064 錬金術師と解毒薬
家に戻ると、玄関に準備中の看板がかかっていた。昼休みだから閉めてるらしい。
鍵は……。あった。
家に入って、再び戸締まりをしていると、後ろの扉が開いた。
「おかえりなさい、エル」
「ただいま」
玄関扉の呼び鈴を聞きつけて来たんだろう。リリーが出てきた。
「そういえば、まだ、リリーに鍵を渡してなかったな」
「今朝、ルイスから貰ったよ」
「そうか」
傍に来たリリーが、俺を見上げて首を傾げる。
「あの……。何か、あった?」
「何かって?」
『魔力が減ってるって言いたいんでしょぉ?』
そこまで目に見えて減ってるのか。
『私がエルの魔力を使っちゃったのよ』
「どういうこと?」
『雪を見たいって言う子が居て。エルの魔力で、雪を降らせて来たの』
『えっ。自然現象を起こして来たってこと?』
『そうよ』
子供たちが遊べるぐらいの雪を降らせたからな。かなりの量になるか。
『リリー。今日は、絶対にエルから魔力を奪うなよ』
奪うも何も。元々、リリーは俺から奪う気なんてない。むしろ、俺が……。
「だめだよ?」
上目遣いで、そんな可愛く言われても。
リリーの頬にキスをする。
「他の所なら良いんだろ?」
リリーが頬に手を当てて、何か言おうとして口を閉じる。
あぁ、可愛い。
「キャロルとサンドイッチを作ったんだ。みんなで食べよう?」
なんだ。秘密の買い物って、サンドイッチの材料だったのか。
「メロンパンは買えたのか?」
「うん」
リリーが微笑む。
可愛い。
※
ランチの後は、リリーとキャロルに店番を任せて、ルイスと研究室へ。
「白衣、届いたのか」
「うん。今朝、届いたんだ」
「早かったな」
サイズも丁度良い。これで、もう少し危険な薬品を扱わせても大丈夫だろう。
「でも、代金の請求は来てないんだよね」
サイズを選んだのはカミーユだろうし、買ってくれたんだろう。
「後で、カミーユに聞いておく」
「わかった」
「出した課題で気になったのはあるか?」
「解毒薬かな。一般的な解毒薬って、万能に見えて、特殊な毒に対しては効果が低いみたいだよね」
「亜精霊が使う毒っていうのは、ほぼすべて系統が同じなんだ。だから、普通に使う分には、一般的な解毒薬で充分なんだよ」
「うちに置いてるのも?」
「あぁ。でも、うちに置いてる一番高価な薬は、成分がかなり違う」
「どうして?」
「特殊な毒は、かなり事情が違うんだ。……まず、毒について。毒の症状に共通しているのは、対象の健康状態を徐々に低下させることだ。一般的な毒に括られるのは、体力や気力の低下、麻痺や感覚の喪失等。身体能力を低下させるものが主で、意識の混濁は稀と言われている。そして、こういった症状は、一般の解毒薬で完全に解毒出来る」
「ほとんどの毒は、一般的な毒に当てはまるって考えておいて良いの?」
「そうだな。っていうか、現在、広く普及してる一般的な解毒薬でどうにもならないものが、特殊な毒なんだ」
「そっか。えっと……。特殊な毒は、一般に知られてるものよりも強力で、意識の混濁を引き起こすものもあるんだよね?」
「そうだ」
「でも、強力な毒を浴びた場合の対処法って、部位の切除ぐらいしかないんじゃなかった?」
切除って。
「随分、荒っぽいやり方を知ってるな」
「命に関わることだから」
「毒の進行度にもよる。安全の確保が難しく、救援の見込みも低い等、治療行為が明らかに遅れると想定される場合に限り、毒が全身に回る時間を勘案して、そういった対処をせざるを得ない場合があるってぐらいだ」
「えっと……。普通ならしないってこと?」
「こんな平和な時勢なら、まずない」
主に戦場における話だ。しかも、古い時代の。
「特殊な毒には二パターンがある。一つは、一般的な毒と似通った症状を引き起こすものだ。実は、これは一般の解毒薬でも一時的に凌げることが知られてる」
「凌げるの?」
「一時的に症状を和らげることが可能なんだ。でも、毒素が強過ぎて、一般の解毒薬での完治は見込めない。放っておけば、どんどん症状が悪化し、やがて死に至る。もしくは、治療が遅れた場合は後遺症が残る恐れが出る」
「後遺症……」
「わかりやすい後遺症は痺れだけど、倦怠感等、症状は人それぞれだ」
ルイスがノートにメモしている。
今回は、亜精霊の毒についてしか解説していないけど。
戦場で使われているような毒は、毒の種類が不明な上に致死性が高く、あっという間に全身に回ることで知られている為、部位の切除以外に命を救う手段がなかった時代もある。
ルイスが、どこで知ったのかはわからないけど、この話は、もう少し後でも良いだろう。
「特殊な毒のもう一つのパターンは?」
「一般的な毒に当てはまらないものすべてだ」
亜精霊に関する本を出して、開く。
「植物系の亜精霊は、固有の毒を持つことで知られてる。……有名なのは、この辺か。眠気を与える毒なんかは厄介だな。他にも幻惑や混乱等を引き起こすものもある」
「症状は様々なんだね。でも、治療方法が確立されてるのもあるよ?」
「今の所、治療方法が確立されていない毒はない。症状から原因となる毒を速やかに判断し、手遅れになる前に適切な処置が出来れば、どんな毒であろうとも治療可能だ」
正しい知識と、診断や治療に必要な道具と材料が揃っているなら、救える命は多い。
「出先では難しいね」
だから、誰にでも手軽に使える解毒薬の常備は不可欠だ。
「余談になるけど。毒に対しては水の魔法が有効なことでも知られてる。特に、亜精霊が使う毒に対しては広く有効で、副作用が出ないことで有名だ」
「そうなの?じゃあ、薬を使うよりも魔法の方が体に良いってこと?」
「俺は水の魔法を使わないから知らないけど、薬と魔法は根本的に違うって言われたことはあるな」
「魔法の方が良い場合もあれば、薬の方が良い場合もあるってこと?」
「というより、魔法には治療不可能な毒があるんだ」
「そうなの?」
「これは、魔法と錬金術が根本的に違う学問であることにも関係してる。たとえば、風邪は魔法で治療出来ないものの一つだ」
「ただの風邪が?」
「そうだ。魔法で病は治療出来ない。同様に、錬金術で毒と判断されるものでも、魔法学において病と判断されるものは、魔法では治療不可能なんだ。症状を緩和出来ても、完治出来ない毒は多くある」
「難しいね……」
この辺は魔法学の分野だ。魔法学を専攻してない俺には、詳しい説明は難しい。
亜精霊に関する本のページをめくる。
「この辺に書いてるのは、特殊な毒を持つ亜精霊の中でも、良く見かけるタイプのものだ。中級の解毒薬には、メジャーな植物毒に対して有効な成分を含ませてある」
「これって、良く見かける奴なんだよね?だったら、この毒に効果がある成分も、一般の解毒薬に含ませちゃえば良いんじゃないの?」
良い質問だ。
「一般的な解毒薬と中級の解毒薬が分かれているのには理由がある。何故だと思う?」
ルイスが、口に手を当てて考える。
「中級の解毒薬には高価な成分も含まれるから……。誰でも手に入りやすい価格に抑える為?あ、普通に使う分には有効な成分は充分入ってるんだっけ」
「どっちも正しいよ」
一般的な解毒薬は、普通の旅人でも持ち歩くぐらい広く普及してる常備薬だ。
『もうひと押し、欲しいわねぇ』
「他にもあるか?」
わかるかな。
「わかった。一番の理由は、副作用が増えるから?」
「正解」
『正解ぃ』
「この薬の副作用は覚えてるか?」
「中級タイプのは、稀に吐き気や発熱が伴うんだっけ」
「そうだ」
「でも、エルの薬で副作用が起きたなんて話は聞いたことないよ。他のお店のと違うって良く言われる」
「製法が難しいんだよ。錬金術師の腕が試される薬の一つだ。中級の解毒薬を作る過程で、溶液の煮沸処理があるのは覚えてるか?」
「うん」
「その時に、副作用の原因となる毒素が出る」
「えっ?そうなの?」
「あぁ。薬の効果を最大限に引き出しつつ、副作用のリスクを最小限に抑えるのに必要なのが、温度と時間管理だ」
「レシピに適温を維持って書いてあったのは、この為なの?」
「そうだよ。レシピには、不要な内容は一つも書いてない。どれだけ忠実に再現出来るかで仕上がりが変わるんだ」
「そうなんだ……」
『ルイスはぁ、ちゃんと出来てるわよねぇ』
ユールは、たまにルイスの研究を見守っている。
「じゃあ、最高級の解毒薬と呼ばれるものの特徴は何だかわかるか?」
「特徴……。錬金術師によって効果が全く違うってことぐらいかな。エルの薬が欲しいって、わざわざうちの店に来る人が居るぐらいだから。看板商品だよね」
「その通り。最高級の解毒薬は、錬金術師の代名詞となる薬でもあるんだ」
錬金術の最高峰の薬と言えば、エリクシールが有名だ。けど、これは製法が明確で、錬金術師を名乗る上での登竜門でしかない。
その先にあるのが、最高級の解毒薬だ。今でも、一般の解毒薬に代わる、広範囲に有効な解毒薬の研究は続けられている。
「まず、いくら最高級品であろうと、解毒薬を名乗る以上は、一般的な亜精霊の毒に広く有効であり、かつ、中級の解毒薬の成分も含んでいることが前提だ」
「そうなの?」
「そうだ。……ただ、俺の薬に関しては、一般的な亜精霊の毒に対しては、安い薬の方が治りが早いんだ」
ルイスが笑う。
「面白いね。高い方が治りが遅いってこと?」
「あぁ」
「理由は、重視する効果の違いのため?」
「その通り」
『ふふふ。完璧ねぇ』
ユールも褒めてる。ルイスは、賢くて飲み込みが早い。
「一般的な解毒薬が重視しているのは、一般的な亜精霊の毒の対処だ。けど、俺が作る薬で重視しているのは、特殊な毒による死を防ぐ効果。どんなに強力な毒であろうとも、その効果の発現を最大限抑えることを目的として作ってるんだ」
「毒の治療ではなく、毒の進行を遅らせるってことだよね?」
「そう。全身に毒が回る前に適切な治療を受けられるようにするのが目的だ。もちろん、治療可能なものに関しては完治出来るように作ってる」
本のページを更にめくる。
「俺の解毒薬は、ラングリオンで確認されている大抵の亜精霊の毒に対処出来るよう調整したものだ」
「対処って、治療可能ってこと?」
「そうだよ」
「そんなに万能な薬だったんだ」
「万能なわけじゃない。有効性が確認されてるもの以外についての効果は不明だ。植物系の特殊な毒なんて山程あるからな。一部の生物が持つ凶悪な毒や、まだ知られてないような未知の毒物に対して、どれだけの効果が期待出来るかは不明だ。似たような成分を持つ毒に対しては、少なくとも症状を遅らせる効果が確認出来てる」
「それが、さっき言ってた特殊な毒による死を防ぐ効果?」
「そうだ。効果の範囲については、実際に使ってる冒険者の方が詳しいだろうな」
「ん……。そうだね。色んな毒に効くのは確かじゃないかな。うちに良く来る冒険者は、一般的な薬とエルの薬があれば、大抵の毒は大丈夫だって言ってるから。エルの薬は体力も回復してくれるから、やばい毒に当たってそうな時は、使ってから帰るって言ってたよ。それで治らなかったら医者を頼るって」
なんだそれ。
「そんな使い方は想定してないぞ。そもそも、あれは未知の毒の治療は目的としてないからな」
「治るんだから、良いんじゃない?」
体力を回復する効果を入れてるのは、毒に対する抵抗力を上げる為だ。毒の進行を抑えてる間に、人間の持つ自然治癒力で治してる可能性もあるけど、それが出来るのは若くて健康な奴だけだろう。
「でも、エルは冒険者だよね?実際に効果の確認をしたりしないの?」
「どんな毒を持ってる奴かわかってるのに、毒を浴びるようなことをするわけないだろ」
「そっか。近づかないのが一番だもんね」
「それに、毒を受けたとしても対処法なんていくらでも知ってる。解毒薬だって、目の前の毒を加工すれば作れるからな」
「そうなの?」
「そうだ。だから、今日は毒薬の作り方を覚えて貰う」
「えっ?どうして?」
「毒と薬は表裏一体だ。危険なものを知らずに安全なものは作れない。特殊な毒に対する解毒薬を作るには、毒に対する知識が不可欠なんだよ」
薬品棚の下の引き出しから、瓶詰めの植物を出す。
「今日は、この辺の毒を扱ってみるか。正しい扱いを覚えておかないと簡単に死ぬからな」
「……うん」
緊張してるな。
レシピが書かれた本を出して、ページを開く。
「書いてあることで、わからないことがあったら聞いてくれ」
「わかった」
ルイスが、レシピを見る。
すでにいくつもの薬を作ってるんだ。基本的な道具の扱いにも慣れてるし、トラブルの対処法も頭に入ってるだろう。
何より、中級の解毒薬の製作を完璧にこなせるなら、もう少しレベルの高いものを目指せる。
「毒薬なんて、何に使うの?」
何にでも使えるけど。
「何故、毒を持つ生き物が存在するのかを調べればわかる」
「あ……。そっか。うん。調べてみるよ」
大方の予想がついたらしい。それを補完する知識は、自分で探した方が身に付くだろう。
「錬金術師が頼まれるもので合法的な毒薬といえば、害獣退治が主だ。巨大生物と戦う時に、相手を弱体化させる目的で作る場合もある」
「そうなんだ」
「けど、頼まれても絶対に作るな。断れ」
「え?どうして?」
「毒なんて、他人に渡してしまえば、何に使われるかわかったもんじゃないからな」
「欲しがる人が、目的通りに使うとは限らないってわけだね。……うん。わかった」
良い返事だ。
「じゃあ、始めるか」
「うん」
※
夜。
部屋に戻ると、リリーがベッドの上で本を読んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
隣に行って、解かれたリリーの長い髪を撫でる。良い香り。
「何、読んでたんだ?」
「トリオット物語」
「あぁ、マリーに借りたのか」
「うん」
本当に好きなんだな。
リリーが栞を本に挟む。あれ?
「その栞……」
押し花だ。
「エルから貰ったお花……。とっておきたくて。マリーとキャロルに手伝って貰って、押し花の栞にしたの」
そんなに大切にしてくれるなんて。
「灯り、消して良い?」
「あぁ」
明かりを消して戻って来たリリーを抱きしめる。
「エル?」
「愛してるよ。リリー」
顔を上げて、リリーの唇に指先で触れる。
「だめ?」
「今日は、だめだよ」
今日は、だめらしい。
ベッドに入って横になる。
あぁ、話したいことがあったんだ。
「リリー。剣の稽古に付き合ってくれないか?」
「えっ?……剣の稽古?」
セルメアでは、魔法を使って目立ちたくない。
「エル、剣を使えるの?」
「養成所で勉強してたんだ。実戦経験は、ほとんどないよ」
しばらく、まともに使ってなかったから、感覚を取り戻したい。
「もしかして、二刀流?」
「……なんで?」
「物置から、片手剣とレイピアが出てきたから。どっちもエルのなんだよね?」
そういえば、物置に仕舞ってたっけ。
「片手剣は、養成所の初等部で必修だったんだ。中等部からは好きな武器を選べるから、レイピアにした」
「使えるのは、それだけ?」
「短剣も教わったよ」
レイピアの基本は、短剣で相手の攻撃をガードしつつ、レイピアで攻撃を行うことだ。
「私、どれも教えられないよ?」
「片手剣で相手してくれるだけで良いよ。俺はレイピアを使うから」
「片手剣だって、得意じゃないよ」
「それでも良いよ」
大剣をあれだけ振り回せるんだ。充分、強いに違いない。
「明日は暇?」
「明日は、午後からキャロルとやりたいことがあるから……。午前中なら大丈夫」
「わかった」
少し戦えば、思い出すだろう。
「キャロルと何をやるんだ?」
「えっと……。秘密?」
秘密って。今日の秘密の買い物は、サンドイッチの材料のことじゃなかったのか?
「危ないことじゃないだろうな」
「大丈夫だよ」
リリーが笑う。
なら、良いけど。
体を起こして、リリーの頬を撫でる。
「だめ?」
きれい。見つめると、必ずまっすぐ見つめ返してくれる。
「明日、早起きしてくれる?」
「リリーが起こしてくれたら」
目を閉じたリリーの唇にキスをする。
愛してる。幸せ。




