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薄明に繋ぐ弧弦, エルの物語  作者: 智枝 理子
Ⅱ-ⅳ.Heure dorée
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063 春の白雪

 誰かの気配がする。

 それに、精霊たちとの話し声。

 近づいてきた腕を掴む。

「おかえり」

 会いたかった。

 そのまま腕を引いて、倒れ込んだリリーを抱きしめる。

 あぁ、落ち着く。たった一晩、離れていただけなのに、ここまで恋しく思うなんて。

「ただいま、エル」

 顔を上げたリリーの額にキスをして、髪を撫でる。

 ツインテールに結ばれた漆黒の長い髪。今日は、青い花のカチューシャを付けてくれている。

「ほどいて良い?」

「えっ……。まだ、だめだよ」

 まだ?

「いつなら良い?」

「寝る時なら……」

「じゃあ、今から一緒に寝よう」

「だめだよ」

 だめらしい。

 リリーが起き上がる。

「ごめんなさい。起こしちゃって」

 肩の部分が膨らんだシルエットの可愛い青系のワンピース。今日は青でまとめたのか。

「可愛い」

「えっ?」

「似合うよ」

 他にも色んな服を買ったみたいだから、楽しみだ。

 部屋には、服屋の荷物が山積みになってる。マリーたちが、あちこち連れまわして買ったんだろう。……この分だと、リリーの服はオルロワール家にもあるな。リリーは、また泊まりに来いって言われるかもしれない。

「昨日は、一人で寝られたのか?」

「えっと……。マリーの部屋に泊まったから……」

 マリーと一緒に寝たのか。本当に一人で寝られないんだな。

「離してもらっても良い?」

 リリーが手を見下ろす。

「なんで?」

「これから、キャロルと買い物に行くの」

 出掛けるのか。

「キスして」

「えっ?」

 また、だめって言うかな。嫌なら拒否しても構わない。元々、振り払えないほどの力で拘束しているわけでもない。ただ、少しでも長く居たくて……。

 長い髪が顔にかかって、柔らかい感触が頬に触れる。

 してくれた。

 ……このまま離したくない。

「いってらっしゃい。リリー」

 リリーの指にキスをして、離す。

「いってきます」

 遠ざかる足音に、扉が開閉する音。

『起きないの?エル』

 体が、変。

『まだ、起きられないんじゃないかしらねぇ』

 あまりにもリリーが可愛いから。

『出かけたいんですか?』

 高揚した感情が収まらない。

『毎日行ってるから、気になっちゃって』

 離したくなんてなかった。

『孤児院に行ってるんだっけー?』

 孤児院?

『孤児院というと……』

『グラッツ孤児院か?』

『名前は知らないわ。この近くってことしか』

『なら、グラッツ孤児院ですね』

 毎日、あそこに行ってたのか。

『お気に入りの子でも居るのぉ?』

『雪が見たいって言ってる子が居るのよ』

『雪?』

『ラングリオンでは、雪は滅多に降らないぞ』

『だから、ずっと、雪の精霊にお祈りしてたみたい』

『この辺には、雪の精霊は居ないのにねー』

 それどころか、もう桜の季節だ。

 ……春の雪か。

「良いよ。行こう」

『えっ?起きてたの?』

「これだけ喧しかったら起きるだろ」

 起き上がって、仕度をする。

「俺の魔力を使って良いから、その子の夢を叶えてやってくれ」

『えっ?私が魔法を使うの?』

「その子は雪の精霊に祈ってるんだろ?」

『私が他の人間に見られても良いってこと?』

「子供に見られるぐらい大したことじゃない。それに、ナターシャは綺麗な精霊だから、直接、会えた方が嬉しいよ」

『そこまで言うなら……。良いわ』

 準備が出来た。

「行こう」

 

 ※

 

 一階に降りて、店へ。

「おはよう、エル」

「おはよう、ルイス」

「遅かったね。リリーシアなら、キャロルと買い物に出かけちゃったよ」

「聞いたよ。どこに行ったんだ?」

「秘密の買い物だって」

「秘密?」

 何を買いに行ったんだ?

「出かけるの?」

「あぁ」

「すぐ帰る?二人は、お昼も買ってくるって言ってたよ」

「なら、昼までには戻るよ。いってきます」

「いってらっしゃい」

 

 ※

 

 グラッツ孤児院は、家からそう遠くない場所にある。

 マントのフードをかぶって、孤児院の近くへ。低い塀からは、元気に子供が走り回ってる様子が見える。

「いつもの子は居るのか?」

「居るわ」

 良かった。

 孤児院の様子が見える物陰に隠れる。

「ナターシャ、顕現して。あの子に雪を見せてやってくれ」

『任せて』

 顕現したナターシャが、木陰に座ってる子供の方へ飛んで行った。

 何か話してるみたいだ。気付いた他の子供たちが、ナターシャの方へ集まって来る。

 ナターシャが空高く飛んで魔法を使うと、歓声が上がった。

 雪だ。

『綺麗ですね』

「あぁ」

 太陽の光を受けて、きらきらと輝きながら雪が降り積もる。

 ……やばい。

『大丈夫ですか?』

『自然現象を引き起こす魔法は、多くの魔力を消費するからな』

 思わず、膝を付く。

『エル、』

「心配要らない」

 倦怠感と貧血のようなめまい。

 魔力を持っていかれるって、こんな風に実際に起こってることと比べないと、本当に気づけないよな。

『ただいま』

「おかえり、ナターシャ」

 顕現を解いて帰ってきたらしい。

『大丈夫?』

「大丈夫だよ」

『強がっちゃってぇ』

『私、やっぱり自分の魔力を使った方が良かった?』

「契約してるんだから、自分の魔力を使う必要なんかない」

『契約者が倒れたら意味がないわ。私にとって、エルは大切な人間なのよ』

「心配しなくても、人間は魔力がなくなったところで……」

『もうっ。イリスにあれだけ言われたのに、まだわからないの?皆、エルのことが心配なのよ』

「心配なんて要らない」

 症状は収まった。

 立ち上がって、フードを被り直して歩き出す。

 孤児院では、白くなった大地の上で子供たちが元気に遊んでいる。夢が叶って、良かった。

『真っ直ぐ家に帰るのぉ?』

 そのつもりだけど。

「行きたいところでもあるのか?」

『この前ぇ。ポラリスが、変なこと言ってたのよねぇ』

「ポラリスに会ったのか?」

『リリーの傍に居たからな』

「あぁ」

 マリーが、リリーをポリーズに連れ出した日か。

―呪われてる人は、占えないって……。

 何故か、ポラリスの店にも連れて行かれてたよな。

「変なことって?」

『女王がぁ、精霊と同化してるってぇ』

「同化?」

『覚えているか?』

「前に、ポラリスが話してたやつだろ?強い精霊と契約する場合は気を付けろって」

『それしか覚えてないのか?』

『エル。ちゃんと聞いて下さい。このままでは、人間では居られなくなりますよ』

「どういう意味だ」

『私よりもポラリスの方が詳しいです』

『それにぃ、グラシアルの女王のこと、知ってるみたいだったわよぅ?』

 女王の話を聞けるのか。仕方ない。

「行ってみるか」

 

 ※

 

 ポラリスの店に行く途中で、鐘の音が響いた。丁度、昼になったらしい。

 帰るのが遅くなりそうだ。

『丁度良かったですね』

「何が?」

『ポラリスの店は、午前中は混んでますから』

 そういえば、そうだった。

 

 サウスストリート沿いにあるポラリスの店。その裏口の扉を開く。

「ここって、いつでも開いてるんじゃないのか?」

『そんなことありませんよ』

 ポラリスが占いたい奴が来る時だけ開いてるって話だけど。閉まってる時を知らない。

「いらっしゃい」

 全身を暗い色のローブで隠した得体の知れない占い師。何も言わなくても、相手の情報はすべて知っているらしい。

 そして……。

「サンドリヨン。戸締まりは頼んだよ」

『仕方ないですね』

 顕現したエイダが扉の鍵をかける。

 こいつは、顕現していない精霊の存在をリリーのように把握している。

「おいで」

 奥の部屋に入ると、ポラリスが水晶の前に座った。

 目元を隠すように深く被ったフードに、口元を完全に覆い隠す布。こんなに間近で対面していても、顔をほとんど隠しているせいで表情は一つもわからない。

「残念だ。お前はまだ人間のようだな」

「どういう意味だよ」

 ポラリスが笑う。

「エイダの影響については教えただろう。少しばかり時が止まっているようだが、大した影響じゃない」

「時が止まってる?」

「また、この説明をさせる気かい」

『お願いよ。もう一度、エルに説明してあげて』

 ポラリスが長いため息を吐く。

「お前は、大精霊がどれだけの恩恵を与える存在か、全くわかってないようだね」

「恩恵?」

「良いかい。精霊と人間は異なる存在だ。契約し、魔力を共有する関係を築いたならば、お互いに影響し合うのは理解出来るだろう」

「契約を結んだところで、本質を変えるような影響はないはずだ」

「もちろん、その考えは大筋で正しい。ただ、人間は弱く、簡単に他に影響される存在だ。炎の精霊と契約したならば、嫌でも炎の精霊の恩恵を受けることになる。つまり、炎の精霊に近づくんだ」

「近づく?人間が、精霊に?」

「そうだ。と言っても、一般の精霊から受ける恩恵など、せいぜい熱さや火傷に強くなる程度だが」

「そんなの聞いたことがない」

「私の知識に疑問を挟むな。真実だ」

 精霊との契約には、軽微とはいえ、人間の体質を変えるような影響があるらしい。

「しかし、大精霊との契約となれば、並の精霊の比ではない。何よりも強い精霊からの恩恵。それが、不老。……だから、忠告してやってだろう。食事は必ずしろと」

「どういう意味だ」

「人間らしさを忘れれば、簡単に精霊の力と同化する」

「同化って?」

「不老不死となり、魔力で生きる存在になる」

「そんなの、亜精霊と変わらない」

「少し違うな。エイダがお前を食わない限り、亜精霊になることはない。人間の意思を保ったままで居られるさ。グラシアルの女王のように」

「なんだって?」

 女王は、大精霊と同化してる……?

「おや。口が滑ったねぇ」

 怪しげな笑い声。

 でも、こいつが話すことはすべて事実のはずだ。

「グラシアル女王は、氷の大精霊と契約してるんだろ?それが、同化して、不老不死になってる?」

「答えられないな」

 つまり、その正体は……。

「初代女王リーシア?」

 船旅で読んだ本に書いてあった女王。

「そいつがずっと、グラシアルの女王なのか?なら、なんで、女王の娘が要るんだ。代替わりが必要ないなら、王位継承候補なんて不要だ。今だって、その制度がおとぎ話だって言ってる連中も居るぐらいなのに、なんで……」

「答えられないと言っているだろう。他人の運命については語れない。私が語れるのは、お前の運命だけだ」

 他人の運命を無関係の人間が知ることで、その人物の運命が狂うから、だっけ。口を滑らせても良かったのは、俺と女王が同じだから?

「運命なんて、信じない」

 二度と失ったりなんかしない。

「運命に抗うか。……そういえば、あの娘は、お前の運命を壊したんだったな」

「壊した?」

「お前は、あの娘を殺して悪魔になるはずだった」

『え?』

『エルが誰かを殺すなんて、あり得ないわ』

「覚えはないとは言わせないよ」

『ポルトペスタの戦いか』

 まさか、ソニアと戦った時?

「雪の精霊と契約しておいて良かったじゃないか。氷の魔法使いも、リリーシアを守る盾を張っていたようだからね。おかげで、何とか死なずに済んだというわけだ」

 俺は……。あの時、まともに浴びれば女王の娘ですら殺せるような魔法を使っていたのか?

「いくら女王であろうとも、魂の離れた死人の蘇生は出来ない。氷の精霊だって、人の願いや代償なしに人間を復活するなど不可能だ」

 俺が、リリーを……?

「本当に、残念だったねぇ」

『酷いわ』

「そんなに俺を悪魔にしたいのか」

「私が一番欲しいのは悪魔の魂だ」

『エルは、悪魔になんかならないわ』

『そうよぅ』

「悪魔になったら、いつでも食ってやるというのに」

『エル。大丈夫ですよ。私たちが付いてます』

『この人、どうして、こんなに色んなこと知ってるの?』

「私は何でも知っているだけさ」

『リリーみたいに見えるし、聞こえるのよね?』

「リリーとは違う」

『ポラリスは、こういう奴だからねー』

『この世のものだとは思わない方が良い』

 俺も、こいつが人間だとは思ってない。

「まったく。お喋りな精霊たちだねぇ」

 あらゆる人間の運命を的確に言い当てるんだから。

 ……ん?

―お前は、あの娘を殺して悪魔になるはずだった。

「俺は悪魔にならなかった。つまり、予言が外れたのか?」

「その通り。なかなか面白い娘じゃないか」

「じゃあ、俺の予言は変わったのか?」

―あなたは、大きな力を得る代わりに大切なものを失う運命。

―あなたは周りを不幸にする人間。

―いつか、悪魔に列せられる魂。

「私の予言を聞きたいんだね」

「あぁ。代償なら払う」

「良いだろう。見てみるとしようか」

 ポラリスが水晶越しに俺を見る。

「揺らいでいるな」

「揺らいでる?」

「あなたは、大切なものを失う運命。失えば、永遠に現世をさまよう運命」

 変わらない……。

「あなたは、愛する者と殺し合う運命」

「は?」

「お前が、あの娘と戦う姿が見える」

「なんで」

 意味がわからない。

「両者は違う道を示している。さて、お前はどちらへ進むのかな」

「何言ってるんだ。どっちも、ろくな予言じゃないぞ」

「どちらも、これから起こる可能性の高い事実だ。ただし、真実とは限らない」

「どういう意味だ」

「そのままだ」

 意味がわからない。

 でも、このままじゃ、どちらの道へ進んでも……。俺は、このままリリーと関わり続けて良いのか?もし、俺のせいで死なせることになったら……。

「さて。代償を貰うぞ」

「何が欲しいんだ」

「お前の血だ」

 ポラリスが杯を出す。

 用意周到だな。これも想定通りだっていうのか。

 指に傷を付けて、杯に血を垂らす。

「そんなに俺の血が欲しいのか」

 エイダと契約した後に来た時もそうだった。

「生まれつき大きな魔力を持つ者の血だからな。利用価値は高い」

「人殺しの血だ」

『え?』

 力なんて、要らない。

『エルは誰も殺してなんかいないわよぅ』

 俺が魔力を持っていなければ。

『エル……』

 俺の母親が死ぬことはなかった。

 故郷が消えることもなかった。

 フラーダリーが死ぬこともなかった。

 リリーが死にかけることだって……。

「エルロック。死は、万人に等しく訪れるものだ。お前にも必ず訪れるが、それは今ではない」

 皆、そう言う。

「望むなら、早く悪魔になって、私の元に来い」

「冗談じゃない。食われてたまるか」

「残念だねぇ」

 俺は、悪魔になんかならない。



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