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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
旅立ちの記憶
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十五になった日

西暦二一九二年二月一一日

 祝日の今日は、一応——僕の十五回目の誕生日ということになる。時計を見ると午前九時。冬華と翔がやってくる約束の十時まで、あと一時間。

 ここ数日続いていた春のような陽気が嘘みたいに消え、窓の外では雪が静かに舞っていた。近所とはいえ、この足元では少し心配になる。


 そんな中、キッチンからは、慌ただしい物音が聞こえる。いつもなら僕の注文を聞いてから朝食を作り始めることの多いアルテアだが、今日の朝食は作り置き。今現在は食材の下ごしらえに追われ、とても忙しそうだ。部屋の隅には見慣れない箱やリボンまで置かれている。

 どうやら本気で“パーティ準備モード”らしい。


「手伝おうか?」

『不要です。(あきら)様は本日の主賓(しゅひん)です』


 何度申し出ても、(かたく)なに却下される。結果、僕は行き場を失い、部屋の中を意味もなく歩き回ることになった。実に落ち着かない。誕生日というより、何かの本番を待っている気分だ。


 やがて、時計の針が十時に近づいた頃、インターホンが鳴った。僕は慌てて玄関へ向かう。いつもは朝比奈(あさひな)家で迎えてもらう側だが、今日は逆だ。


「いらっしゃい、冬華、翔。ごめん、雪だったから早めに迎えに出るつもりだったのに」

「気にしないで。こっちが早く来すぎただけ」

 そう言いながらも、冬華の頬はうっすら赤い。


「そうそう。お姉ちゃんさ、『時間まだ?』『早く行かない?』って、朝からずっとそればっかりでさ」


 翔がにやにやしながら暴露する——すると、案の定。


「翔!」


 乾いた音とともに、軽いゲンコツが飛ぶ。それでも笑っているのが、いつもの翔だ。朝比奈姉弟のやり取りは相変わらずで、なんだか安心する。


「じゃあ、入って」


 二人を部屋へ案内する。コートを脱ぐのを手伝いながら、ふと視線が止まった。


「……なんか、オシャレだね」


 冬華は一瞬きょとんとしてから、わずかに視線を逸らす。

 普段は動きやすさ優先で、機能性重視の服を選ぶことが多いのに、今日は違う。ふわりと揺れるワンピース姿だ。淡いピンクの生地が、窓の外の雪明かりを受けて柔らかく光っている。

 長い黒髪との対比が、妙に印象的だった。


(……雑誌の表紙みたいだ、なんて言ったら、さすがに言い過ぎか)


 けれど、言葉にできない分、視線を逸らすタイミングだけが不自然に遅れてしまい、胸の奥が、少しだけ騒がしくなる。その空気を破ったのは、もちろん翔だった。


(あきら)兄ぃ、顔ちょっと赤くない?」

「……外の寒さのせいだろ」


 苦しい言い訳だと我ながら思う。すると翔は、僕と冬華を交互に見て、わざとらしく深く頷いた。


「へぇー、室温二五度の部屋で『寒さのせい』かぁ。お姉ちゃんの気合が入ったワンピース姿が眩しいんじゃないの?」

「もう、翔! 余計なこと言わなくていいの!」


 今度は冬華の顔まで林檎のように赤くなる。


「もう!お姉ちゃんさ、最近ちょっとピリピリしてるよね。吹奏楽部の先輩が『星野先輩って、いいよね』って言ってたとか何とか」

「翔!!」


 耳まで赤くなった冬華が、ぷいっと前を向く。


「……雑草は、早めに刈っておかないと」

「雑草?」

「草にはちゃんと名前があるけど、稲や野菜にとっては困る存在でしょ。放っておいたら大事な養分を横取りされちゃうんだから」


 さらっと言うけれど、その瞳は少しだけ真剣だ。


「じゃあ、僕は作物扱い?」

「うん。手間のかかる、大事なやつ」

「それ、褒めてる?」

「さあね」


 僕がニヤニヤしながら続ける。


「じゃあ、アルテアは?」


 冬華は一瞬考え、少しだけ口角を上げた。


「アルテアは……麦かな」

「麦?」

「稲と同じ田んぼには植えられないけど、どっちも欠かせない穀物でしょ?」


 その言い方が、妙に静かだった。


「もし、いつか畑が別々になっても、実る場所が違っても……」


 言葉を探して、ほんの少しだけ視線が揺れる。


「……同じ大地で育った事実は消えない。だから、アルテアもちゃんと実ってほしいの……ごめん、変なこと言ったね」


 それだけ言って、また前を向いた。言い直す声が、わずかに柔らかくなる。そこで僕は、空気を少し変えることにした。


「……とりあえず、作物はお茶でも出しますかね」

「お、(あきら)兄ぃが台所に立つの?」

「今日はアルテアが忙しいからな」


 キッチンからは、甘い香りと小さな機械音が聞こえている。


「座ってて。すぐ用意する」


 湯を沸かし、急須に茶葉を入れる。静かな音とともに、白い湯気が立ちのぼる。さっきまでの軽口が、ふっと和らいでいく。

 皿に焼き菓子を並べ、三人の前にそっと置いた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 冬華の指が、ほんの一瞬だけ僕の手に触れる。ほんの一瞬なのに、妙に長く感じた。窓の外では、雪が静かに降り続いている。

 冬華と翔が顔を見合わせ、小さくうなずき「せーの」と声を合わせる。


(あきら)君、誕生日おめでとう」

(あきら)兄ぃ、誕生日おめでとう」


 きれいにラッピングされた箱が二つ、僕の前に並ぶ。胸の奥が、ゆっくりと温かくなっていく。


「……ありがとう」


 それだけしか言えなかったけれど、それで十分だった。


「開けてもいいかな?」

「どうぞ」


 冬華がうなずく。


「じゃあ、(しょう)のほうから。まだ小学生なんだから、無理しなくていいのに」

「遠慮しないでよ。僕ももう十歳だし。ある意味、大人だよね」


(何が“ある意味”なんだろう)


 心の中でつぶやきながら、丁寧に包みを開く。中から現れたのは、一本のペンだった。


「おっ、渋くてかっこいいな。これ、無重力でも書けるやつだよね?」

「そう! でも、それだけじゃなくて……ちょっと待って」


 翔が立ち上がり、部屋の照明を消す。


「ペンのクリップのボタン、二回押してみて」

「こう?」


 カチ、カチ。


 次の瞬間、天井いっぱいに星が広がった。昼間のはずの部屋に、静かな夜空が浮かぶ。たぶん、この場所、この時間に本当に見えているはずの星座。


「……プラネタリウム?」

「そうそう! 面白いでしょ?」


 翔の声が、いつもより少し誇らしげだ。


「高かったんじゃないの?」

「心配には及ばないよ。大人だしね」


 胸を張る姿に、思わず笑ってしまう。天井いっぱいの星は、まだ静かに瞬いていた。

 翔が明かりを戻すと、僕はそっとペンの投影を止めた。


「素敵だね。本当に嬉しい。ありがとう」

「どういたしまして」


 翔は満足そうに頷いた。


「次はお姉ちゃんね」

「……翔にしては気が利いてて、ちょっとやりにくいんだけど。ちょっと、開けてみて」

「うん」


 包みを解くと、毛糸のやわらかな手触りを感じる。取り出すと、濃い青色で思ったより長い。


「……マフラー?」

「アカデミーはステーションにあるから、冬って無いのかもしれないけど……」


 どこか自信なさげに続ける。


「もしかして、手編み?」

「うん。頑張ってみたよ。本当はセーターとか手袋ができたらよかったんだけど、初心者だから」

「いや、すごく嬉しいよ」


 そう言って首に巻いてみる。毛糸のやさしい重みが、思った以上に温かい。


「どうかな?」

(あきら)兄ぃ、似合ってるよ。男前度、二割増し」

「男前……?」


 冬華が小さく眉をひそめる。


「……似合ってて、よかった」


 その声は、さっきより少しだけ静かだった。


「ありがとう、冬華。大切にするよ。もちろんアカデミーにも持っていくし、寒いときは使わせてもらう」

「……うん」


 短い返事。けれど、その一言に全部が込められている気がした。


「二人とも、本当にありがとう。この前、合格祝いで(くつ)(かばん)をもらったばかりなのに……すごく嬉しい」


 雪はまだ、窓の外で降り続いていた。


***


(あきら)様、冬華様、翔様。お料理の準備が整いました』


 時計はちょうど正午を回ったところだ。三人で応接室からダイニングキッチンへ移動する。

 部屋に入った瞬間、ふわりと甘くてやさしい香りが広がった。テーブルの上には、色とりどりの料理が並んでいる。合格祝いのとき、朝比奈家では普段食べないような豪華な皿が並んだが、今日は違う。ここにあるのは、僕の好きなものばかりだった。

 特に大好物のオムライスには、ケチャップで『おめでとう』と丁寧な文字が描かれていて、小さな鷲の紋章入りの旗が立てられていた。アルテアがこの文字をなぞっている姿を想像して、胸の奥がくすぐったくなる。


「アルテア、なんていうか、その……ありがとう」

『とんでもありません、(あきら)様。本日はどうぞ、皆さまで楽しいひとときを』

「“皆さま”じゃなくて、アルテアも一緒にね」

『ありがとうございます。冬華様』


 アルテアが三人のグラスにオレンジジュースを注ぎ終える。その動作は、いつもよりほんの少しだけ丁寧に見えた。

 冬華が、ぱんと手を打つ。


「じゃあ、(あきら)君。お誕生日おめでとう。かんぱーい!」

「「かんぱーい!」」


 三つのグラスが触れ合い、澄んだ音が小さく『チン』と響く。雪の静けさとは対照的に、部屋の中は暖かだった。


***


 ランチもにぎやかに終わると、翔は立ち上がった。


「じゃあ、あとは若い二人に任せて、僕は帰るね」


 どこで覚えたのか分からない台詞を残し、満足そうに帰っていく。


 玄関のドアが閉まる音がして、部屋は急に静かになった。冬華と僕は、アフターランチのホットココアを手に向かい合う。湯気がゆらりと立ちのぼり、さっきまでの賑やかさが、少し遠く感じられた。


「今日は楽しかったね……」

「うん」


 そのまま、しばらく沈黙が続く。ふいに、冬華が思い出したように声を上げた。


「あっ。最後に、大切なものを言付(ことづ)かってきてたんだった」

「ん? 何?」


 冬華はバッグから、薄いカードを取り出す。見覚えのある形状。先日まで観ていた映像カードと、よく似ている。


「お父さんからなんだけど……内容については、連絡をくれって」


 受け取った瞬間、ほんの少しだけ指先が冷えた気がした。


(……今までの遺族向けのとは、違う?分からないな……)


 胸の奥に、ささやかな違和感が生まれる。


「分かった。ありがとう。夜にでも連絡しておくよ」

「うん。お願い」


 冬華は、それ以上は何も聞かない。窓の外では、雪がまだ降り続いている。甘いココアが、ほんの少しだけ苦く感じられた。


***


 時計の針は、ゆっくりと午後を刻み続ける。


「……そろそろ、帰るね」


 冬華が、カップをそっとテーブルに置いた。


「送ろうか?」

「ううん、すぐそこだし」


 玄関先。外の空気は、さっきよりも少しだけ冷たくなっている。


「じゃあ、またね」

「うん」


 冬華は一歩踏み出して、ふと立ち止まる。


「……マフラー、ちゃんと持っていってね」

「もちろん」


 言いながら、首元に巻いたそれを軽く押さえる。冬華が、そっと端を整えた。


「風邪ひかないで」

「冬華も」


 雪が冬華の肩に落ち、次の瞬間、彼女は小さく笑って歩き出す。やがて、白い世界に冬華の背中が溶けていった。


***


 ドアを閉めたあとも、しばらく玄関に立ったままでいた。雪はまだ降っている。さっきまで隣にいた温もりが、嘘のように遠い。

 僕はテーブルの上に置かれた映像カードを手に取った。


(……連絡、するか)


 通信端末を起動し、(こう)おじさんの名前を表示させる。呼び出し音が、静かな部屋に小さく響いた。


(あきら)か?』


 落ち着いた、低い声。


「すみません。星野です」

『冬華からカードを受け取ったということで、いいか?』

「ええ、映像らしきカードを受け取りました。これは、先日の遺族向けのものの続きでしょうか?」


 前回の映像に“続き”があるとは、正直思えなかった。短い沈黙のあと、(こう)おじさんの声が返る。


『いや。これは全くの別物だ……つまり、お前のご両親の法的な“遺言”だ』


 言葉が、ゆっくりと胸に落ちる。


「遺言……ですか?」

『そうだ。前に話した通り、法律では十五歳から遺言を残せる。加えて、十五歳から直接それを受け取ることもできる。これが、それだ』


 喉が、わずかに乾く。


『だから、遺族向けの映像と同じく、もちろん俺も内容は知らない。(あきら)が一人で観て、判断するべきものだと俺は思っている』

「……一人で、ですか」

『ああ。まずは自分で見て、自分で考えろ。もちろん、まだ未成年だ。相談があれば、いくらでも乗る』


 その声は、いつも通り穏やかだった。けれど、その奥にある覚悟のようなものを、僕は感じていた。


「分かりました。ありがとうございます」


 通信が切れ、部屋には静寂が戻る。手の中のカードは、驚くほど軽いのに、持ち上げるとズッシリと重い、そんな気がした。

 首元のマフラーに触れる。今日もらった温もりが、まだそこにある。窓の外では、雪が降り続いている。誕生日の終わりにしては、少しだけ静かな時間だった。

 けれど——ここから、何かが始まる。そう思いながら、僕はゆっくりと息を吸い込む。そんな期待と不安の中、映像カードを端末に乗せると、それは淡い青色に光った。


◎登場人物

星野(ほしの)(あきら)(15)(165cm):主人公。中学三年生。

朝比奈(あさひな)冬華(ふゆか)(13)(155cm):中学一年生、(あきら)の幼馴染兼彼女。

朝比奈(あさひな)(しょう)(10)(145cm):小学校四年生。冬華の弟。


◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。


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