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薄明に繋ぐ弧弦, エルの物語  作者: 智枝 理子
Ⅱ-ⅳ.Heure dorée
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070 アンブレット

 夕食後。

 ルイスと一緒に研究室へ。

「これが、課題の薬」

 本来なら薬は茶色の遮光瓶に入れるんだけど、課題の薬は、観察しやすいように透明な薬瓶に入れるように指導している。

 不純物もなく透明度も高い。良い色だ。

 蓋を開けて液体を少し垂らす。雫も滑らかで、良い粘度だ。これだけ美しく仕上げられれば、高い効果を発揮する。

「合格だ。最高級品だよ」

「本当?見本の色みたいにはならなかったんだけど……」

「これがこの薬の正しい姿なんだよ。煮沸処理の時にきちんと火加減に気をつけてやった証拠。良い出来だ」

 何より、見本に惑わされずにレシピ通りのものを提出したのも良い。

「店売りしてる見本は高火力で一気に仕上げたものなんだ。一般的な薬屋で出してるのは、こういうのが多い」

「どうして?」

「まず、作り方が簡単だ。作業に気を使わなくて良いから量産しやすい。それに、色が綺麗な方が喜ばれるからな」

「遮光瓶に入れるのに、色なんて気にする?」

「そういうものだよ。他店で美しい色で売られているのを知ってるんだ。いくら薬の効果が高いと言っても、一般人には響かない。購入にも使用にも心理的な抵抗が生まれる」

「エルの薬なら、皆、信頼すると思うよ」

 錬金術師の手腕を信頼してくれるのは嬉しいけど。

「言っただろ?ルイスの薬は最高級品だって。店売りのは、結局、効果も売り値も下がるんだ」

「そっか……。良いこと尽くしなんだね」

 その通り。

「言うようになったじゃないか」

「まぁね」

 常備薬なんて安くて良い。高い薬なんて買わなくても、要求に合わせた薬を俺が作る。

「エル」

「ん?」

 ルイスが口元に手を当てながら俺を見上げる。

「何かあった?」

「何かって?」

 ルイスが唸る。

 ……あれ?

「他にも何か作ったのか?」

 作業台に、今回の課題と関係ない薬品が並んでる。いや、ハーブのエキスだ。

「カミーユから教わったレシピを試作してたんだ」

「何の薬だ?」

「内緒」

 ハーブを使ったルイスの課題になるようなレシピ……?

「出来たら教えるから。今日は、もう行って」

 ルイスに押されて、研究室を出る。

 

 ハーブを使ったレシピはいくつかある。でも、作業台に並んでたのは香水でも作るようなラインナップだった。……カミーユの奴、変なこと教えてないだろうな。

 

 階段を上がって部屋へ。

 まだ、夢見心地が抜けない。

 現実に起きたことだっていう実感がともなわない。

 こんなの初めてだ。

 ……落ち着こう。

 サイドテーブルのランプに明かりを灯して、ベッドに座って本を開く。手元にランプを寄せると膝の本が落ちた。拾おうと床に向かって手を伸ばしたところで……。

「あ」

 首に下げていた鎖が落ちて、紋章がぶら下がる。

 剣花の紋章。

『大丈夫か?』

「ん……。大丈夫」

 浮ついてるだけ。

 紋章を外してサイドテーブルに置き、本を開く。どこまで読んだっけ。店番しながらゆっくり読めると思ってたのに、忙しくて全然捗らなかった。明日は店を開けずに、丸一日、読書の日にしようかな。

 

 ※

 

 しばらくして、リリーが部屋に戻ってきた。

「おかえり」

「ただいま」

 良い香りがする。これは……。

「ジャスミン?」

「そう。ジャスミンティー。キャロルが貰ったんだって」

 リリーが紅茶セットをサイドテーブルに置き、ジャスミンティーを注ぐ。

 丁度、何か飲みたいと思っていたところだ。

「これ、外して良いの?」

 これ?

 剣花の紋章か。

「家に居る時ぐらい外すよ」

『エル。外してはいけない』

 バニラは、すぐにそう言う。

「出かける時は、ちゃんとつけてるだろ」

『すぐに忘れるだろう』

「忘れたことなんて……」

『あるわよぅ』

『出先で風呂に入った時に忘れかけただろう』

 つけ忘れたのはすぐに思い出したのに、バニラにかなり怒られたんだ。それ以来、シャワーの時も外してない。

「形見なんだよね?」

「形見?」

「だって……。フラーダリーが持ってたものなんだよね?」

 そうなんだけど。

 リリーが淹れてくれたジャスミンティーを飲む。

「まず、これはフラーダリーのものじゃない」

「そうなの?」

「国王陛下がフラーダリーに肌身離さず持つよう渡していたものなんだ。だから、フラーダリーの死後、国に返還されてる」

「返したの?」

「そう。でも、その後、アレクが俺に渡してきたんだ。肌身離さず持ってろって」

「そうだったんだ」

 大切なものだから、どこへ行っても必ず持ち帰らなきゃいけない。この場所に。

 カップをテーブルに戻すと、リリーが隣に座った。

「あの……。これ」

「ん?」

 ピンク色の液体が入った透明な薬瓶。

「飲んでみて」

 もらった小瓶を眺める。

 これ、ルイスだろ。

 ラベルはない。わざわざこんな色に着色するような薬なんて、あれしかないんだけど。

 蓋を開けて匂いを嗅ぐ。おぉ。良い香りだ。傾けて舐めてみる。痺れはないな。甘味を感じる。

「毒じゃないよ?」

 その心配はしていない。

 一口、口に含む。意外だな。甘みがある割に飲みやすい。むしろ、かなり好みの味。

「飲んだよ。何の薬なんだ?」

「えっと……」

 言えない薬?

「何ともないの?」

「どうかな」

 本と小瓶をサイドテーブルに置いて、リリーを膝の上に引き寄せ、こめかみにキスをする。

「あのね……」

 もし、リリーが薬の効能を知った上で俺に飲ませたのなら……。

「キスして欲しいの」

「え?」

 本当に?

「エルと、ちゃんと、したくて」

 したいって。

「たぶん、私よりもエルの方が詳しいと思うし……」

 ちょっと待て。

「確かめたいの」

 今、何の話をしてる?

「だから……」

 輝く瞳の上目遣い。

「だめ?」

 理性が吹き飛ぶ。

 もう、限界。

 きつく抱きしめて、柔らかい唇に唇を重ねる。

「愛してる」

 抑えきれない。

 そのまま倒れ込んで熱いキスを繰り返す。リリーがこんなに応えてくれるなんて。本当に、だめじゃない?嫌がられてない?俺を求めてくれてる?

 リリーの腕が伸びて、抱き寄せられた。

 あぁ、本当に?信じられない。

 もっと、応えて。抱きしめて。

 幸せ。

 体中が熱い。止められない。

「愛してる」

 もっと、求めて。愛して。

「良い?」

 もっと、触れたい。

「うん」

 指先から、重なった場所から自分とは違う熱を感じる。ぬくもりが身も心も満たしていく。呼吸も忘れるくらい夢中になっていて、もう離したくないし離れたくない。

 ずっと、こうしたかった。愛し合いたかった。もっと……。

「待って、エル」

 だめだ。離れないと。

 落ち着け。

「ごめん、リリー」

 リリーが俺の頬に触れる。

「ごめんなさい。……大丈夫」

 本当に?

「嫌なことは嫌だって言って」

「嫌じゃないよ」

 ちゃんと拒否されなきゃ、自分を止められない。

「教えて。どんな些細なことでも。不安になったら言って」

 不安そうなリリーの髪を撫でる。

「好きな人が泣くようなことなんてしたくないんだ」

 あの日、泣かせてしまったから。

 もう二度と、あんな思いはさせたくない。

「嫌なわけじゃないの。ただ、はじめてだから……」

「はじめて?」

「誰かをこんなに好きになったのも、恋人になったのも、全部、はじめてで、だから、ちょっと怖くて……」

「ごめん」

 また、怖がらせてしまった。

「エルが怖いわけじゃないの」

 離れようとしたのに、リリーに捕まる。

「好きな人と一緒に居られるのがすごく嬉しくて。もっと、知りたいし、一緒に色んなことをしたい。エルとなら、なんでもできるって……。でも、想像がつかないことばかりで、ちょっと怖くて、でも、進みたくて……」

 その輝く瞳で見つめられるだけでくらくらするのに、そんなに可愛い仕草をしないで。

「私、変じゃない?」

 染まる頬にキスをする。

「どんなリリーも好きだよ。もっと、俺の知らないリリーを知りたい」

「私の話、聞いてた?」

「もちろん。少しも変じゃない。もっと、リリーを教えて」

 今みたいに話して。言葉にして教えて。

「私も、エルを知りたい」

 好きなことも嫌なことも。嬉しいことも悲しいことも。して欲しいことも、して欲しくないことも。全部。

「だから……」

 キスをして。

「もう、止めないで」

 ずっと、欲しかった。

「愛してる」

 ようやく好きなだけ伝えられる。

「愛してる」

 気持ちを受け取ってもらえる。好きだって、愛してるって、どれだけいっても足りない。もっと求めて。求められる喜びを感じて。もっと深く触れて。魂まで届くほどに。繋いで。全部、受けとめて。

 あぁ、幸せ……。

「好きだよ、リリー」

「私も。エルが好き」

 もう何度重ねたかわからない唇に唇を重ねる。全然、熱が冷めない。満たされているのに、まだ欲しい。離れられない。愛しくて好きでたまらない。

 ずっと、こうしていて。

 鼓動と呼吸が落ち着くまで。まだ……。

「あのね、エル」

「ん?」

「私、エルの魔力、奪ってない?」

 魔力?そういえば、全然、平気だ。こんなにしてるのに。

「呪いが解けたのか?」

「私、呪いが解けたの?」

 なんで、リリーが驚くんだ。

「呪いが解けたかどうか、リリーにはわからないのか?」

「わからないの。でも、イリスがエルとキスしても全然、魔力が流れて来ないって言うから。だから、確かめたくて……」

 確かめる?

 まさか、さっき、リリーが俺にキスしてって言ったのは、呪いを確かめる為だったのか?

 そうだよな。そうじゃなきゃ、リリーからキスをねだるわけない。

「リリー。俺の魔力を奪うことを願って」

「えっ?」

「呪いに抵抗してたらわからないだろ?」

「でも……」

 やっぱり嫌か。

 なら、後で確かめよう。リリーが寝ている時に試せば確実だ。

「だめ」

 だめなのか。

「今、して?」

 可愛い。

 リリーの唇にキスをする。

 魔力が持っていかれる感覚もないし、目眩も起きない。

「リリーの目から見て、俺の魔力は減ってるか?」

「全然、減ってない」

 つまり、リリスの呪いが消えた?

「どうやって?」

「わからない」

「いつから?」

「それも、わからないの。イリスに聞いても、最近は、その……。いっぱいしてたし、いちいち気にしてないって」

 何度もしたせいで呪いが効かなくなった?そんなはずないよな。呪いは耐性がつくようなものじゃない。解呪の為の特別な儀式を行ったわけでもない。それに類するようなことが起きたとも思えない。

 呪いは、どうやって解けたんだ?

「エル」

 呼ばれて、唇を重ねる。

 愛してる、リリー。

 ずっと、こうしたかった。

 解呪の手続きはわからないままだけど、これで一つ、リリーを自由にすることができた。

 でも、これだけじゃない。

「リリー。教えて。呪いの他にリリーを縛るものを」

 俺を信じてくれるなら、すべて話して。

「誓約」

「誓約?」

「紅のローブに誓約をしたの。呪いを受け入れ、次期女王となる為に三年後、帰還することを誓います。って」

 出発前に、帰還の約束をさせていたのか。

「紅のローブって、リリーよりも格上の存在なのか?」

「うん。女王の次に偉い人。私に呪いをかけたのも紅のローブだよ」

「そいつが、リリス?」

「名前はわからない。いつも女王の間の前に居て、女王を守ってる人だってことしか。ポラリスみたいに全身を隠す紅のローブを着てるから、紅のローブって呼ばれてる」

 ポラリスみたいに、か。

 正体を隠し続けてるってことは、悪魔である可能性が高いな。

「あのね」

「ん?」

「女王になった人はね、一人も帰って来てないの」

「帰ってないって……」

「街に戻って来た人は一人もいない」

「いない?だって、女王は定期的に交代するんだろ?」

「交代じゃないの。新しい女王が選ばれるだけ。選ばれた女王は女王の間に入るけど、その後、女王の姿を見た人は誰も居ない」

「なんだって?」

 一度入ったら、二度と出てこない?

「女王は、この国の礎なの」

―女王になった瞬間から、その魔力を国中にそそぐ役割を担うんだ。

―……あの城は、その為の装置。

「女王が国中に魔力を与えて、国を豊かにしている存在だって、皆、知ってる。そして、実際にグラシアルは女王の力で豊かになってる。皆、女王の力を信じてるの。だから……。女王に逆らえないの」

「信じてるから逆らえない?信頼があるなら恐怖なんて感じないはずだろ」

「同じだよ。皆、女王の力がどれだけ大きいか知ってる。その力が、恩恵ではなく天罰に変わることが怖いの。……だから、誰も女王に逆らえない」

 天罰。

 大き過ぎる力がもたらすものは、恩恵ばかりじゃない。安易に頼り過ぎて良いものじゃないってことは、誰もが感じてることなんだ。代償を何も支払わなければ、いずれ、代償を支払う時が来る。

 俺の故郷のように。

 まさか、その代償が女王の娘?数十年に一度、誰かを犠牲にしなければならない?

「リリー。あの国には、本当は女王の娘なんて必要ないんだ」

「え?」

「グラシアルには、不老不死の初代女王が居る。氷の大精霊と共に」

「嘘……」

 リリーも全く知らないんだな。でも。

「イリス、本当なの?」

 女王と契約してるイリスは知ってるはずだ。

『本当だよ』

「本当、なの……?」

 ポラリスの言う通りか。

『エル。一体、どこで知ったんだ』

「大精霊と契約した者は、望めば不老不死になることが可能だっていうのは知ってるか?」

「同化のこと?」

「そうだ。俺は、女王の持つ絶大な魔力の一端は、氷の大精霊にあると思ってる。大精霊と契約して恩恵を受けた初代女王は、その力を手放したくないと考えたんじゃないかって。そして、同化することを選んだんじゃないかって」

 だから、次期女王なんて必要ない。

「じゃあ、どうして……?」

 女王の娘が必要な理由。

 女王に選ばれた娘が消える理由。

 呪いを使った魔力集めとも考えられるけど。これが行われるのは数十年に一度の女王の代替わりの時のみで、たった五人の娘しかやらないことだ。到底、魔力を国中に行き渡らせる量を賄えるとは思えない。

 考えられるのは……。

 だめだ。結論を急ぐわけにはいかない。

「今はまだ、答えを出せるほどの情報がない。でも、必ず答えを見つける」

 すべて解き明かして、必ず、自由にする。だから。

「信じて」

「うん。信じる」

「ありがとう。リリー」

 信じてくれて。

 話をしてくれて。

「いつも私の為に頑張ってくれて、ありがとう」

「リリーが欲しいんだ。俺だけのものにしたい」

「私はもうエルのものだよ」

「なら、俺もリリーだけのものだ」

 リリーの手を取って、手のひらから手首へキスをする。

「怖くなかった?」

 止められなかった。気持ちが焦り過ぎて。急かす必要なんてないのに。

「冒険みたいだった」

「冒険?」

「はじめてで、知らないことばかりで。でも、エルは私の話をちゃんと聞いてくれて、大切にしてくれたから」

 輝く瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。

「エルとなら大丈夫って、信じられたの」

 出会ってから今までのことみたいだ。

 赤く染まる頬を撫でて、キスを交わす。

 受け入れてくれてありがとう。

 そういえば……。

「これ、何の薬か知ってるのか?」

 ルイスはリリーになんて言ったんだ?

「ハーブがブレンドされてて、少し酔った感じになるって聞いたよ」

 酔った感じ、ねぇ。

 手にした薬を飲み干す。

「飲んで大丈夫?」

 確かに、薬酒のようだ。

 空瓶を置いてランプを消すと、天窓から差し込んだ明るい満月がリリーを照らした。

「きれいだよ」

「あ、の……」

 可愛い。恥ずかしそうに俯く仕草もすべて愛らしくて愛おしい。

 柔らかな唇なら小さな声が漏れる。

「ありがとう」

 あぁ、本当に好き。

「愛してる」

 リリー。キスをして。一晩中、甘い香りで包んであげる。



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