070 アンブレット
夕食後。
ルイスと一緒に研究室へ。
「これが、課題の薬」
本来なら薬は茶色の遮光瓶に入れるんだけど、課題の薬は、観察しやすいように透明な薬瓶に入れるように指導している。
不純物もなく透明度も高い。良い色だ。
蓋を開けて液体を少し垂らす。雫も滑らかで、良い粘度だ。これだけ美しく仕上げられれば、高い効果を発揮する。
「合格だ。最高級品だよ」
「本当?見本の色みたいにはならなかったんだけど……」
「これがこの薬の正しい姿なんだよ。煮沸処理の時にきちんと火加減に気をつけてやった証拠。良い出来だ」
何より、見本に惑わされずにレシピ通りのものを提出したのも良い。
「店売りしてる見本は高火力で一気に仕上げたものなんだ。一般的な薬屋で出してるのは、こういうのが多い」
「どうして?」
「まず、作り方が簡単だ。作業に気を使わなくて良いから量産しやすい。それに、色が綺麗な方が喜ばれるからな」
「遮光瓶に入れるのに、色なんて気にする?」
「そういうものだよ。他店で美しい色で売られているのを知ってるんだ。いくら薬の効果が高いと言っても、一般人には響かない。購入にも使用にも心理的な抵抗が生まれる」
「エルの薬なら、皆、信頼すると思うよ」
錬金術師の手腕を信頼してくれるのは嬉しいけど。
「言っただろ?ルイスの薬は最高級品だって。店売りのは、結局、効果も売り値も下がるんだ」
「そっか……。良いこと尽くしなんだね」
その通り。
「言うようになったじゃないか」
「まぁね」
常備薬なんて安くて良い。高い薬なんて買わなくても、要求に合わせた薬を俺が作る。
「エル」
「ん?」
ルイスが口元に手を当てながら俺を見上げる。
「何かあった?」
「何かって?」
ルイスが唸る。
……あれ?
「他にも何か作ったのか?」
作業台に、今回の課題と関係ない薬品が並んでる。いや、ハーブのエキスだ。
「カミーユから教わったレシピを試作してたんだ」
「何の薬だ?」
「内緒」
ハーブを使ったルイスの課題になるようなレシピ……?
「出来たら教えるから。今日は、もう行って」
ルイスに押されて、研究室を出る。
ハーブを使ったレシピはいくつかある。でも、作業台に並んでたのは香水でも作るようなラインナップだった。……カミーユの奴、変なこと教えてないだろうな。
階段を上がって部屋へ。
まだ、夢見心地が抜けない。
現実に起きたことだっていう実感がともなわない。
こんなの初めてだ。
……落ち着こう。
サイドテーブルのランプに明かりを灯して、ベッドに座って本を開く。手元にランプを寄せると膝の本が落ちた。拾おうと床に向かって手を伸ばしたところで……。
「あ」
首に下げていた鎖が落ちて、紋章がぶら下がる。
剣花の紋章。
『大丈夫か?』
「ん……。大丈夫」
浮ついてるだけ。
紋章を外してサイドテーブルに置き、本を開く。どこまで読んだっけ。店番しながらゆっくり読めると思ってたのに、忙しくて全然捗らなかった。明日は店を開けずに、丸一日、読書の日にしようかな。
※
しばらくして、リリーが部屋に戻ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
良い香りがする。これは……。
「ジャスミン?」
「そう。ジャスミンティー。キャロルが貰ったんだって」
リリーが紅茶セットをサイドテーブルに置き、ジャスミンティーを注ぐ。
丁度、何か飲みたいと思っていたところだ。
「これ、外して良いの?」
これ?
剣花の紋章か。
「家に居る時ぐらい外すよ」
『エル。外してはいけない』
バニラは、すぐにそう言う。
「出かける時は、ちゃんとつけてるだろ」
『すぐに忘れるだろう』
「忘れたことなんて……」
『あるわよぅ』
『出先で風呂に入った時に忘れかけただろう』
つけ忘れたのはすぐに思い出したのに、バニラにかなり怒られたんだ。それ以来、シャワーの時も外してない。
「形見なんだよね?」
「形見?」
「だって……。フラーダリーが持ってたものなんだよね?」
そうなんだけど。
リリーが淹れてくれたジャスミンティーを飲む。
「まず、これはフラーダリーのものじゃない」
「そうなの?」
「国王陛下がフラーダリーに肌身離さず持つよう渡していたものなんだ。だから、フラーダリーの死後、国に返還されてる」
「返したの?」
「そう。でも、その後、アレクが俺に渡してきたんだ。肌身離さず持ってろって」
「そうだったんだ」
大切なものだから、どこへ行っても必ず持ち帰らなきゃいけない。この場所に。
カップをテーブルに戻すと、リリーが隣に座った。
「あの……。これ」
「ん?」
ピンク色の液体が入った透明な薬瓶。
「飲んでみて」
もらった小瓶を眺める。
これ、ルイスだろ。
ラベルはない。わざわざこんな色に着色するような薬なんて、あれしかないんだけど。
蓋を開けて匂いを嗅ぐ。おぉ。良い香りだ。傾けて舐めてみる。痺れはないな。甘味を感じる。
「毒じゃないよ?」
その心配はしていない。
一口、口に含む。意外だな。甘みがある割に飲みやすい。むしろ、かなり好みの味。
「飲んだよ。何の薬なんだ?」
「えっと……」
言えない薬?
「何ともないの?」
「どうかな」
本と小瓶をサイドテーブルに置いて、リリーを膝の上に引き寄せ、こめかみにキスをする。
「あのね……」
もし、リリーが薬の効能を知った上で俺に飲ませたのなら……。
「キスして欲しいの」
「え?」
本当に?
「エルと、ちゃんと、したくて」
したいって。
「たぶん、私よりもエルの方が詳しいと思うし……」
ちょっと待て。
「確かめたいの」
今、何の話をしてる?
「だから……」
輝く瞳の上目遣い。
「だめ?」
理性が吹き飛ぶ。
もう、限界。
きつく抱きしめて、柔らかい唇に唇を重ねる。
「愛してる」
抑えきれない。
そのまま倒れ込んで熱いキスを繰り返す。リリーがこんなに応えてくれるなんて。本当に、だめじゃない?嫌がられてない?俺を求めてくれてる?
リリーの腕が伸びて、抱き寄せられた。
あぁ、本当に?信じられない。
もっと、応えて。抱きしめて。
幸せ。
体中が熱い。止められない。
「愛してる」
もっと、求めて。愛して。
「良い?」
もっと、触れたい。
「うん」
指先から、重なった場所から自分とは違う熱を感じる。ぬくもりが身も心も満たしていく。呼吸も忘れるくらい夢中になっていて、もう離したくないし離れたくない。
ずっと、こうしたかった。愛し合いたかった。もっと……。
「待って、エル」
だめだ。離れないと。
落ち着け。
「ごめん、リリー」
リリーが俺の頬に触れる。
「ごめんなさい。……大丈夫」
本当に?
「嫌なことは嫌だって言って」
「嫌じゃないよ」
ちゃんと拒否されなきゃ、自分を止められない。
「教えて。どんな些細なことでも。不安になったら言って」
不安そうなリリーの髪を撫でる。
「好きな人が泣くようなことなんてしたくないんだ」
あの日、泣かせてしまったから。
もう二度と、あんな思いはさせたくない。
「嫌なわけじゃないの。ただ、はじめてだから……」
「はじめて?」
「誰かをこんなに好きになったのも、恋人になったのも、全部、はじめてで、だから、ちょっと怖くて……」
「ごめん」
また、怖がらせてしまった。
「エルが怖いわけじゃないの」
離れようとしたのに、リリーに捕まる。
「好きな人と一緒に居られるのがすごく嬉しくて。もっと、知りたいし、一緒に色んなことをしたい。エルとなら、なんでもできるって……。でも、想像がつかないことばかりで、ちょっと怖くて、でも、進みたくて……」
その輝く瞳で見つめられるだけでくらくらするのに、そんなに可愛い仕草をしないで。
「私、変じゃない?」
染まる頬にキスをする。
「どんなリリーも好きだよ。もっと、俺の知らないリリーを知りたい」
「私の話、聞いてた?」
「もちろん。少しも変じゃない。もっと、リリーを教えて」
今みたいに話して。言葉にして教えて。
「私も、エルを知りたい」
好きなことも嫌なことも。嬉しいことも悲しいことも。して欲しいことも、して欲しくないことも。全部。
「だから……」
キスをして。
「もう、止めないで」
ずっと、欲しかった。
「愛してる」
ようやく好きなだけ伝えられる。
「愛してる」
気持ちを受け取ってもらえる。好きだって、愛してるって、どれだけいっても足りない。もっと求めて。求められる喜びを感じて。もっと深く触れて。魂まで届くほどに。繋いで。全部、受けとめて。
あぁ、幸せ……。
「好きだよ、リリー」
「私も。エルが好き」
もう何度重ねたかわからない唇に唇を重ねる。全然、熱が冷めない。満たされているのに、まだ欲しい。離れられない。愛しくて好きでたまらない。
ずっと、こうしていて。
鼓動と呼吸が落ち着くまで。まだ……。
「あのね、エル」
「ん?」
「私、エルの魔力、奪ってない?」
魔力?そういえば、全然、平気だ。こんなにしてるのに。
「呪いが解けたのか?」
「私、呪いが解けたの?」
なんで、リリーが驚くんだ。
「呪いが解けたかどうか、リリーにはわからないのか?」
「わからないの。でも、イリスがエルとキスしても全然、魔力が流れて来ないって言うから。だから、確かめたくて……」
確かめる?
まさか、さっき、リリーが俺にキスしてって言ったのは、呪いを確かめる為だったのか?
そうだよな。そうじゃなきゃ、リリーからキスをねだるわけない。
「リリー。俺の魔力を奪うことを願って」
「えっ?」
「呪いに抵抗してたらわからないだろ?」
「でも……」
やっぱり嫌か。
なら、後で確かめよう。リリーが寝ている時に試せば確実だ。
「だめ」
だめなのか。
「今、して?」
可愛い。
リリーの唇にキスをする。
魔力が持っていかれる感覚もないし、目眩も起きない。
「リリーの目から見て、俺の魔力は減ってるか?」
「全然、減ってない」
つまり、リリスの呪いが消えた?
「どうやって?」
「わからない」
「いつから?」
「それも、わからないの。イリスに聞いても、最近は、その……。いっぱいしてたし、いちいち気にしてないって」
何度もしたせいで呪いが効かなくなった?そんなはずないよな。呪いは耐性がつくようなものじゃない。解呪の為の特別な儀式を行ったわけでもない。それに類するようなことが起きたとも思えない。
呪いは、どうやって解けたんだ?
「エル」
呼ばれて、唇を重ねる。
愛してる、リリー。
ずっと、こうしたかった。
解呪の手続きはわからないままだけど、これで一つ、リリーを自由にすることができた。
でも、これだけじゃない。
「リリー。教えて。呪いの他にリリーを縛るものを」
俺を信じてくれるなら、すべて話して。
「誓約」
「誓約?」
「紅のローブに誓約をしたの。呪いを受け入れ、次期女王となる為に三年後、帰還することを誓います。って」
出発前に、帰還の約束をさせていたのか。
「紅のローブって、リリーよりも格上の存在なのか?」
「うん。女王の次に偉い人。私に呪いをかけたのも紅のローブだよ」
「そいつが、リリス?」
「名前はわからない。いつも女王の間の前に居て、女王を守ってる人だってことしか。ポラリスみたいに全身を隠す紅のローブを着てるから、紅のローブって呼ばれてる」
ポラリスみたいに、か。
正体を隠し続けてるってことは、悪魔である可能性が高いな。
「あのね」
「ん?」
「女王になった人はね、一人も帰って来てないの」
「帰ってないって……」
「街に戻って来た人は一人もいない」
「いない?だって、女王は定期的に交代するんだろ?」
「交代じゃないの。新しい女王が選ばれるだけ。選ばれた女王は女王の間に入るけど、その後、女王の姿を見た人は誰も居ない」
「なんだって?」
一度入ったら、二度と出てこない?
「女王は、この国の礎なの」
―女王になった瞬間から、その魔力を国中にそそぐ役割を担うんだ。
―……あの城は、その為の装置。
「女王が国中に魔力を与えて、国を豊かにしている存在だって、皆、知ってる。そして、実際にグラシアルは女王の力で豊かになってる。皆、女王の力を信じてるの。だから……。女王に逆らえないの」
「信じてるから逆らえない?信頼があるなら恐怖なんて感じないはずだろ」
「同じだよ。皆、女王の力がどれだけ大きいか知ってる。その力が、恩恵ではなく天罰に変わることが怖いの。……だから、誰も女王に逆らえない」
天罰。
大き過ぎる力がもたらすものは、恩恵ばかりじゃない。安易に頼り過ぎて良いものじゃないってことは、誰もが感じてることなんだ。代償を何も支払わなければ、いずれ、代償を支払う時が来る。
俺の故郷のように。
まさか、その代償が女王の娘?数十年に一度、誰かを犠牲にしなければならない?
「リリー。あの国には、本当は女王の娘なんて必要ないんだ」
「え?」
「グラシアルには、不老不死の初代女王が居る。氷の大精霊と共に」
「嘘……」
リリーも全く知らないんだな。でも。
「イリス、本当なの?」
女王と契約してるイリスは知ってるはずだ。
『本当だよ』
「本当、なの……?」
ポラリスの言う通りか。
『エル。一体、どこで知ったんだ』
「大精霊と契約した者は、望めば不老不死になることが可能だっていうのは知ってるか?」
「同化のこと?」
「そうだ。俺は、女王の持つ絶大な魔力の一端は、氷の大精霊にあると思ってる。大精霊と契約して恩恵を受けた初代女王は、その力を手放したくないと考えたんじゃないかって。そして、同化することを選んだんじゃないかって」
だから、次期女王なんて必要ない。
「じゃあ、どうして……?」
女王の娘が必要な理由。
女王に選ばれた娘が消える理由。
呪いを使った魔力集めとも考えられるけど。これが行われるのは数十年に一度の女王の代替わりの時のみで、たった五人の娘しかやらないことだ。到底、魔力を国中に行き渡らせる量を賄えるとは思えない。
考えられるのは……。
だめだ。結論を急ぐわけにはいかない。
「今はまだ、答えを出せるほどの情報がない。でも、必ず答えを見つける」
すべて解き明かして、必ず、自由にする。だから。
「信じて」
「うん。信じる」
「ありがとう。リリー」
信じてくれて。
話をしてくれて。
「いつも私の為に頑張ってくれて、ありがとう」
「リリーが欲しいんだ。俺だけのものにしたい」
「私はもうエルのものだよ」
「なら、俺もリリーだけのものだ」
リリーの手を取って、手のひらから手首へキスをする。
「怖くなかった?」
止められなかった。気持ちが焦り過ぎて。急かす必要なんてないのに。
「冒険みたいだった」
「冒険?」
「はじめてで、知らないことばかりで。でも、エルは私の話をちゃんと聞いてくれて、大切にしてくれたから」
輝く瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「エルとなら大丈夫って、信じられたの」
出会ってから今までのことみたいだ。
赤く染まる頬を撫でて、キスを交わす。
受け入れてくれてありがとう。
そういえば……。
「これ、何の薬か知ってるのか?」
ルイスはリリーになんて言ったんだ?
「ハーブがブレンドされてて、少し酔った感じになるって聞いたよ」
酔った感じ、ねぇ。
手にした薬を飲み干す。
「飲んで大丈夫?」
確かに、薬酒のようだ。
空瓶を置いてランプを消すと、天窓から差し込んだ明るい満月がリリーを照らした。
「きれいだよ」
「あ、の……」
可愛い。恥ずかしそうに俯く仕草もすべて愛らしくて愛おしい。
柔らかな唇なら小さな声が漏れる。
「ありがとう」
あぁ、本当に好き。
「愛してる」
リリー。キスをして。一晩中、甘い香りで包んであげる。




