「ニアミス」
事件は、次の土曜日に起きた。
その日、燈哉のスケジュールは、我ながら充実していた。昼は遥と、こんど発売されるゲームの試遊イベントへ。夜は静と、ラーメン調査の第二回へ。
(人付き合いって、続く時は続くんだよな。ありがたいことだけど)
ダブルブッキングという概念はない。昼と夜なのだから、何も被っていない。理屈の上では、完璧にそうなのである。
◇
昼の部は、平和に終わった。
試遊イベントを満喫し、駅前で遥と別れる。
「じゃあね、燈哉! 今日もありがと!」
「おう。マイク、届いたら試させて」
手を振って別れた遥は、しかし、すぐには帰らなかった。イベント会場でもらった限定ステッカーを眺めながら、駅前のカフェで余韻に浸る——それが彼女の、幸せな締めの儀式だったのである。
窓際の席で、アイスティーを一口。ステッカーを一枚めくって、にやにや。我ながらちょろい、と思う。
そして、なんとなく窓の外を見た——その時だった。
見慣れた黒短髪の青年が、商店街の方へ歩いていくのが見えた。
(あれ? 燈哉? 帰ったんじゃ……)
その隣に、金髪ツインテールが並んだ。
(————は?)
遥の目が、まん丸になる。二人は何やら言葉を交わし、当たり前のように並んで、ラーメン屋の暖簾をくぐっていった。素の格好の燈哉と、静。どこからどう見ても、手慣れた「いつもの」空気で。
ぐらり、と世界が揺れた。
(な——なんで、静ちゃんが、"いつもの"燈哉と——)
アイスティーのグラスを握りしめ、遥は窓に張り付いた。そして、張り付いたことを、一生後悔することになる。
ラーメン屋の窓際の席に着いた静が——ふと、顔を上げた。
視線が、通りを挟んで、正面から、かち合った。
「「————————」」
カフェの窓の遥。ラーメン屋の窓の静。
時が、止まった。
静の目が、ゆっくりと見開かれていく。カフェ。窓際。白髪。イベント帰りらしき紙袋。そして——その視線が意味するものへの、理解。
((見た——見られた——見た!! 見られた!!))
先に動いたのは、どちらでもなかった。何も知らない燈哉が「静? ラーメン伸びるぞ」と声をかけ、静は硬直したまま着席し、遥は硬直したままアイスティーを飲み干した。味は、しなかった。
◇
翌日。本社の空き会議室に、二人の少女が向かい合っていた。
かつて志穂バレの直後、恋の開戦式が行われたのと、同じ部屋である。
「……単刀直入に聞きます。先輩、昨日、カフェで何を」
「そ、それはこっちのセリフだよ! 静ちゃんこそ、"いつもの"燈哉と、なに二人でラーメン食べてたの!?」
「あれは調査です! 業務です!」
「業務で餃子半分こする!?」
「なっ——み、見えてたんですか!?」
「見えてたよ!! 窓際だったから!!」
「そっちこそ! イベント帰りの紙袋! 昼間、兄さんとどこかへ行っていた帰りでは!?」
「〜〜〜っ、そ、それは」
「図星ですね。答えてください。規約第五条の精神に照らして、あなたのしていることは——」
「——それ、言っちゃう?」
遥の声が、すっと低くなった。追い詰められた小動物は、時に、開き直るのである。
「静ちゃんがワタシを会で告発したら、ワタシも静ちゃんのラーメンと餃子を告発する。……そしたら、どうなると思う?」
「————」
「二人とも、美咲ちゃんの実況付きで裁判。瑠奈ちゃんにも知られる。会は大荒れ。そして多分——**燈哉と気軽に出かけられる空気は、二度と戻らない**」
静は、黙った。悔しいことに、完璧な読みだった。相手を撃てば、自分も死ぬ。撃てない銃を突きつけ合ったまま、二人の少女は、長い長い沈黙に沈んだ。
やがて、静が深いため息とともに、口を開いた。
「……停戦、協定を。提案します」
「……聞こうじゃない」
「一つ。互いの"個人的な外出"について、会には黙秘する」
「賛成」
「一つ。互いの外出を、妨害しない。尾行しない。窓から監視しない」
「あれは事故だから!! ……賛成」
「一つ。——これが最後です」
静は、まっすぐに遥を見た。元ヤンの目に、敵意はもうなかった。代わりにあったのは、同じ痛みを知る者の、奇妙な連帯だった。
「この協定は、**あくまで停戦**。終戦じゃない。……私は、譲りません。これからも」
「……ん。ワタシも、譲らない。これからも」
差し出された手を、遥は握った。固い握手が、一度だけ交わされる。
「「——停戦、成立」」
かくして、史上もっとも奇妙な協定が結ばれた。互いの秘密を握り合い、互いの恋を認め合い、それでも一歩も引かない——恋敵同士の、相互確証破壊である。
◇
——その夜。フルパのグループチャット。
『美咲:ねー、なんか今日の二人、へんじゃなかった? 妙によそよそしいというか、妙に息ぴったりというか』
『遥:気のせいだよ!』
『静:気のせいです』
『美咲:ほら息ぴったり!!』
『瑠奈:?』
『燈哉:?』
——疑問符を並べる二人だけが、今日も平和である。




