「九帝と、歌を」
「——ようこそ、我が音楽室へ。契約書にサインを」
「初手が魔界の作法!?」
V-ARENAの奥に組まれた「ソロモンの音楽室」は、パイプオルガンと蝋燭が並ぶ、大公爵の名にふさわしい空間だった。九帝の一人にして登録者二百八十五万——九頭如ソロモンの、歌のレッスンである。
(ソロモンさんとちゃんと絡むの、一周年の凸待ちと人狼以来か。……あの時は「ぼっちだから人狼できない」をいじり倒されたんだよな)
「ふふ。あの人狼の童が、オリジナル曲とはねえ。大きゅうなって」
「その節はお世話になりました……」
「では早速。——一曲、いつも通りに歌ってごらん」
言われるまま、来海は夏祭りで歌った一節を歌った。歌い終わると、ソロモンは扇をぱちりと閉じ、実に楽しそうに言った。
「うん。**上手ね。それだけ**」
「ぐさっ」
「勘違いしないで頂戴。上手は褒め言葉よ。でもね、童——**配信の歌**と**作品の歌**は、別の生き物なの」
ソロモンは、パイプオルガンの前に立った。
「配信の歌は、その場の空気と一緒に流れて消える。それでいい。でも作品の歌は、百年残る前提で歌うの。聴く人は、何百回も繰り返し聴く。……何百回聴いても崩れない歌には、何が要ると思う?」
「……技術、ですか」
「**呼吸**よ」
大公爵は、自分の胸に手を当てた。
「歌は呼吸。呼吸は生き方。あなたの歌はね、童——**息を吸う場所で、いつも少しだけ、周りを窺ってる**。誰かの反応を確かめてから、次の音に行く。配信で鍛えた癖ね。愛おしい癖よ。でも、作品では邪魔」
「————」
図星、だった。リスナーの反応を見ながら歌う。コメントの流れで尺を変える。それは配信者の本能で——常に「バレていないか」を窺い続けてきた、燈哉の生き方そのものでもあった。
「今日から呼吸を作り直すわよ。腹式の基礎から、フレーズの設計まで。——覚悟なさい。私、教えるとなったら**長い**わよ」
「よ、よろしくお願いします!」
◇
レッスンは、噂に違わず長く、そして熱かった。
「違う。息を吐き切ってから吸う。吐き切るのが怖いのは、次の保証が欲しいから。——**保証はないの。それでも吐き切るのが、表現**」
「はいっ」
「そこのロングトーン、揺れたわね。揺れは心の揺れ。何を考えた?」
「じ、次のフレーズの入りを」
「先のことを考えて今の音を捨てない。**今の一音が、全部**」
(レッスンなのに、人生の説教を食らってる気がする……!)
三時間後。喉と腹筋を酷使し尽くした来海に、ソロモンは満足げに頷いた。
「今日はここまで。……最後に一つ、いいことを教えてあげる」
大公爵は、蝋燭の灯りの中で、少しだけ声を柔らかくした。
「私たち九帝が黎明期を走ってた頃はね、作品なんて作る余裕、誰にもなかった。配信して、寝て、配信して——それだけ。作品を作れるようになったのは、ずっと後。……だからね、童」
「はい」
「デビュー一年半でオリジナル曲を出せるあなたは、**私たちが作った道の、先を走ってる**。誇りなさい。そして——追い抜きなさい。先達の背中は、抜かれるためにあるの」
「————はい!」
◇
帰り際、非公開の通話のまま、雑談になった。
「そういえばソロモンさん、なんで俺にここまで」
「あら。理由は三つよ。一つ、楓に頼まれたから。二つ、面白そうだから。三つ——」
ふ、と大公爵の声が、悪戯っぽく笑った。
「——人狼で無様に散ったあの童が、どこまで大きくなるか。**最後まで見届けたくなっちゃった**のよね。……大人って、そういう生き物なの」
「……ありがとうございます。師匠」
「し、師匠!? ……ふ、ふふ。悪くない響きね。よし童、明日も来なさい。特訓追加よ」
「舌の根も乾かぬうちに!?」
——歌の先生は、厳しくて、長くて、そして途方もなく、温かかった。




