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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
旅立ちの記憶
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トラック4-23【輸送艦<信濃>・総員退去】

二四(ふたよん)二五(ふたご):輸送艦〈信濃〉(メイン)艦橋(ブリッジ)


『こちらサティ。脱出艇三番、障害物撤去の目処が立ちました』


 通信越しの副長の声は、いつも通り落ち着いている。


『ただし——ベッカー、(チェン)、両作業員を脱出艇側で回収する余裕はなさそうです』


 この言葉で艦橋(ブリッジ)の空気が一瞬で凍りついた。


『こちらベッカー』


 船外作業室から、即座に応答が返る。


『俺たちなら大丈夫です。船外作業室にも脱出ポッドがあります』

「分かった」


 父は即答したが、声に強さを込めた。


「だが、身を挺する必要はない。命がけは禁止だ。障害物が撤去できなくても、脱出艇の中にいるだけで安全度は段違いだ。いいな」

『了解です』


 女性の声が続く。


『こちら(チェン)、間に合わなければ、防護シェルターもあります。我々も、そこでやり過ごします』

「分かった。では、作業を急いでくれ」

『『了解』』


 二人の声が重なり、通信は切れた。父は、わずかに息を整えると、放送用のコンソールを叩く。


『こちら星野。全乗組員(クルー)に、総員退去を命ずる』


 艦内放送の言葉は明確で、揺らぎがない。


『別途指示した残留要員を除き、脱出艇三番へ搭乗せよ。以後、サティ副長の指示に従うこと。繰り返す——』


 放送が終わると同時に、(メイン)艦橋(ブリッジ)の乗組員たちは一斉に立ち上がった。


 敬礼。


 ピアース通信士は唇を噛み、ホーキング事務官は目元を押さえている。誰一人、言葉を発しない。一人、また一人と、父の前に進み出ては短く手を握り、静かに艦橋(ブリッジ)を後にしていく。

 形式ばった別れではない。だが、それぞれの掌に込められた力が、すべてを語っていた。


 最後の扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。


「寂しくなっちまったな」

「寂しくなったな」


 低く呟いたのは、マーク博士だったが、父も、同じ言葉を発していた。二人は顔を見合わせ、言葉が重なったことに気づいて、わずかに苦笑する。

 そのとき、扉が再び開き、母が入室する。


(あきら)と、スターリング夫妻の退去は無事に終わったわ」


 母が静かに告げる。


「そうか、ありがとう」

「それにしても……寂しくなったわね」


 また同じ言葉。父とヘイル博士は、今度こそ小さく笑った。


『こちらサティ。点呼完了。全員揃いました』


 通信が入る。


「サティ副長」


 父は回線を開いたまま、少しだけ言葉を選んだ。


「あなたは、才覚も技術も、艦長としても十分以上でした。それでも今日まで副長として私を支えてくれたこと、心から感謝しています」

『星野艦長』


 副長の声は、わずかに柔らかくなる。


『私は、あなたの(ふね)の副長であったことを誇りに思っています。信濃が沈んでも——次もまた、あなたの右腕でありたいと……心から、そう思います』

「ありがとう」


 父は穏やかに返した。


「ですが……信濃を沈めるつもりはありませんよ」


 一瞬の沈黙の後、副長は『……そうですね』と力強く言い放つ。


『だって、星野艦長の(ふね)ですもの』

「ありがとう」

『では、星野艦長。ご武運を』

「ああ、皆を頼む」


 父が切断(ディスコネクト)ボタンに触れる。スピーカーから漏れていたノイズがふっと消え、艦橋(ブリッジ)には再び静寂が戻った。

 だが、その静けさは、終わりを意味してはいなかった。いや、むしろ、ここからが本当の“最後”の戦いなのだ。


***


二四(ふたよん)三五(さんご):輸送艦〈信濃〉脱出カタパルト付近》


 映像と音声が外部カメラへ切り替わった。映像はカタパルト付近で二つの小さな火花を映し出し、音声からは重苦しい呼吸音が、今の通信回路を満たしていた。


(チェン)、右の固定ボルトを焼き切れ! 歪みがひどくてロックが外れない!」


 巨大なデブリがカタパルトのレールをひしゃげさせ、数十人の命を乗せた脱出艇を、鋼鉄の顎で噛み砕くように締め付けている。


「了解、ベッカー! 出力最大。あと十秒、あと十秒待って!」


 レーザーカッターが閃光を放つ。白熱した光がバイザー越しに陳の顔を照らし、その向こうで宇宙が震えている。しかし、第三波の“先行群”は、すでに空間を乱し始めていた。真空のはずの闇に、線香花火のような輝きが無数に散る。


『信濃より両名へ!飛翔体の質量がしきい値を超えました!退避してください!』


 冷静な、しかしどこか焦りを帯びた声。二人は応答しない。

 副隊長が最後の結線を諦めなかったように、隊長が最後まで仲間を諦めなかったように、そして信濃が最後まで防壁を諦めないように……。

 あと数ミリ——その断片を断ち切らなければ、脱出艇は間に合わない。


「……落ちろッ!」


 ヤコブがレーザーをデブリの隙間に叩き込んだ瞬間、断末魔のような閃光が輝き、噛み合っていたレールが跳ね、拘束を解かれた脱出艇が、圧縮空気の叫びとともに虚空へと射出された。


「やった……。ベッカー、成功よ!」


 (チェン)が叫んだ。カタパルトから解き放たれ、遠ざかっていく脱出艇の灯火。だが次の瞬間、射出の反作用と、迫り来る“先行群”が同時に襲いかかった。


「うわぁぁぁッ!」

「きゃーーーーー!」


 固定用ワイヤーが、飴細工のように千切れた。二人の体は、まるで木の葉のように船体から剥がされ、暗黒の深淵へと弾き飛ばされた。


『ベッカー! (チェン)! 返事をしろ!!今、どうなってる!』


 父の声は(わず)かに震えている。映像の中で、二人は回転しながら遠ざかる。


『こちら……ベッカー……聞こえてます。(チェン)……スラスター……落ち着け……間に合う』


 ヤコブの声は冷静さを取り戻していた。どこまでも同僚を導く優しい声。


『残りの……すべて……進行方向……速度」

『そんな……でも……あなたは……』


 僅かに聞こえていた声がフェードアウトする。


『艦長、通信途絶です』


 (チェン)の意味を結ばないまま消えた。巨大な輸送艦と遠ざかる脱出艇。その影の向こうへ、二つの小さな光が吸い込まれていく。


『信濃、生体反応(バイタル)は?』

『三〇秒前までは正常。現在……トレース不能。ログを表示します』


 モニターには、二人のバイタルが、緩やかに、しかし確実に観測限界の外へと沈んでいく軌跡が映し出されていた。


 その点は、やがて——消えた。


◎登場人物(映像の中)

(メイン)艦橋(ブリッジ)

星野(ほしの)(わたる)(39)(男性)(177cm):主人公 (あきら)の父。輸送艦“信濃”の艦長。

星野(ほしの)(さち)(37)(女性)(157cm):冷凍睡眠実用化研究の第一人者。客員医師として乗艦中

◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。通称“マーク”。


●脱出カタパルト

◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。

◯ヤコブ・ベッカー(38)(男性)(185cm)(ドイツ):船外作業一班の班長。元建築エンジニア。機器の扱いが上手い。無口だが責任感は人一倍強く、オニール隊長の教えを忠実に守る。

(チェン)芳華(ファンファ)(35)(女性)(168cm)(台湾):船外作業三班の班長。構造計算が得意で、状況判断能力にも優れる。オニール隊長とエディ副隊長をバランスよく支えてきた。


◎用語

◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に防壁を敷設したが、第一波にてが輸送艦そのものは大きなダメージが受けた。質量の半分以上が“ストレンジレット類似の物質”であることが判明している。

◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジ各クォークからなる物質。


◎艦船

◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員(クルー)の練度も高い。星野博士とスターリング教授によって、AIが新たな段階に入った。


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