「二人のいつもの」
土曜日、昼前の電気街。
「燈哉! こっちこっち!」
手を振る白いパーカーの少女に、黒短髪の青年が小走りで合流する。素の格好の燈哉と、遥。二人だけの、機材屋巡りである。
(規約第五条は「会合の場」の話。これは会合じゃなくて、ただの買い物。つまりセーフ。セーフです)
誰に対する言い訳なのか、遥は心の中の議事録に「セーフ」と三回書き込んだ。
「で、マイクを新調したいんだっけ?」
「そう! 歌枠用にもうワンランク上のやつ! 燈哉、機材詳しいから頼りにしてます!」
「詳しくなったのは配信のためだけどな。……あ、あの店、試聴ブースあるよ」
機材屋のマイク売り場で、二人は片っ端から候補を試した。狭い試聴ブースに二人で入り、肩を並べてイヤホンを片耳ずつ分け合う。
「ね、これどう? 声、近く聞こえない?」
「どれ。……お、確かにいい。遥の声質だと高域が――って、近いな!?」
「イヤホン片耳ずつなんだから仕方ないでしょ!」
(近いのは、そう、機材のせい。機材のせいです)
心の議事録が、また一行増えた。
マイクは無事に決まり、帰り道にはクレープを買った。歩きながら食べるクレープは、なぜか店で食べる百倍うまい、というのが二人の共通見解である。
「……ん。この時間、久しぶりだね」
「そうだな。最近みんなで集まることが多かったから」
「みんなでいるのも楽しいよ? 楽しいけど……たまには、こういうのも、いいよね」
「ん? ああ。気楽でいいよな」
(気楽って言った。この朴念仁)
(クレープ、うまいな)
会話は噛み合っていないのに、隣を歩く歩幅だけは、ぴったり合っていた。
別れ際、遥はスマホを取り出し、クレープの写真をフルパのチャットに——投稿しかけて、止めた。
(あぶないあぶない! これは、内緒のやつ!)
写真は、誰にも見せないフォルダに、そっと保存された。フォルダの名前は『いつもの』。中身が増えていくことを、遥だけが知っている。
◇
日曜日、夜の商店街。
「兄さん。時間ぴったりです。さすがです」
「ラーメンに遅刻する男と思われたくないからな」
素の格好の燈哉と、静。二人だけの、ラーメン調査である。
「本日の調査対象は、こちら。二週間前にオープンした味噌の新店。行列は平日夜で十五分待ち。SNSの評点は4.2。——では、入店します」
「調査って言うわりに、目が完全に楽しみなんだよなあ」
席に着くと、静は鞄からノートを取り出した。表紙には『ラーメン調査記録』。ページを開くと、几帳面な字でびっしりと過去の記録が並んでいる。
「本気のやつだ」
「地元にいた頃からの習慣です。……シマのラーメン屋は、全店制覇しました」
「シマって言うな」
運ばれてきた味噌ラーメンを、二人は無言で啜った。うまいものを食べている時、人は無口になる。ややあって、静が、ぽつりと言った。
「……兄さん。餃子、頼んでいいですか」
「いいけど」
「一皿を、その、はん……半分こ、で」
「ん? いいよ。俺も食いたかったし」
「————っ」
(餃子の半分こ、成立……! 記録します)
調査ノートの隅に、ラーメンの評価とは無関係の小さな丸が、一つ書き加えられた。この丸の意味を知る者は、世界に一人しかいない。
帰り道。夜風の中を並んで歩きながら、静は隣の横顔を、ちらりと見上げた。
「……兄さんは、その。こういうの、迷惑じゃ、ないですか」
「こういうの?」
「私の、調査に、付き合わされるの」
「迷惑なわけないだろ。うまいラーメン食って、うまい餃子食って。……楽しいよ、普通に」
「……そう、ですか」
(楽しい。楽しい、いただきました)
俯いた静の口元が、緩んでいたことを、燈哉は気づかない。街灯の下、二つの影が並んで伸びる。それだけのことが、どうしようもなく特別な夜が、あるのである。
◇
——月曜日。燈哉は、自宅の家計簿アプリを見て首を傾げていた。
(今週、外食多かったな。エンゲル係数が……まあ、どっちも楽しかったからいいか)
彼の週末の記録は、それで終わりである。
一方、その頃。
とある白髪の少女は、『いつもの』フォルダのクレープの写真を眺めてから、眠りについた。
とある金髪の少女は、調査ノートの小さな丸を確認してから、ノートを枕元の引き出しに仕舞った。
二つの「いつもの」は、まだ、互いの存在を知らない。
——知らないままで、いられるはずも、ないのだが。




