トラック4-24【輸送艦<信濃>・第三波襲来】
《二四四五:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
艦橋に残っているのは、もう三人だけとなっていた。
艦長である父——星野渉。
AIの保守を担う母——星野幸。
そして、防壁を担当する客員技師——マーカス・ヘイル博士。
三人とも、制服の上から無骨な宇宙服を着込んでいる。バイザーは上げられたままだ。顔が見える——その表情には決死の覚悟も見て取れる。
父は、何も映っていないレーダーを見つめたまま、微動だにしなかった。
おそらく——ヤコブと陳、二人の船外作業員が暗黒へ消えたあの瞬間から。
「……すまない……」
絞り出された声は、誰にも届かない。艦橋を満たす微かな駆動音に溶け、消えた。そう、もう艦橋には、行方不明の乗組員を捜索する人的余裕も時間的余裕もありはしないのだ。
『艦長、第三波まで十五秒。構成の大半は通常物質です』
信濃の声が、沈黙を断ち切る。
メインスクリーンに映し出されたのは、質量の濁流だった。第二波より規模は小さい。だが、今度は“治る相手”ではない。ただの鉄と岩と塵——純粋な破壊だ。
「……演算に問題なし……信濃、がんばって」
母が震える指でキーを叩く。
『はい』
その返事は、静かだった。
『三……二……一……接触』
衝撃。
空間が軋み、艦橋が揺れる。防壁が歪み、緑の光が波打つ。コンソールの端から火花が弾けた。ホログラムの少女が一瞬ノイズに包まれる。それは、苦痛に顔を歪めたようにも見えた。
腹の底を叩く重低音。艦体後部が跳ね上がる。人員も減った艦橋では、父も母も通話しながら必死にキーボードへコマンドを打ち込んでいる。まさに総動員だった。
『被弾。機関部近傍。主機出力四〇%まで低下』
副モニターには赤い診断ログが次々と流れる。
SHIELD GRID OUTPUT : 64%
MAIN POWER LOAD : 40%
ANOMALY CLASSIFICATION:...
「了解」
父が応じるより早く、通信が入った。
『こちら機関室』
「ジェファーズか。状況は?」
『原因判明。冷却系統の一部に破断。次席とアドルフが対応中です』
副モニターが損傷箇所の映像へと切り替わる。
「急いでくれ。だが——」
『無茶はしません』
短い間。父の口元がわずかに緩む。
『こちらゴールドバーグ。冷却パイプを手動で接続中。完了まで二分』
「頼んだ」
そのときだった。
「まずい」
ヘイル博士の低い声。
父は言葉を待たなかった。副モニターの映像が防壁接続線へと切り替わり、五本のうち一本が、緑から黄色へ、そして橙色へと悲鳴を上げる。
「一本が臨界に近い。フィードバックで回路が焼き切れるぞ」
「対処法はあるのか?」
「ああ、論理バイパスを組み直せばな。だが、ここの遠隔端末が死んでる」
「技術室のは?」
母の声。一瞬、父の目が開く。
「そうか!あそこは直結端末だ。生きている可能性が高い」
「行ってくる」
ヘイル博士は迷わなかった。スタッと立ち上がる。
「通路は荒れているし、技術室の遠心力も停止中です」
「それでも行くさ」
彼は振り返らず、艦橋の出口へ向かう。
「分かりました。頼みます」
艦橋の照明が一瞬落ちる。彼は振り返ることなく、右手を上げて応えた。艦橋に残ったのは、父と母と——そして、信濃。
『防壁出力、さらに低下。現在六四%』
少女の声が、わずかに掠れたように聞こえた。スクリーンの向こうで、質量の奔流がまだまだ収まりそうにない。
信濃は、必死にそれを受け止めていた。
そして僕は、映像を見つめながら思い知った。
この瞬間に至り、まだ——
誰も、諦めていなかったことを。
***
一分……二分……時間が引き延ばされ、一秒が永遠に感じられた。
艦底からは鈍い衝撃が周期的に伝わってくる。骨に響く重低音。どこかで金属が悲鳴を上げている。見えない場所で、亀裂が走る音がした。
信濃は、ただ耐えていた。
『こちら機関室』
ノイズ混じりの声が割り込む。
『冷却系の問題は解消しました。ただ——磁場コイルに共振ズレを再検知。アニーが現場へ向かっています』
「分かった。出力は回復傾向だ。よくやってくれている。引き続き頼む」
『了解』
通信が切れる。その直後、別回線が開いた。
『技術室だ』
マーク博士の声だった。わずかに息が荒いが、いつもの低くて落ち着いた口調だ。
『エネルギー導線の抵抗値が上がっていた。仮設バイパスを組んだ。そっちの出力、確認してくれ』
スクリーン上の防壁表示が、黄色から黄緑色、そしてゆっくりと濃い緑へ戻っていく。
母が息を吐いた。
「確認したわ。出力は安定している」
『よっしゃ』
短い一言。その言葉だけで、マーク博士のガッツポーズが目に浮かぶ。
『艦橋へ戻らず、ここでやり過ごすつもりだが、構わないか?』
背後で艦体が震え、照明が一瞬落ちる。父は即座に判断する。
「通路は危険だし、その判断が正しいようです。奥に専用シェルターがあります。限界を感じたら、ためらわず退避を」
『了解。ただ——』
深呼吸の息が聞こえる。
『ギリギリまで粘ってみるさ』
その言葉に、父はわずかに目を閉じた。
「……ありがとうございます」
心のこもった言葉だった。
質量の濁流はまだ続いている。だが、防壁は持ち直した。出力も万全ではないものの、回復している。機関も、技術も、艦橋も……それぞれが、それぞれの場所で踏みとどまっている。
信濃は一人ではなかった。
そして——まだ、終わっていなかった。
***
『最新の演算結果が出ました』
信濃の声は、いつもと変わらない。だが、主画面に映る画像は背筋が凍るものだった。浮かび上がった赤い軌道線は防壁網を縫うようにすり抜け、第二ステーションの一角へと突き刺さっている。
『この質量体は、防壁で完全に防げない可能性が七二パーセント。第二ステーションの一部が破壊される確率、六三パーセントと推定されます』
数字そのものは単なる記号にしか過ぎない……が、今、それが意味するのは“命”だ。父は、赤い線を見つめたまま問う。
「……防御は可能か?」
ほんの一瞬の沈黙があった。
『はい』
信濃は静か語る。
『今の私に残された、最後の“防衛リソース”を使用します』
「それは?」
『エネルギーではありません』
赤い軌道線の前に、白い影が重なる。信濃のシルエット。
『この艦の質量そのものを、盾にします』
母が息を呑む。
「信濃、それではあなたは——」
『衝突の瞬間、全出力を防壁へ集中します。同時に、進路を微修正し、質量体を正面で受け止めます』
ホログラムの信濃が、静かにこちらを見た。
『司令部は、余剰出力の大半を私へ回してくれました。約束を果たしてくれたのです。……ならば、今度は私の番です』
信濃の瞳に、強い意志が宿る。
『人的な犠牲は一人として出さない。私が掲げたその約束も、ここで果たしてみせます』
艦橋には心臓の鼓動が聞こえるほどの沈黙が落ちた。信濃の計算は完璧だ。論理も破綻していない。
父も母も理解している——それが“最適解”であることを。
「……それが、唯一か?」
『おそらく』
即答だった。
『私は全知全能ではありません。ただ、何億パターンも行ったシミュレーションで最も期待値の高い方法ではあります』
父は目を閉じ、深く息を吸った。そして、ゆっくりと開く。
「……分かった」
声は震えていなかった。
「信濃。おまえに艦長権限を委譲する」
『ありがとう』
ホログラムの少女が、ほんのわずかに微笑んだように見えた。
それでも質量の濁流は無慈悲に迫っている。防壁は最大出力へと跳ね上がり、巨大な白い艦影が、赤い死の予測を覆い隠すように重なった。信濃は逃げないことを決めた。ただ、まっすぐに。ステーションや他艦の盾となるために、残された最後の盾、“体”を投げ出すことにしたのだ。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯星野幸(37)(女性)(157cm):冷凍睡眠実用化研究の第一人者。客員医師として乗艦中。AIの担当として残留。
◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。通称“マーク”。防壁の担当として残留。
●機関室
エラ・ジェファーズ(23)(女性)(170cm)(アメリカ):機関技師。ポジティブなムードメーカー。どんなに過酷な作業でも鼻歌を歌いながらこなす。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に防壁を敷設したが、第一波にてが輸送艦そのものは大きなダメージが受けた。質量の半分以上が“ストレンジレット類似の物質”であることが判明している。
◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジ各クォークからなる物質。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。星野博士とスターリング教授によって、AIが新たな段階に入った。




