声で続けた。
『だからな、せめて——』
父は一度言葉を区切る。
『私から、十五歳の誕生日プレゼントを贈ることにした』
口元に、ほんの少し照れたような笑みが浮かぶ。
『まあ、世間的には遺産って呼ぶのかもしれんがな』
プレゼント——?
思わず、息をのむ。父は、少し照れたように肩をすくめた。
『実はな。私と幸、二人の宇宙船があるんだ』
呼吸が止まる。
『もう少し歳をとったら、おまえ抜きで、二人だけで太陽系を旅して回ろうと思っていてな』
父は、どこか懐かしそうに笑った。
『若い頃から、いろんな人の力を借りながら作った船だ。ネジの一本まで自分たちで選んで組み上げた船だ。宇宙で一隻しかない、私たちの船だ』
そして、まっすぐこちらを見る。
『それを、晶。おまえに授ける』
一呼吸置いて言う。
『船の名前は——アルシャインだ』
父は静かに続ける。
『晶が免許を取って、自分で操船してもいい。将来、船長を雇ってもいい。どう使うかは、おまえの自由だ』
少しだけ声がやわらぐ。
『ただな——もしできるなら、困っている人に手を差し伸べるために使ってくれたら嬉しい』
父は、穏やかな表情で言った。
『そんな晶であってくれたら……こんなに嬉しいことはない』
父の言葉の余韻が、静かに部屋に残る。
その隣で、母がふっと笑った。
『じゃあ次は、私の番ね』
少しだけいたずらっぽい顔をする。
『私から晶へのプレゼントは——アルテアよ』
一瞬、思考が止まった。
(……アルテア?)
思わず眉をひそめる。
(アルテアなら、もういるよ?)
ヘッドセットの向こうで、母はくすっと笑った。
『今、アルテアならもういるよ?って思ったかしら』
まるで心を読んだみたいだった。
『安心して。アルテアは一人だけよ』
母は楽しそうに続ける。
『実はアルテアの中枢はね、私が開発したの』
そこで、少しだけ声の調子が変わった。
『でも——今のアルテアは制限モードなの』
胸が、わずかにざわつく。母はまっすぐこちらを見つめた。
『だから、晶への本当のプレゼントはね』
ほんの少し、誇らしそうに母は言った。
『“本当のアルテア”よ』
(本当の……アルテア?)
意味を掴みきれず、思わず眉をひそめる。母は、やさしく微笑んだ。
『今のアルテアはね……例えるなら、夢の中で動いているような状態かしら。あなたの成長を邪魔しないように、多くの機能や性能を眠らせているの。もし、本当のアルテアに目覚めてほしいなら——』
母は瞳を閉じて、右手を伸ばす。
『アルテアの額に右手を当てて、こう言ってみて』
静かな声で、ゆっくりと言葉を区切る。
『Luce, Altair — in Aquila.』
一瞬の沈黙の後、母は右手を降ろし小さく笑う。
『ラテン語よ。“アルタイルよ、わし座で光れ”って意味ね』
僕は、その言葉を頭の中でそっと繰り返す。
(ルーチェ、アルテア——イン・アクィラ)
父が、隣で穏やかに頷いた。
『晶。アルシャインも、アルテアも——どう使うかはお前が決めればいい。私たちが残せるものは、もうそれくらいだ』
母が続ける。
『でもね、晶』
その声は、どこまでも優しかった。
『あなたがどんな人生を選んでも、私たちはきっと誇りに思う』
父と母が、並んでこちらを見ている。その表情は、まるで遠い未来の僕を見守っているようだった。
『十五歳、おめでとう』
『おめでとう、晶』
二人が、同時に微笑む。
その瞬間——映像が、ゆっくりと暗転した。
***
部屋に、静寂が戻る。僕はしばらく、ヘッドセットを外すことができなかった。頭の中で、さっきの言葉が何度も繰り返される。
ゆっくりとヘッドセットを外し、天井を見上げる。父と母からの、十五歳の誕生日プレゼント。
宇宙船アルシャイン。
そして——本当のアルテア。
その言葉を、僕はもう一度、心の中で繰り返した。
(ルーチェ、アルテア——イン・アクィラ)




