069 マジックアワー
夕方になって、キャロルとルイスが帰ってきた。
「ただいま」
「ただいま、エル」
『ただいまぁ』
『ただいまー』
「おかえり」
ユールとジオも、ずっと出かけてたのか。
「お客さん、たくさん来たのね」
「休みに店が開いてるのは、エルが居る証拠だからね。色々、相談しに来たんじゃない?」
「休みか」
そうだった。今日は店を開ける必要なんてなかったんだ。
目の前で、二人が笑う。
「じゃあ、僕は研究室に行ってるね」
「私は夕飯の支度をするわ」
「ん」
リリーが帰ったら店じまいにしよう。
薬の補充をしておくか。季節の変わり目で体調を崩してる患者が多いものの、危険な病が流行りそうな兆候はなかった。
過ごしやすい季節だ。
っていうか、本当に減ってるな。在庫の少ない薬をメモしておかないと。
「ただいま」
「おかえり、リリー」
リリーが帰ってきた。
「もう、鍵を閉めて良いよ」
「ルイスとキャロルは帰ってるの?」
「帰ってるよ」
「わかった」
リリーが扉の外に付いている看板を裏返して、戸締まりをする。
「何か手伝う?」
「もうすぐ終わる」
「じゃあ、軽く掃除するね」
店内に西日が差し込む。すぐに暗くなりそうだ。
「明かりをつけるか?」
「大丈夫。すぐに終わらせるから」
日が落ちる前に終わらせれば良いか。
丁寧な箒の音が近づいてくる。
「レイピアは出来そうか?」
「うん。明日、試作品が作れるかも」
順調らしい。
「楽しみにしてるよ」
「うん」
ディーリシアの行方が判明するのとどっちが先になるかな。あれだけこだわりがあるなら、完成は遠いかもしれない。
掃除を終えたリリーが、今度は棚の整理を始める。閉店作業も慣れたものだ。
「エルって、何が仕事なの?」
「薬屋だよ」
「冒険者もしてるし、魔法部隊にも所属してるよね?」
そうなんだけど。
「どれも稼ぐためにやってるわけじゃない。ルイスとキャロルを養うことを含めて、一生、生活に困らないぐらいの資金ならあるよ」
「えっ?そうなの?」
「国から貰った褒賞があるんだ」
戦争を終わらせた功労者への慰労金。
陛下が俺の功績として認めることで、戦争終結に反対した貴族を黙らせたらしい。
そんなもの要らなかったけど……。
「そもそも、それぐらいの蓄えがないと子供二人を養子に出来ないからな。ラングリオンは養子の規定が厳しくて、きちんとした養育環境が保証されないと引き取れないんだ」
「そうなんだ」
貴族でもないのに一度に二人も引き取るのは簡単じゃない。資産があったのがプラスに働いたのは確かだ。他の問題は、シャルロが上手くやってくれたんだろう。
そうじゃなきゃ、子供を置いてしょっちゅう家を空けている状況を咎められてもおかしくない。
「じゃあ、薬屋は趣味なの?」
「趣味?」
趣味に見えるのか。
在庫の確認を終えたメモをポケットに仕舞う。
「薬屋は、俺の夢でもあったから」
「夢?」
「卒業後、王都で生計を立てる為には、仕事をしなきゃいけないだろ?やるなら薬屋をやろうと思ってたんだ」
薬は魔法に頼らずに人を癒せる方法で、何より、俺が勉強してきたことを生かせる仕事でもある。
「兵役は?」
「魔法部隊は、俺の世話をしてくれた人が設立したものだから。手伝いたかったんだ」
兵役なんてこなさなくても学費の返納が可能なことも、魔法部隊への参加が中途半端なこともわかってる。
それでも……。
「じゃあ、戦争がなければ……」
戦争?
「本当だったら、エルは、今、あの人と一緒に夢を叶えてたんだ」
あの人。
なんで、知って?
そうか。マリーが話したんだよな。
「どこまで聞いたんだ」
リリーが驚いたように体を震わせた後、俯いた。
「ごめんなさい……」
怖がらせた。そんなつもりなかったのに。
「ごめん、リリー」
俺が、もっと早く話すべきだった。
……ちゃんと。
「フラーダリー。俺を砂漠からラングリオンに連れて来てくれた人だ。養成所に入れるようにしてくれて、後継人として俺の世話をしてくれていた」
俺にとっての恩人。そして。
「結婚の約束をしてた」
こうして言葉にするのは、あの日以来、初めてかもしれない。
「ずっと一緒に居ると思ってた。けど、死に目にも会えなかった」
「忘れられない人なんだよね」
「あぁ。一生忘れない。ずっと、後悔し続ける」
あの時、傍に居なかったことを。
何も出来なかったことを。
「ごめんなさい」
「なんで、リリーが謝るんだ」
「思い出させちゃったから」
忘れたことなんてない。
ただ……。
「最期以外は、良い思い出ばかりだよ」
すべてを失った俺に手を差し伸べてくれた人。希望をやると言って、王都に連れてきてくれた人。ラングリオンに来て、本当に良かったと思ってる。感謝してる。
それなのに。
「リリー。……許して」
呪われた運命だ。
ずっと、変わらない。
「必ず守るから。何があっても、どんなことが起きても。だから……。俺がリリーを愛すことを許して」
愛した人を危険にさらしてしまうとわかってるのに、俺は……。
「だめだよ、エル。私はフラーダリーの代わりにはなれない」
「代わり?」
「だって、忘れられないんだよね?」
「違う。代わりなんかじゃ、」
「何が違うの?」
リリーとフラーダリーは別の人間だ。
「誰も、誰かの代わりになんてなれない。フラーダリーの魂がもうここにはないことはわかってる」
「なら、どうして私を守りたいなんて言うの?私に許しを請うの?」
「それは、」
「エルは大切な人のことを忘れられないだけで、私のことを好きなわけじゃ……」
「違う」
手を引いて、輝く瞳を見つめる。
後悔とリリーへの愛は別物だ。
「リリー。俺にとって大切な人はリリーで、俺が好きな人もリリーだ」
リリーが視線を下げて俯く。
聞いて。
「過去は戻らない。あの時、あの時点では不可避だった」
どんなに苦しんでも、過去を変えることはできない。
「俺は、フラーダリーを守ることができなかった。また大切な人を失うぐらいなら、もう誰も好きになるべきじゃないって、そう考えてた」
もう二度と失いたくない。
また、くり返す可能性を考えるだけで、こんなに怖いのに。
「でも、できなかった。抑えられなかった。もう無理なんだ。リリーを愛さずに生きるなんて」
抗えない。
「もう出会わなかった頃には戻れない。リリーが居ないと生きられない」
狂おしいほどに愛したい。
「傍に居て」
何度も願った言葉。
「離れないで。ずっと一緒に居て」
何度も何度も約束を交わしてここまで来た。
愛しい人の手を大切に包んで、手のひらに唇を当てる。
「愛してるよ。リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ。今、俺のすべてを捧げたい、たった一人の人は、リリーだ」
リリーのことしか考えられない。
……あぁ、こんなこと、だめだ。すでに結論は出てる。
「ごめん。返事は要らない。受け入れる必要だってない。……でも、愛を否定しないで。俺はリリーが好きなんだ」
自分で放った言葉が自分に刺さる。
「愛してる」
息が詰まる。
本当は、愛を受け入れてほしいと願ってる。……だめだってわかってるのに。触れていたい。ずっと見つめていたい。どう抑えたら良いかわからない。際限なく溢れていって止められない。
どこにも行かないで。傍にいて。
そんなこと、望んではならないのに。
リリーが俺の胸に顔を寄せる。
結んだ髪を撫でて、腕の中にリリーを包む。
許して。
これだけで、息ができる。
「私が呪われてること、知ってるよね?」
「呪いは解く」
「三年以上、一緒に居られないこと、知ってるよね?」
「自由にする」
「私と一緒に居て、何度も危険な目に合ってるよね?」
「別に、大した事ない」
「エルよりも、私の方が問題だらけだって、わかってるよね?」
「問題なんてない。俺がすべて解決する」
この関係が終わってしまうことに比べたら、怖いことなんて何もない。
「私じゃ、エルを幸せにしてあげられないよ」
「今、幸せだよ」
この距離で傍にいられることが。
リリーの腕が俺の背に回る。
「私も、幸せ」
本当に?
なら、もっと望んで。抱きしめて。もっと、ぎゅってして。もっと、リリーを感じさせて。
「エル。覚えてる?……最初に会った時、エルが私に質問した二つのこと」
「覚えてるよ。何から逃げるのか。どうして俺じゃないとだめなのか」
結局、どちらも答えてくれなかったっけ。
「私が逃げたかったのはね、教育係。教育係は、旅に出た女王の娘をサポートしてくれる人で……。最初の呪いの受け手になる人なの」
「なんだって?」
教育係がリリーのキスの相手?
「私、呪いの力なんて使わないって、自由に生きるって決めてたから」
だから、あんなに逃げたがってたのか。そして、呪いに関わることだから答えられなかったんだ。
「どうして、エルじゃないと駄目だったかはね……」
腕の中で動いたリリーを見下ろす。
夕日が残したわずかな明かりが消えて、お互いの輪郭が夜の闇に溶けていく。
そして、あの時と同じように輝く瞳に吸い込まれて……。
「初めて会った時から、ずっと好きだった」
え?
今、なんて言っ……。
「この人の傍に居たいって。一緒に旅をしたいって。だから、エルじゃなきゃ駄目だったの」
思考がついていかない。
「でも、私じゃ駄目だって。誰かを好きになるなんて駄目だって、」
「駄目なんかじゃない」
「私はエルと一緒に居ちゃいけないんだって……」
「傍に居て」
離れないで。そんなこと考えないで。
リリーから柔らかい吐息が漏れる。
「いつも、そう……。いつも、エルがそう言ってくれるから。だから、ずっと、この気持ちを諦められなかった」
俺だって、ずっと諦められなかった。
少しでも長く一緒に居たいって。
「でも、エルの話を皆から教えてもらって……。私に何か起これば、エルはそれも自分のせいにしちゃうんじゃないかって」
「それは、」
「駄目だよ、エル。私のことは、エルには全然、関係ない。呪われてることも、三年以内に帰らなきゃいけないことも、全部、私の問題だよ」
「違う。グラシアルの連中からリリーを奪って、無理矢理ここまで連れて来たのは俺だ」
あいつらはリリーを保護したかっただけなのに、俺が追い返し続けたから。
「ここに来るのは私が望んだことだよ。私に何かあったとしたら、私の責任」
「リリーの責任なんかじゃない。俺の……」
「エルの馬鹿」
―あなたは大切なものを失う運命。
俺のせいで。
「何でも自分のせいにしようとしないで。エルは悪くない。許してなんて言わないで。私を守ろうなんて考えないで」
「リリーを失うなんて考えられない」
今まで、何度も失ってきた。
「大丈夫だよ。エル」
リリーが俺の頬に触れる。
「もう、エルを一人になんてしない」
もう、何度も……。
「私も戦う」
「戦う?」
戦うって……?
暗闇の中に浮かぶ強い輝き。
「エル。私は、私の運命と戦う」
運命と、戦う?
「女王に逆らって自由を手に入れる。そして、エルとずっと一緒に居る」
それは、俺の望み。
「私、エルを幸せに出来る人になりたいの」
あぁ。なんて、強くて眩しいんだ。
こんなにずっと傍に居るのに、俺はリリーのことを全然わかってない。
愛してるのに、まだ惹かれる。好きだって思ってる人を更に好きになるなんて。
「エル。私、エルが好き」
身も心も一瞬で燃え上がる響き。
頭の中で何度も反芻させて確かめる。
単純なのに、こんなにも感情を揺さぶる。
これは、本当にリリーが俺にくれた言葉?本当に……?
「愛してる。エル」
「愛してる、リリー」
あぁ。夢みたいだ。
「愛してる」
本当に?
「愛してる」
もっと抱きしめて。
見つめて。
触れて。
「キスして良い?」
「うん」
確かめて。もっと。身も心も溶け合っていくみたいに、ずっと深く。
愛してる。愛してる、リリー。
焼けるように熱い。
こんなの初めてだ。愛しくて、幸せで、こんなにも満たされていく。心臓が痛いほど波打っていて、息もできないぐらい苦しくて。空に舞えそうなほど体が浮かれていて、夢中になってる。
「愛してる」
幸せ過ぎて、くらくらする。
「愛してる」
もう離さない。
リリー。
愛してる。
俺を愛してくれて、ありがとう。




