「『かわいい』はクリティカル」
その日の定例会で、最初に異変に気づいたのは、美咲だった。
「……ん? んん?? 瑠奈ちゃん、あなた——」
防音会議室の扉を開けて入ってきた瑠奈は、いつものイベントTシャツに、いつものジーンズ。……ただし、一点だけ、決定的に違っていた。
髪である。
あの好き勝手に跳ねていた紺色の髪が、今日は毛先までまっすぐに、絹のように流れていた。窓から入る風に、さらり、と綺麗に舞う。
「髪!! めっちゃサラサラになってる!! どうしたの!?」
「……そうびの、めんてなんす」
「装備!?」
((——!!!))
遥と静が、無言で顔を見合わせた。二人の脳内に、同じ警報が、小さく鳴り始める。だがまだ、確信には至らない。髪を手入れする理由など、いくらでもある。……いくらでも、あるのだが。
そして——決定打は、何も知らない男から、あっさりと放たれた。
「あ、瑠奈さん、おつかれさまです。——って、わ」
資料を並べていた綾芽が、顔を上げて、目を丸くした。
「髪、きれいにしたんですね。……**今日、なんか可愛いですね、瑠奈さん**」
「————————」
瑠奈が、止まった。
完全に、止まった。
「……瑠奈さん?」
「————————……そ」
「そ?」
「…………そう」
三秒の沈黙ののち、絞り出されたのは、それだけだった。瑠奈はそのまま、いつもの席に音もなく着席し、いつもの姿勢でお茶に手を伸ばし——湯呑みを、空中で三センチ、掴み損ねた。
(((今、掴み損ねた!!!)))
(しんぱくすう、そくてい、ふのう。しこう、ていし。……さいきどう、ちゅう)
業界最強の反射神経が、湯呑み一つ取れなくなっていた。
会議は、つつがなく進行した。——表面上は。議事録の裏で、遥と静のメモ帳には、まったく同時に、まったく同じ一行が書きつけられていた。
『**要警戒**』
◇
数日後の、休日。
とあるショッピングモールの婦人服売り場に、場違いなイベントTシャツの長身美人が、仁王立ちしていた。
(そうび、こうしん)
あの日から、ずっと考えていた。考えて、考えて、瑠奈なりの結論に至った。
(かみを、めんてしたら、「かわいい」の、ひょうかを、かくとく。つまり、そうびを、こうしんすれば、ひょうかは、さらに、あがる。……これは、こうりゃくの、きほん)
何の攻略なのかは、考えないことにした。
「いらっしゃいませ〜。何かお探しですか?」
「……ワンピース、ください」
「かしこまりました! どんな感じのがお好みですか?」
「**かわいい、って、いわれる、やつ**」
店員は、一瞬きょとんとして——それから、燃えた。着せ替え人形にするには最高の素材が、向こうから来たのである。
三十分後。試着室の鏡の前に、チェック柄のワンピースを着た長身の美人が立っていた。
「お客様、スタイルが良すぎます……! モデルさんみたい! 絶対それ買いです!」
「…………」
鏡の中の自分を、瑠奈はじっと観測した。見慣れない格好。見慣れない自分。すーすーする足元。動きにくさ、防御力の低さ、どれをとっても装備としては欠陥品である。
(……でも)
これを着ていったら、あの人は、なんと言うだろう。
(——けっこう。こうにゅう、かくてい)
チェック柄と、もう一着——黄色いレースのフリルがついたものを、瑠奈は買った。人生初のワンピースが、二着である。
◇
次の定例会。
扉が開いた瞬間、会議室の時が止まった。
チェック柄のワンピースに、絹のように流れる紺色の髪。深めのキャップの下から覗く、灰色の目。長身の怪物ゲーマーは、どこからどう見ても、街で振り返られる系の美人であった。
「「「——————!?!?」」」
「るるるる瑠奈ちゃん!? どうしたのその服!! 超可愛い!!」
「……そうび、こうしん」
「装備の方向性が変わってる!!」
遥と静は、声もなかった。二人のメモ帳の『要警戒』の文字が、音を立てて確定情報に変わっていく。
((——間違いない。この変化は、**あれ**だ))
((私たちと、**同じやつ**だ……!!))
恋を自覚している者にだけ、その装備更新の意味は、正確に読めた。第三の恋敵——確定観測の瞬間である。
そして、当の観測対象はといえば。
「瑠奈さん、その服、いいですね。動きやすそうだし、似合ってます」
「……ん」
(動きやすくはないぞ綾芽ちゃん!? ワンピースだぞ!?)という美咲の心の叫びは、届かない。褒められた瑠奈は、キャップのつばを少し下げて、口元を隠した。
(ひょうか、かくとく。……さくせん、せいこう)
つばの下の口元が、ほんの少しだけ、緩んでいた。
◇
会議の後。綾芽が先に帰り、女子だけが残った会議室で——美咲が、厳かに宣言した。
「……えー、審判より、臨時のお知らせです」
ぱん、と手を叩く。
「本日をもって、当リーグに**第三の選手**の参戦が確認されました」
「「やっぱり!!」」
「本人に自覚があるかは不明! むしろたぶん無い! でもあの装備更新は、間違いなく**ガチ**です! いやー、面白くなってまいりました!」
「面白がらないでください! ただでさえ先輩という強敵がいるのに、これ以上戦線が広がったら——」
「し、静ちゃんこそ落ち着いて! まだ確定じゃ——いや確定か……あれは確定だ……」
騒然とする会議室の隅で、当の瑠奈は、もう帰り支度を終えていた。
「……? みんな、かえらないの?」
「「「(((無自覚が一番怖い!!!)))」」」
——第三の恋敵、参戦。本人、未自覚。対象、完全無自覚。
観測できている者だけが、頭を抱える戦場であった。




