076 反属性
「エル。……て」
遠くから声がする。
「ん……」
誰か居る……?
「エル。……大丈夫?起きられる?」
この声。
「リリー?」
「エル」
目の前のリリーが、柔らかく微笑む。
いつものリリーだ。
夢の中で氷に閉じ込められていたリリーとは全然違う。
「調子はどう?何かして欲しいことある?」
「……膝枕」
「え?」
して欲しいこと。
リリーが俺の頭を軽く起こして、膝に乗せて座る。
「これで良い?」
「ん……」
気持ち良い。
安心する。
目を閉じると、リリーが俺の頭を優しく撫でた。
体の力が抜けていく……。
うつらうつらしていると、ノックの音と共に扉が開く音がした。
「リリー、おかえりなさい」
「キャロル。ただいま」
「エルの様子はどう?」
様子?
あれ?なんで、こんなところで寝てるんだっけ?
「もうすぐ起きると思う」
「じゃあ、お昼の準備しちゃうわね」
「うん」
昼?
扉が閉じる音がする。キャロルが出て行ったらしい。
ここは研究室で、俺は真っ昼間からソファーで寝てた?
……あぁ。思い出した。
変な薬で具合が悪くなって、カミーユが作った薬を飲んで寝たんだ。
リリーは昼に帰ってすぐ、俺の様子を見に来てくれたんだろう。
目を開いて、リリーの頬に触れる。
「おかえり」
「ただいま」
可愛い。
「キスして」
キスをしてくれたリリーを抱き寄せて、唇の感触を確かめる。目が覚めてきた。
「午後も鍛冶屋に行くのか?」
「えっ?……うん」
まだ、かかるのか。
「じゃあ、キャロルが呼びに来るまで、こうしてて」
「うん」
リリーの膝の上で目を閉じると、リリーが俺の頭を撫でた。
心地好い。
それにしても、さっきの夢は何だったんだ?
氷に閉じ込められたリリーの姿をした何か。正体は予測がつく。でも、それが本当だったとして、何故、俺はそんな夢を見たんだ。しかも、妙なことを言っていた。
―契約を果たせ。
契約って何だ。俺はあんな奴と契約を交わした覚えはない。俺が今、果たさなければならない契約なんて、エイダとの契約ぐらいだ。しかも、エイダから急かされているわけでもない。
違う。そもそも無関係なのに。なんでそう思ったんだ。
あんなの、ただの夢なのに。
……本当に?
だめだ。考えても答えなんて出そうにない。
今できることをやろう。
レイピアが出来たら、すぐにセルメアに行く。
ディーリシアだって、いつまで今の場所に居るかわからない。隔離や保護が目的なら、第三者がディーリシアの所在を調べてるという情報が入った時点で場所を変える可能性がある。
ただ、アレクが俺の次の目的地を予測していたのが気になる。琥珀の産地だって。
なんで、アレクは気づいてたんだ?
俺が調べる前に。
※
ランチを食べた後、リリーはエイダと共に鍛冶屋へ出かけていった。
イリスは今回も留守番だ。
二階の物置に行って、片手剣を腰に付ける。
『片手剣を使うのか』
「レイピアがないからな」
これでも練習は出来るだろう。
「イリス。これから魔法部隊の宿舎に行くけど……」
『聞かなくても、付いて行くよ』
「魔法の練習をしてる時は、付いて来なくて良いよ」
『えぇ?あそこに行くのぉ?』
『私は外で待っている』
『私も』
『オイラもー』
『えっ?どういうこと?』
『まずい場所なの?』
「あそこは、精霊にとって良くない場所なんだよ」
『良くないって?』
「宿舎の地下には、反属性の素材で覆われた空間があるんだ」
『反属性?』
ナターシャは知らないか。
「昔、精霊狩りに使われていた素材。精霊を閉じ込めておける素材が使われてる場所なんだよ」
『えっ……』
『精霊狩り?』
『精霊を閉じ込めてるの?』
「そんなことはしない。現在、精霊狩りは、どこの国でも禁止されてる。精霊を捕まえたり閉じ込めたりする行為は、どこの国でも重罪だ」
『そうなのね』
『じゃあ、なんで、そんなものがあるんだよ』
「反属性の素材の特徴は、魔法を無効化することなんだ。だから、魔法の練習に適してるんだよ」
もちろん、その特性から、魔法や魔法使いの対策として軍事研究が行われているものでもある。
『精霊狩りに使われてたものはぁ、見た目は、ただの箱なのよぅ。だからぁ、あんなのに入ったりしちゃだめよぅ?』
『昔は、入っちゃう精霊が居たってこと?』
『狡猾な人間は多い。精霊との取引の仕方も熟知しているんだ』
『精霊を騙すってこと?』
『気付いた時には、遅いってわけだね……』
「あぁ。かなり酷い手法もあったらしいからな。その時からずっと、人間を恨み続けてる精霊も居るぐらいだ」
それぐらい酷い歴史だ。
「ただ、反属性の素材は物理的に簡単に破壊出来てしまうぐらい、とても脆い素材でもある。だから、地下みたいな頑丈な土壁に覆われた場所に素材を貼り付けて使ってるんだよ。……当時、箱の形にしていたのも、反属性の素材を補強する必要があったからだ」
『そんなに脆いのに、魔法では壊せないの?』
「内側から魔法で破壊することは絶対に不可能な造りになってる」
精霊を完全に閉じ込める為の箱だから。
『そんなものがあるなんて……。怖いわ』
「でも、外側からなら魔法でも壊せる」
『え?そうなの?』
「言っただろ?反属性の素材は、そのままじゃ箱の形にすら出来ないぐらい脆い素材なんだ。だから、周りを木材や金属で補強してる。この補強材に強い魔法を叩き込めば、補強材に押し潰されて中身も簡単に崩れるんだよ」
『じゃあ、仲間が捕まっても助けられるのね』
「知識があるなら助けられるだろうな」
反属性を使ったもので実用的なものの代表は、魔法を通さない盾だ。それも、物理攻撃には弱いわけだけど。
「ってわけだから、俺が魔法の練習をしに行く時には、好きな場所に行ってて良いよ。宿舎のロビーに居ても良いし、リリーの所に行ってても良いし」
『そんなわけにはいかないよ』
「あそこに行けば、リリーに呼ばれても転移出来ないんだぞ」
『それは……』
「離れてる間、俺が死ななきゃ良いだけだろ?」
『そうだけどさ』
「わかったなら、行くぞ」
『……はい』
イリスとリリーは良く似てる。
※
魔法部隊の宿舎。
一階のロビーを抜けて、階段を上がって、執務室へ。
ノックをして扉を開けると、執務机に向かっていたレティシアが顔を上げた。
「エルロックか。……制服はどうした」
「制服?」
そういえば、予備部隊のしか持ってないな。
「正規部隊のは持ってない」
「今、用意する」
「要らない」
立ち上がろうとしたレティシアを止める。
「国外に出る申請をしに来ただけだ」
「またか」
レティシアがため息を吐いて、席に座り直す。
それ以外の目的でここに来ることなんてないからな。
棚から申請書を取る。
「いい加減、帰還の書類も提出しろ」
そうだった。
もう一枚書類を出して、棚の脇にあるテーブルで書類を書く。
「いつ帰ったっけ」
「九日だ」
「ん」
把握してるらしい。
「少しは大人しくして居られないのか。王都に不在の期間、お前の兵役は減らないんだぞ」
「別に、減らさなくて良いよ」
そもそも、魔法部隊の活動に参加しなければ兵役は減らない。今の状況なら、いつまで経ってもなくならないはずだ。
「あまり、陛下に甘え過ぎるな」
国王陛下。
「陛下は、なんて言ってるんだ?」
「好きにさせよと仰せだ」
俺が好き勝手できるのは、アレクの意思以上に、陛下のご意向があるからなんだろう。
「良いか。簡単に命を落とすようなことだけはするな。どこへ行こうと、その紋章を持ち帰ることは、お前の義務なのだから」
「わかってるよ」
剣花の紋章。
これは王家の証で、俺が持っていて良いものじゃない。なのに、アレクは俺に持たせた。
―約束しただろう。
―どこへ行っても、必ずここに帰るって。
「アレクにも報告してるのか?」
「報告など不要だ。お前は目立つ」
そんなに目立つとは思わないけど。アレクは何も言わなくても、何でも知ってる。
完成した書類をレティシアに渡す。
帰還の報告書は、あっさり通ったけど、出立の申請書を見たレティシアが、俺を睨む。
「ふざけているのか?」
「ふざけてないよ」
「許可出来ない」
「許可されなくても行く」
レティシアが俺の腕を掴む。
「死にに行くつもりか」
「戦争は終わってる」
「お前は目立ち過ぎる。行けばすぐに捕まるぞ」
なんで、どいつもこいつもダメ出ししかしないんだ。
「何の罪もない冒険者を、誰が捕まえられるって言うんだよ」
「国境ラインがローレライ川に決まったことは、世間では高く評価されている。しかし、お前は戦争でやってはならないことをした」
「やってはならないこと?」
「単独で軍を撃退し、砦を制圧した。……歴史上、こんなことが出来る人間は限られる」
人ならざる者。
―セルメアの悪魔。
「セルメアにとって、お前は人の姿をした兵器だ。セルメアに行けば命はない」
兵器、か。
ただ力でねじ伏せるだけの存在だったんだから、そう言われても仕方ない。
……でも。
「アレクは、俺をセルメアに行かせるなって言ったのか?」
「そんな通達などない。お前が行くなどと考えるはずが……」
「だったら、アレクの許可は出てるよ」
「なんだって?」
「アレクは、俺がセルメアに行くことを知ってる。そして、止めなかった」
むしろ、マーメイドの鱗が欲しいって、注文まで付けてきた。
「嘘だと思うなら、アレクに確かめてみたら良い」
レティシアが黙る。
「申請は出したからな。……地下を借りる」
「魔法の練習をするつもりか?」
「あぁ」
「他の隊員の訓練の邪魔はしないように」
「ん」
たぶん、大丈夫。
執務室を出て、一階のロビーへ戻る。
「エルロックさん」
「ユベール」
ユベールが俺の方に走って来た。
「訓練に参加するんですか?」
「しないよ。下を借りに来ただけだ」
「え?魔法の訓練ですか?」
「そんなところ」
「見に行っても良いですか?」
「見てても勉強にならないぞ」
「それでも構いません」
どうしても付いて来たいらしい。
今回は剣の練習だから、魔法の勉強にはならないと思うけど。
「勉強にならないと思ったら帰れよ」
「わかりました」
「精霊は置いていくこと」
「はい」
「皆も、自由にしてて良いよ」
『了解』
『了解』
『はぁい』
『はーい』
『わかったわ』
『……すぐ戻って来てよ』
「すぐ戻るよ」
ユベールと一緒に、地下の扉を開く。
※
地下には、様々な色の鉱石が埋め込まれた空間が広がっている。
反属性の物質は複雑だ。一定の物質をバランス良く含有する鉱石が反属性と呼ばれるものの、似たような構成の物質を作成したとしても同じ効果は出せない。組成がわかっていても、今のところ人工的に作ることは不可能な素材なのだ。
きっと、気の遠くなるような時間をかけて生成された鉱石だけが、魔法を通さない物質に変化するんだろう。
「エルロックさんって、たくさんの精霊を従えてるんですよね」
「従えてる?」
「炎と闇が有名ですけど、それ以外にもたくさん居るって。どうしたら、そんなに契約できるんですか?」
「そう思ってる限り、精霊と契約なんかできないぞ」
「え?」
「精霊と契約する時に必要な言葉は解ってるか?」
「はい。……温度を上げる神に祝福された炎の精霊よ。請い願う。我と共に歩み、その力、我のために捧げよ。代償としてこの身の尽きるまで、汝をわが友とし、守り抜くことを誓う」
炎の精霊との契約に使う祝詞だ。
「精霊の力を借りる代わりに、人間には、精霊を守る義務がある。お互いを尊重し、信頼し合える関係になれないなら、精霊と契約なんてしない方が良い」
「信頼、ですか」
「精霊の信頼を得ずに、精霊の力を引き出すことは出来ない。俺だって、まだまだ精霊の力のすべてを引き出せてはいないんだ」
「えっ?そうなんですか?」
「あぁ。知識だけじゃどうにもならない魔法は多いよ」
大地の精霊の癒しの魔法。
存在は知っていたけど、俺には、ずっと使うことが出来なかったから。
「僕は、全然、駄目なんです」
ユベールが、目の前で炎の魔法を作る。
「魔法使いの素質があるって言われて。だから、魔法使いになりたくて、魔法部隊に入れて貰ったんですけど……。精霊と契約するのにもすごく時間がかかって。ようやく契約できたのに、全然、使いこなせないんです」
「ちゃんと、精霊と会話してるか?」
「会話?」
「あぁ。契約は、お互いの意志によって行われる。契約してくれたなら、その精霊はユベールに興味があったってことだ。きっと、話したいことがたくさんあるんだよ。たくさん話して、お互いのことを良く知ることから始めてみたらどうだ?」
「それで、魔法が上手く使えるようになりますか?」
随分、焦ってるみたいだな。
「俺の知り合いには、精霊と契約していても魔法なんか全然使わない奴が居るんだ」
「えっ?……じゃあ、何の為に契約したんですか?」
「お互いに気が合ったからじゃないか?」
「それだけで?」
「精霊と契約するっていうのは、そういうことだ」
「魔法の為じゃないってことですか?」
「魔法の使用は、契約する理由の一つでしかない。魔法使いである限り、精霊とは一生の付き合いになる。お互いに簡単に切り離すことの出来ない関係になるんだ。……精霊は、それを理解した上で契約を結んでくれてるんだよ」
俺と契約している精霊は皆、それを知ってる。
悠久の時を生きる精霊と、百年も生きることのない人間では、時間の概念なんて比べようもないけれど。契約してくれた精霊は、その時間の一部を俺と共に過ごすと決めてくれた存在だ。
「僕は……。そこまでの覚悟はしてなかったです」
「心配しなくても、これからいくらでも上手くやっていく方法はある。相手を尊重して友情を築こうと思えば、いくらでも」
「友情……」
精霊と釣り合いようもないほど弱い存在の人間が差し出せる代償。
契約に使われる祝詞は、それが、精霊が望んでくれているものだと教えてくれる。
ユベールが頷く。
「はい。やってみます」
一般人にとって精霊は身近な存在じゃない。
養成所みたいに精霊や魔法について正しく学べる機会がないなら、精霊とコミュニケーションを取ることは簡単じゃないんだろう。
「それから。多くの精霊と契約していれば良いってわけじゃない」
「そうなんですか?」
「魔法っていうのは、魔法使いと精霊の絆の力なんだ。繋がりが強ければ強いほど、より強く、より大きな力が引き出せる。一人の精霊と真っ直ぐ向き合うだけで十分強くなれるんだよ」
フラーダリーが、そうだった。
俺は、バニラの本来の力の半分も引き出せていないだろう。
「エルロックさんは強いです」
「俺は強くなんてない。精霊と一緒に居るのだって、弱いからだ。一人じゃ何もできないから、誰かと一緒に居たいって考えるんだよ」
その結果が、今。
何度失っても、誰かと一緒に居たいと思ってしまう。自分と一緒に居ることで大切な人が犠牲になるかもしれないってわかってるのに。それでも、リリーを求めてる。
「かっこいいです!」
「……は?」
「僕、やっぱりエルロックさんみたいになりたいです」
なんで。
「俺みたいになるなんて言わない方が良い」
「どうしてですか?」
「レティシアに恨まれる」
ただでさえ、ろくに活動に参加してないのに。
ユベールが笑う。
「隊長と仲が良いんですよね」
「そう見えるのか」
「はい。隊長は、エルロックさんのことを信頼しています」
「まともに仕事してないけどな」
「自由なところが良いって言ってましたよ」
「自由?」
意外だな。
お堅いレティシアらしくない。
「どこに居ようと、困ってる人は絶対に放っておかないって。この前も、命がけで猫を助けたって聞きました」
「命をかけるようなことはしてないぞ」
火の回りが早かったら危なかったけど、あれぐらいなら平気だ。
「僕も、早く、王都の人たちに頼られるような存在になりたいです」
それは、フラーダリーの望み。
「あぁ。頼むよ」
魔法部隊が目指してるものが何か、ちゃんとわかってるなら大丈夫だろう。
片手剣を構える。
「剣の稽古をするんですか?」
「魔法だよ」
「え?」
街中で魔法を使った稽古なんて出来ないからな。
風の魔法で間合いを取る方法を練習しておかないと。
リリーと手合わせをした時は、避けきれない攻撃が何度もあった。もっと相手を翻弄するような、距離感を見誤らせるような動きをしないと避けられない。
本当に。片手剣だったから、どうにかなったものの。あれがリュヌリアンの攻撃だったらと思うと、ぞっとする。




