065 稽古
「エル、起きて」
リリーが優しく頭を撫でる。
気持ち良い。このまま眠りに落ちそうだ。
「朝だよ」
その声も、甘えさせてくれるみたいに優しい。
「エル」
何かが頬に当たる。柔らかい感触と息遣い。思わず目を開いて、傍にあった顔を見上げる。
「おはよう、リリー」
「おはよう……」
長い髪に包まれたリリーの頬が赤く染まってる。
してくれたんだ。
「もう一回、して」
「え?」
「もう一回、キスして」
今まで進んでしてくれたことなんて一度もなかったのに。夢じゃないなら、もっと、して。
「ちゃんと起きてくれる?」
「もちろん」
「じゃあ、目を閉じて?」
目を閉じる。
リリーの長い髪が頬にかかって、柔らかい唇の感触が頬に触れる。
してくれた。
起き上がって、リリーの頬にキスをする。毎日、こんな風に起こして。
※
朝食後、リリーと一緒に二階の物置へ。
「すごいな」
綺麗に片付いてる。壁側に新しく作られた棚には見やすく物が並び、手前には中身のメモと共に大きな箱が積んである。
こんな数日で、ここまで片付くのか。
縦長の箱に入っていた片手剣を取る。
「使えそうか?」
「うん。大丈夫だと思う」
片手剣はリリーに渡して、同じ箱に入っていたレイピアを腰に装備する。久しぶりだな。
「隣の部屋は、空っぽになったのか?」
「うん」
物置を出て、隣の部屋へ。
見事に何もない。
「キャロルが綺麗に片付けてくれたんだよ」
二部屋とも、物で溢れていたのに。良くここまですっきりしたな。
「家具を買いに行かないとな。天蓋付きのベッドと可愛い収納……」
「えっ?」
「先に、カーテンか。何色にする?」
「待って。どうして、天蓋付きの?」
「アリシアの所で泊まった部屋を気に入ってただろ?」
「あの部屋みたいにするの?」
「違うのか?」
そこまでの広さはないけど、雰囲気を近づけることはできるだろう。
「部屋を作るのは、もう少し待って」
「なんで?」
「もう少し、一緒の部屋でも良い?」
あぁ。一人で寝られないのか。
「俺の部屋は、これまで通り好きに使って良いよ。でも、それとこれとは別だ。リリーの部屋は作る」
「……はい」
どんな部屋にしようかな。楽しみだ。
※
「軽く運動したら、始めよう」
「道端でやるの?」
「人通りのない時間だから大丈夫だろ」
人影がちらほら見えるものの、近くには誰も居ない。
「準備運動するね」
リリーが身体を動かしている。
俺も軽く整えよう。体を伸ばして、深呼吸。良く晴れて澄んだ空気が心地好い。
リリーが片手剣の素振りを始めた。使いにくそうだな。普段、あれだけ重い武器を扱ってるんだから当然か。
皮の手袋を嵌めて、右手でレイピアを持ち、何度か振る。大丈夫かな。
「じゃあ、始めるか」
レイピアを真っ直ぐリリーに向けると、リリーが眉をひそめた。
「それが、レイピアの構えなの?」
「基本の構えだよ」
相手との間合いを測るのに向いてる。
「防具は?」
「要らない」
「危ないよ」
「心配しなくても、攻撃が当たるような真似はしない」
リリーが両手で片手剣を構える。
「使い慣れてない武器だから、怪我させるかも」
そんな態度じゃ稽古にならない。
挑発するか。
「なら、当ててみろ」
リリーの目つきが変わる。
「行くよ」
「あぁ」
リリーがまっすぐ駆けてくる。
早い。一歩引いて斬撃をかわす。続けて放たれた攻撃をレイピアで受け止めて、軽く流す。
なんて、重い攻撃だ。まともに受け止めてたら腕が持たない。
リリーとの距離を保ちながら後退する。
この調子なら、すぐに勘が取り戻せそうだ。あぁ、こんな感じ。受けた攻撃を、こう流して……。相手のリズムを崩す。
次は、こう。
大剣を扱う時の癖なのか、剣を振る前に、どこに向かって力を込めようとしているのかがわかる。これを大剣でやられたら受け止めようがない気がするけど、片手剣の攻撃なら捌ける。
良い調子だ。リリーの攻撃をかわして、リリーの左手へ……?
突如、思ってもみない形でリリーの片手剣が動いた。
やばい。リリーの突攻撃を何とか防ぎ、続けて放たれた片手剣の攻撃にレイピアをぶつけて、風の魔法を使って大きく引く。
危なかった。
けど、間髪入れずに距離を詰めてきたリリーが片手剣を振る。間合いに入られた。無駄のない動き。完璧だ。
何度か剣を合わせながら少しずつ後退する。……だめだな。力負けする。このままじゃ、リリーのペースに嵌る。もっと、離れないと。
リリーの剣を力強く弾いて大きく後ろに下がると、俺が弾いた力を利用して一回転したリリーが……。
ここだ。
「えっ?」
回転斬りをしてきたリリーの剣を、レイピアのガードに絡め取る。予想通りの軌道だ。
そのまま片手剣を振り落とすと、リリーがよろけた。けど、それは一瞬。すぐにバランスを取り戻したリリーが、そのまま剣を振り上げた。
立ち直りが早過ぎる。
レイピアを逆さに持って、剣先を足で支えながら衝撃に備えたけど、リリーの渾身の一撃で宙に吹き飛ばされた。
圧倒的な力量差。本当に、リリーが持ってる剣が片手剣で良かった。
バク転して地面に片手を着いたところで、走ってくるリリーが見えた。攻撃を風の魔法で避けて、ようやく地面に足を着いた直後に放たれた二撃目をレイピアで弾く。けど、逃げる間もなく振り下ろされた片手剣と鍔迫り合いになった。
まずいな。抜け出せない。力比べをするつもりはないんだけど……。
次の手を考えていたところで、レイピアが音を立てて砕ける。
「なっ、」
「あっ、」
まずい。想定外だ。
でも、回避を考えるより先に、目前に迫っていた片手剣が消えた。代わりに落ちてきたリリーを抱きとめる。
足元で、片手剣が落ちる音が響く。俺を斬らない為に、片手剣を捨ててくれたらしい。あの状況で、咄嗟に、そんな判断が出来たなんて。
「エル、大丈夫……?」
「あぁ。リリーこそ、怪我はないか?」
「大丈夫」
良かった。見た感じ、怪我はなさそうだ。
足元には片手剣と砕けたレイピアが落ちている。ひどい有様だな。ここまで砕けたら修繕は不可能だ。
「ここまでだな」
拾った片手剣をリリーに渡して、折れたレイピアを鞘に戻し、革袋を出して、砕けた残骸を拾う。使い物にならなくなった武器や武器の残骸は、武器屋で下取りしてもらわなきゃいけない。
結構、良いやつだったんだけど。手入れを怠ったせいかもしれない。
「手伝うよ」
「駄目だ。怪我をする」
「大丈夫」
破片を拾おうとしたリリーの手を掴む。
「触るな」
なんで、刃物を素手で触ろうとするんだ。
……仕方ない。
右の手袋を外してリリーに渡す。
「ほら」
「ありがとう」
サイズが大きそうだけど、素手よりはましだろう。
っていうか、剣を握るのに手袋の用意もしてないんだよな。さっきの稽古は、リリーにとって、本気じゃなかったんだろう。苦手な片手剣を使っていたから、やる気が出なかったのかもしれないけど。
「もう一回、して」
「何を?」
「もう一回、私と勝負して」
「嫌だよ」
冗談じゃない。
「そもそも、勝負なんかしてないだろ。俺は稽古を頼んだだけだ」
「稽古を付けてもらったのは私の方だよ。あんな動き、初めて」
「リリーは勘違いしてる。俺のレイピアは、護身を目的にしてるんだ。俺はリリーの攻撃から逃げてただけなんだよ」
「それでも、一つも攻撃が当てられないなんて……」
必死に逃げてたからな。
っていうか、思っていた以上に詰められた。とっさに風の魔法を使える程度に感覚を取り戻せたのはありがたいけど、力が落ちてるのは間違いない。もう少し、鍛錬が必要だ。
「お願い。もう一回、私と戦って」
「レイピアがないんじゃ無理」
「片手剣も使えるんだよね?私は自分のがあるし」
「何言ってるんだよ。リュヌリアンの攻撃を受け止められると思ってるのか」
「えっ」
何故か、リリーが黙り込む。
「あの……。どうして、知ってるの?」
「何を?」
「私の剣の名前」
「自分で言ってただろ」
「え?言ってな……。イリス?」
『なんで、ボクを疑うのさ。自分で言ったんだろ』
「言ってないもん」
リリーの頬が膨らむ。
そういえば、ちょっと前にもこんなやり取りをしたな。
「そういえば、ジョージって……」
「えっ?あっ。それも、関係なくて。だから、その……」
なんで、名前を出しただけで、そんなに慌てるんだよ。
「誰なんだ」
「大したことじゃないから……」
完全に拒否された。そんなに俺に話したくないのかよ。
革袋を紐で縛って、手袋を外して立ち上がる。どうせ暇だし、今日中に済ませるか。
「レイピアを買いに行ってくる」
「待って、私も行く」
立ち上がったリリーから手袋を受け取る。イーストストリートまで行く予定なのに。
「午後から用事があるんだろ?」
「私も見たいの。エルの武器」
そういえば、武器屋を見て回るのも好きだっけ。
「良いよ。行こう」
リリーの手を引く。
レイピアを買うだけだし、今から出れば間に合うか。
「レイピアを買ったら、また勝負できる?」
「今日はもう時間がないだろ。買い物だけで昼になる」
キャロルとの約束に間に合わせないと。
「三番隊に行けば借りられるかな」
「借りる?」
「演習用の剣とか、色々あるみたいだから」
なんで、そんなこと知ってるんだ。
「演習用の武具は、隊員が訓練に使う為のものだ。貸出なんてしてない」
「でも、この前……」
この前?
「そういえば、ガラハドと戦って勝ったんだって?」
「えっ?勝ってないよ。隊長さんとは、引き分けっていうか……」
「それだけ強いなら、俺と勝負する必要なんてないだろ」
「あるよ」
「ガラハドが、どれだけ強いか知らないのか?」
「有名な傭兵だったって聞いたけど……」
「ガラハドは、アレクが、わざわざ自分で勧誘してきた傭兵なんだよ」
「え?そうなの?」
王都の守備隊隊長なんてやってるのが不思議なぐらい、各地で名を馳せた有名な最強の傭兵だ。
近衛騎士にすると思いきや、何故か、王都の守備隊なんかさせてるわけだけど。
「でも、エルの強さは、そういうのと違うよ」
違う?もしかして……。
「魔法剣士と戦うのは初めてか?」
「魔法剣士?……魔法を使いながら戦うの?」
「違う。魔法剣士っていうのは、魔法を剣術に応用して戦う剣士のことだよ」
「応用?」
「気付かなかったか?俺は、さっきの稽古で魔法を使ってた」
「え?」
全く知識がなさそうだな。グラシアルには魔法剣士が居ないのか?
いや、そもそも、女王の娘には使えない技術か。
「もしかして、風の魔法?」
「正解。魔法を使う場合は、自らの身体能力の底上げに利用することが多いんだよ」
「全然、気づかなかった」
「ばれるような使い方はしないからな。相手に手の内を晒さないように戦うのは、魔法使いの基本だ」
風の魔法は、通常ではあり得ないような回避や攻撃など、トリッキーな動きの補助として使うことが多い。
他にも、闇の魔法で影を作ったり、真空の魔法で剣を吸い付けたり。雷の魔法で相手を痺れさせたり、自分の剣技に合わせた様々な応用がある。
「攻撃魔法を使う人は居ないの?」
「居ないことはないだろうけど……。面倒だし、非効率だ」
「非効率?」
「魔法を使うには集中力が要る。本気で斬り合いをしてる最中に攻撃魔法に集中力を割くなんて芸当できると思うか?」
魔法を使うには、魔力の加減や発動場所、タイミングも計らなきゃいけない。
「すごく難しい?」
「そういうことだ。補助的な使用に限った方が、魔力管理もしやすいし、戦闘中に魔力切れを引き起こすリスクも下げられる」
「そっか」
何より、魔法には暴発の危険もある。魔法を使うことに意識を割けない状況なら、使わない方が良い。
「つまり、魔法剣士は、基本的な剣術の技能を習得した上で、更に魔法を取り入れた独自のスタイルを持つ剣士を指すってこと?」
「その認識で良いよ」
相手が魔法使いであることに気づけるリリーなら、この知識だけで、十分、相手のスタイルを見抜けるだろう。
「後、魔法剣士で良くあるのは、精霊を剣に宿して戦う戦い方か」
『リリー。覚えてる?』
「あ、うん。習ったよ。精霊を宿すことで、剣が精霊の属性を得るって。エイダも、私の剣に宿ってくれたよね」
『そうですね』
そういえば、雪山でやってたな。
「じゃあ、剣に精霊を宿すには条件があるのは知ってるか?」
「うん。剣は、剣自身が持つリンの力を超える精霊は宿せない。だよね?」
「正解。だから、魔法剣士なら、最低でも精霊の力に耐えられる剣を持ってなきゃ意味がないんだ」
「え?普通の剣って、どんな精霊でも宿せるんじゃないの?」
普通って。まさか、剣の名工ルミエールの作品を基準にしてるわけじゃないだろうな。
「精霊の力を舐めない方が良い。その辺のなまくらじゃ精霊を宿すなんて無理だ。リリーが砕いたレイピアだって、ローランまで買いに行った良い剣だったんだからな」
「ローラン?」
「アルマス地方にある鍛冶屋の街だ」
「鍛冶屋の街……」
王都から乗合馬車を使って二日の距離にある街だ。
かつて、鉱山都市として栄えた場所で、鉄がほとんど取れなくなった今でも、古くから受け継がれてきた伝統技術と新しい技術の創生によって、良質な武具が生み出され続けている。
職人ギルドが強い珍しい都市なんだよな。
「遠出になりそう?」
「遠出?」
『エルの話、聞いてた?』
「え?」
『今から王都を出て、昼に帰って来れると思う?』
「えっと……」
そういうところが、リリーらしい。
「これから行くのは、イーストストリートだよ。あの辺には武器屋が多いんだ」
「でも、ローランに行かなきゃ、良いのはないんだよね?」
ないっていうか。レイピア使いなんてほとんど居ないから、どの店も品揃えが悪くなるのは仕方ない。
「適当なのを探すよ」
「だめだよ、そんなの。ちゃんとしたのを探さなきゃ、また折れちゃう」
なんで、折れる心配をするんだよ。稽古はもう充分だ。
「勝負はしないって言ってるだろ」
「じゃあ、私に稽古をつけて。魔法剣士の戦い方を知りたい」
「リリーの方が強いだろ」
「エルの方が強いよ」
何言ってるんだ。
「俺は、リュヌリアンなんて持てないからな」
「持てるよね?」
「レイピアより重い武器なんて無理」
「じゃあ、リュヌリアンの攻撃を受け止められるレイピアを探さなきゃ」
片手剣の攻撃すら耐えられなかったのに、リリーの大剣の攻撃をまともに受け止められるレイピアなんて、あるわけないだろ。
「次は、当てるから」
負けず嫌いにもほどがある。
当てさせないけど。




