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073 サクサク

 家に帰ると、何故か焼菓子の香りがした。

 ……まさか。

 急いで台所に行く。

「リリー」

 呼びかけると、オーブンの前に居たリリーが笑顔で振り返った。

「おかえりなさい、エル」

『おかえり』

『おかえりなさい』

「ただいま。……何やってるんだ」

 大人しく寝てると思ったのに。

「サブレを焼いてるの」

 ……違う。

『たぶん、エルが聞いてるのはそう言うことじゃないと思うよ』

「え?」

 ミトンを付けたリリーが、呑気に首を傾げる。

「なんで、寝てないんだよ」

 リリーの傍に行って、頬に触れる。

 ……熱い。

「あの、熱いのは、今、オーブンの傍に居たからで……」

 石鹸の香りがする。シャワーを浴びたのか。病み上がりなのに。

 もっと早く帰るんだった。

 少し遠回りしてきたけど、結局、良い地図は見つからなかった。

「あ、ちょっと待ってて」

 俺の手をすり抜けたリリーが、オーブンから鉄板を出す。店売りのように綺麗な形のサブレが整列している。焼き具合を確認した後、リリーがサブレを籠に入れた。

 良い香り。

「食べて良い?」

「まだ熱いと思うよ」

 なら、雪の魔法で……。

「魔法は駄目だよ。余熱でも火が通るし、急激に冷やしたら割れちゃうかもしれないから」

 駄目らしい。

 リリーがオーブンから鉄板を二枚出し、同じようにサブレを籠に移す。

 ふらついてる様子もないし、熱は下がってるんだろう。

「ジンジャミエルサブレだよ」

「ジンジャミエルサブレ?」

「ジャムを練り込んで作ったの」

 この香りは、バターとジンジャミエルのものらしい。

「午後から、アラシッドさんの所に行っても良い?」

「駄目に決まってるだろ。今日は休むって言って来た」

「もう元気だよ?」

「無理しない方が良い。外で子供たちも心配してたんだぞ」

「なら、元気になったところを見せた方が良いよね?」

 何を言っても無駄か。

 リリーの髪を撫でて、手に取った一房にキスをする。

「そんなに元気なら、一日、俺に付き合って」

 一緒に居て。

「あの……。もう少し、待っててくれる?」

 リリーがオーブンを見る。

「まだ何か焼いてるのか?」

「ちょっと違うサブレも焼いてるの。あ、こっちは、そろそろ食べても大丈夫だと思う」

 粗熱の取れたサブレを一枚取って、食べる。

「美味しい」

 ジンジャミエルの香りがする、しっとりしたサブレだ。食べやすい。

 リリーが頬に手を当てて美味しそうに食べる。可愛い。

「エルって、魔法剣士として、どれぐらい修業してたの?」

「修行なんかしてないよ」

「え?」

「前も話したけど。魔法剣士の技術っていうのは、剣術の応用だ。自分のスタイルに上乗せして使うから、応用の仕方も人それぞれなんだ」

「習うようなものじゃないってこと?」

「少なくとも、一から十まで教わることが出来るようなものじゃない。魔法使いは自分が魔法使いであることを隠すのが一般的だし、使える魔法の種類もレベルも人によって違うからな。剣術のような技術の継承がない分野なんだよ」

 精霊を剣に宿すぐらいなら、良い剣さえあれば誰でも出来ることなんだけど。

「ただ、剣術の基礎が出来てることは大前提だ。俺は、レイピアの基礎を養成所で習ってたんだよ」

「本当に、基礎だけ?」

 詰めてくるな。

「後は、ずっと騎士の稽古に付き合わされてた」

「エル、騎士を目指してたの?」

「違う。養成所には、魔法を学びたい騎士の卵も居たんだよ。……さっきも話したように、魔法剣士を目指すなら自分に合ったスタイルを構築しなきゃいけない。その為には、魔法への理解が必要不可欠だ」

「騎士が魔法の勉強をしに来てたの?」

「養成所は、最先端の魔法を学ぶことが出来る数少ない場所だからな」

 魔法使いの素質を持っていたとしても、知識が無ければ精霊との契約すら出来ない。その為、ラングリオンでは貴族を中心に年頃の子供に適正検査を行っている。適正がある者に対し、養成所への入学を積極的に勧めるのだ。

 素質があるなら精霊との付き合い方ぐらい学んでおいても損はないだろう。

「あれ?でも、エルは魔法を専攻してないんだよね?」

「あぁ。俺の専攻は、錬金術だったからな。……まともに魔法を使うようになったのは、エイダと会ってから。今でも魔法は下手だって良く言われるよ」

 エイダと会ったのは二年前。

 それまでに使ってた魔法と言えば、夜中に養成所から抜け出す為に、姿を隠す闇の魔法を使って歩いてたぐらいか。

 おかげで、自分にかける魔法のコントロールだけは上手くなってたかもしれない。

「じゃあ、魔法剣士としてのスタイルを構築していったのも、二年前からってこと?」

「ん……。最低限の理論は知ってたからな」

 剣術の授業では、魔法剣士について学ぶ授業もある。

「この前話した通り、自分の魔力管理をしっかりすることや、相手にばれないようにするのは基本だ。後は、自分の剣術に足りない部分を補ったり、強化するように魔法を使うだけ」

 俺の場合、こちらが優位を取れる間合いを保つ為に魔法を使うと決めているから、応用はしやすい。これを攻撃を主体としたものに変えるなら、かなり違う使い方になるだろう。

「もしかして、エルが魔法使いなのに接近戦が得意なのは、魔法よりも剣術を重点的に学んだからなの?」

「接近戦が得意?俺が?」

「だって、エルがいつも居る場所って、乱戦になったらすぐに巻き込まれちゃうような場所なんだもん」

「近くに居ないと、支援が間に合わないだろ」

 敵の目の前にリリーだけ残すなんて、出来るわけがない。

「私なら大丈夫。魔法使いが得意なのは、後方支援でしょ?本来なら、剣士である私が前衛に立ってエルを守る立場なんだよ」

「何言ってるんだよ。リリーを危ない目に合わせるなんて……」

「信じて、エル。私、魔法なんて効かないし、簡単に負けたりしないから」

 リリーが強いのは知ってるけど。

「王都で亜精霊と戦った時に、怪我しただろ」

 リリーの頬に触れる。

 もう、綺麗に治ってるとはいえ……。

「あんなの平気だよ」

「平気じゃない」

「じゃあ、私が一撃でもエルに攻撃を当てられたら、信じてくれる?」

「本気のリリーに勝てるなんて思ってないよ」

「それは、エルの方だよね?」

「どういう意味だ?」

「エルは、もっと強いはずだよ。こんなにたくさんの精霊と契約しているのに、私と戦った時に使ったのは風の魔法だけだった。エルなら、もっと有効な魔法の使い方をたくさん編み出してるはずだよね?」

 ばればれだな。

 そういうところが、剣士として俺より優秀な証拠だ。

 リリーだったら、俺よりもっと上手く魔法を剣技に応用出来るかもしれない。

『あのさ。砂時計の砂が落ちて結構経ってるけど、大丈夫?』

「あっ」

 リリーが慌てて、オーブンを開きに行って、鉄板を出す。

 香ばしい香り。新しい籠に次々と移されていくサブレは、さっきのとは形が違う。

 有効な魔法の使い方、か。

 集中して。

 さっき、ジオとユールから教わったロープを作って、作業を一段落させたリリーを縛る。

「えっ?」

 あっさり縛れた。

「これ……。魔法?」

 風のロープでは掴めなかったのに、真空と風の合成魔法で作ったロープなら掴めた。やっぱり、無属性なら女王の娘にも有効なのか?

「解けるか?」

 リリーがもがくと、あっさりロープは切れた。

 風のロープよりも強度が低いな。もう少し練習を重ねて、強度を高めないと。

「私、呪いが解けただけじゃなく、魔法も効くようになったの?」

「違うよ」

 風のロープでリリーを縛ると、すぐに霧散した。

「あれ?」

「今のは、一般的な風のロープ。魔法だよ。でも、さっきのは、真空と風の魔法で作った無属性のロープなんだ。……一般的な魔法はリリーに効かないけど、無属性の魔法なら効くみたいだな」

「無属性?」

 反属性同士を組み合わせて作られる無属性の魔法なんて。これは、まだ実証されていない新しい理論だ。

「こんなの使われたら、勝てない……」

「これは、剣術に応用できるような技じゃない」

「そうなの?」

「まだ練習中だからな」

 こんな複雑なロープを作るぐらいなら、風のロープを使った方が早い。もう少し強度が期待できるものならともかく、今のところ、リリーを縛る目的でしか使えない。

「また縛って良い?」

「うん」

 即答か。魔法の練習だと思われてるな、これ。

 リリーにキスをする。

「食べて良い?」

「えっ?」

 リリーが視線をそらす。

「うん。良いよ。そろそろ大丈夫だと思う」

 視線の先にあるのは、サブレ。

 後から焼き上がった方を取って食べると、口の中で、さっきとは違う音が鳴った。

「美味い」

 食感が全然違う。

 サクサクしてる。

「焼成時間の違いは、この為?」

「うん。大きさと厚さを変えてるけど、配合は同じなんだよ」

 同じと思えない。

「両方美味しいけど、こっちの方が好きだな。香ばしい」

 美味しい。いくらでも食べられそうだ。

 リリーが笑う。

「今度、ペッパルカーコルを作ってあげる」

「ペッパルカーコル?」

「スパイスの効いたサブレだよ。きっと、好きだと思う」

 そっちも美味そうだ。

「コーヒーの菓子はいつ作ってくれるんだ?」

「えっと……。レイピアができたら?」

「楽しみにしてる」

 菓子に向いたコーヒーもあるのかな。今度、一緒に探しに行っても良いかもしれない。

 オーブンは空っぽだ。サブレはこれで全部らしい。

「あのね、お昼の準備もしてたの」

「昼?」

「パンペルデュを作ろうと思って」

 台所には、卵液に浸されたバゲットがある。

「焼くのは俺がやるよ」

「じゃあ、紅茶を用意して良い?」

「あぁ。頼むよ」

 お湯を沸かしながら、フライパンを火にかけてバターを落とし、パンペルデュを乗せて焼く。

 変わった香りがする。そういえば、グラシアルではカルダモンを入れるんだっけ。甘ったるい匂いがしないのは、そのせいか?

「今日のはね、砂糖もミエルも使ってないんだ」

「なんで?」

「甘いのは苦手かなって。ミエルは、後からかけても美味しいと思うから」

 俺の為に?

 横で紅茶の準備をしているリリーの頬にキスをする。

「好きだよ。リリー」

「えっ?」

 驚いて、困って、俯いて。

「私も……。エルが好き」

 キスをして。

 その言葉をもらうだけで心が明るく弾む。

「食べたら、少し休もう」

 

 ※

 

 部屋に戻って、カーテンを閉じる。

「まだ心配してるの?」

 ベッドに座っているリリーは、顔も赤くないし、今朝のような熱もない。他に調子が悪そうなところもなさそうだ。

「もう大丈夫だよ」

 発熱の原因は昨日の疲れ?

 リリーの隣に座って、頬を撫でる。

「じゃあ、キスして良い?」

「……うん」

 目を閉じたリリーにキスをして、頬に頬を寄せて、柔らかい肌を唇でゆっくりなぞる。

「綺麗だよ。リリー」

 きめ細かくて繊細で、ずっと触れていたい。

「真珠みたいだ」

「真珠?」

 艶めく髪を指で梳いて、指に絡めた髪にキスをする。

「そういえば、真珠にも黒があったっけ」

「黒真珠のこと?」

「そう。滑らかで艶があって。触り心地がすごく良い」

 目元にキスをして、輝く瞳を見つめる。

「これ以上、美しい宝石なんてない」

 何もかも愛おしい。

「宝石なんて……。私、ただの黒だし、」

「黒がこんなに美しくて惹かれる色だって知ったのは、リリーと会ってからだ」

 もっと、良く見せて。

「リリーの輝く瞳の中には、いくつもの煌めきが見える」

 いつまでも見つめていられる。

「だめ……」

「だめ?」

「それ以上、言わないで」

 ようやく、たくさん言えるのに?

「私は、エルの髪の方が好きだよ」

 俺も、リリーに撫でられるのは好き。

「エルの瞳も全部。大好きなの」

 その言葉がどれだけ嬉しいか……。

「愛してる」

 堪らなく好き。

「愛してる」

 どれだけ言葉にしても足りない。きっと、物語を勉強していたら、もっと上手く伝えられたのかもしれない。

 キスをして。

 昨日のように。

 言葉だけじゃなく、もっと。



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