「好敵手と、絵を」
「——ごきげんよう、来海さん。あなたの首を取りに来ましたわ」
「開口一番が物騒!!」
打ち合わせ室に現れたソフィー——上原智恵は、タブレットを抱えて、優雅に、そして好戦的に微笑んでいた。
MVのアートディレクション担当。楓の指名に、彼女は二つ返事で乗ったという。
「勘違いなさらないで。引き受けたのは、あなたのためではありませんの。**あなたの初の作品の絵を、私以外の誰かが描くのが、我慢ならなかった**だけですわ」
「それは、その……光栄という解釈で?」
「お好きにどうぞ」
つん、と顔を背ける。——旅館のあの日から、ずいぶん遠くへ来たものだ、と燈哉は思う。
かつて彼女は、嫉妬から策を巡らせた「悪役令嬢」だった。それを見抜いたのは、皮肉にも彼女の**絵の癖**——ハイライトの形、光の向き、影に混ざる紫、レタリングの手癖。誰にも真似できない、忘れられない絵。
「……ソフィーさん。今日は最初に、これを言おうと思ってました」
「あら、何かしら」
「あなたのあの絵の癖——**今度は、武器にしましょう**。俺のMVの画面、全部あなたの癖で染めてほしい。誰が見ても一目で『この絵の人だ』って分かる映像にしたい」
「————」
智恵の目が、少しだけ見開かれ——それから、これ以上なく不敵に細められた。
「……ふ、ふふ。言われなくても、そのつもりですわ。**私の絵で、あなたの歌を、私ごと歴史に残して差し上げる**」
「言い方!! でも合意!!」
◇
共同制作は——初日から、戦争だった。
「サビの画は夜明けですわ。歌詞の『それでも好き』は、朝の色ですもの」
「いや、夜です。この歌の主人公は夜を抜けてない。抜けてないまま『好きだ』って言うから意味がある」
「甘いですわね! 聴く人には希望の画を渡すべきですのよ!」
「嘘の希望は渡したくない! この歌だけは!」
タブレットを挟んで、二人は一歩も引かなかった。企画会議に同席していた琴音が、ぽつりと呟く。
「……仲いいね、きみたち」
「「どこが!?」」
「息ぴったり」
だが、衝突は不毛ではなかった。ぶつかるたびに、案は磨かれた。夜か朝かで三日揉めた末に、智恵が突然、タブレットに一枚のラフを叩きつけた。
「——できましたわ。**夜明けの、一分前**」
そこに描かれていたのは、まだ暗い群青の空の、地平線にだけ、ほんのひと筋の光が滲む画だった。夜のままで、でも、朝が来ることだけは分かる——。
「夜を抜けていないあなたの言い分と、希望を渡したい私の言い分。**両方勝ちですわ**」
「————これだ」
燈哉は、思わず画面に見入った。悔しいくらいに、完璧だった。
「……ソフィーさん。あなた、天才だ」
「ええ、知ってますわ。……ふ、ふん。あなたの負けず嫌いに付き合った結果ですのよ。感謝なさい」
(顔が赤いの、隠せてないんだよなあ)
◇
制作は深夜まで及ぶことも増えた。ある晩、作業の手を止めた智恵が、ぽつりと言った。
「……ねえ、来海さん。一つ、白状してもよろしくて?」
「なんですか、改まって」
「旅館の、あの後。私、筆を折ろうかと思ってましたの」
「————」
「あんなことに絵を使った自分が、心底嫌になって。……でも、あなたが言ったでしょう。私の絵は『忘れられない絵』だと。あの言葉が、ずっと、棘みたいに刺さってて——**抜けないから、描き続けてしまいましたわ**」
智恵は、モニターのラフを見つめた。夜明け一分前の、群青の空を。
「今は、その棘に感謝してますの。……この仕事、受けてよかった。あなたと作る絵は——**腹立たしいくらい、楽しい**」
「……俺もです。あなたと揉めるの、腹立たしいくらい楽しい」
「「ふふ」」
顔を見合わせて、同時に笑う。かつての策士と標的は、いつの間にか、世界で一番遠慮のいらない**好敵手**になっていた。
「さ、次のカットですわ! 次はあなたが折れる番でしてよ!」
「折れません!!」
——MVの画は、こうして一枚ずつ、戦争と和解を繰り返しながら、積み上がっていった。




