「装備の調達とメンテナンス」
『モニター、こわれた。かいかえ。……ついてきて、ほしい』
その珍しいお願いは、深夜のデュオランク中に、ぽつりと落ちてきた。
「いいですよ。じゃあ土曜に……あ」
言いかけて、燈哉は気づいた。相手は社外の人間で、こちらは男。素の姿で街を歩けば、万一知り合いに見られた時に説明がつかない。
——だが、その問題には、もう答えが用意されていた。規約第五条。**会の活動は、綾芽の姿で**。
「——土曜、綾芽の姿で行きます。それなら、女子二人の買い物ですから」
『ん。……きやすめ、じゃなくて、ほんとに、かんぺきだから。あなたの、へんそう』
「プロのお墨付きが一番安心なんですよね」
◇
土曜日、昼前の電気街。
待ち合わせ場所に現れた瑠奈は、いつものイベントTシャツにジーンズ、そして深めのキャップという出で立ちだった。長身にその服装は、逆に人目を引くのだが、本人はまったく気にしていない。
「お待たせしました、瑠奈さん」
「ん。……きょうも、かんぺき」
すれ違う人が、二度見していく。モデル級の長身にラフすぎる服の美人と、清楚な黒髪の美少女(中身は男)の二人連れは、電気街でもそれなりに目立った。
「……見られてますね、俺たち」
「だいじょうぶ。だれも、なかみが、さいきょうゲーマーと、おとこ、とは、おもってない」
「その安心の仕方でいいのかな!?」
◇
モニター売り場での瑠奈は、早かった。
「これ。おうとうそくど、いちばん。いろは、みない。……かう」
「三秒!? 色とかデザインとか見なくていいんですか?」
「モニターは、そうび。そうびは、せいのう」
即決した144万——もとい十四万円のモニターと、ついでにマウス二つ、キーボード一つ。会計を終えると、当然のように大きな段ボール箱が積み上がった。
「……はいたつ、たのむの、わすれた」
「でしょうね!? ……しょうがない、持ちましょう」
綾芽は、モニターの箱をひょいと抱え上げた。十数キロの大箱である。ついでに紙袋も、まとめて左手に提げる。
「……もてるの?」
「あ——え、えっと、ほら、私、鍛えてるので! 配信は体力なので!」
(しまった、つい素で持ち上げた……!)
慌てて取り繕う綾芽の隣で、瑠奈は、じっとその手元を見ていた。
細い腕。完璧に女の子の見た目。なのに、箱はびくともしない。
(……ちから、つよい)
知っている。中身が男の人であることは、知っている。データでも、理屈でも、ぜんぶ知っている。——なのに。
(なんで、いま、みた。もういっかい)
じっ。
「る、瑠奈さん? 顔が近いです」
「ん。……なんでもない」
◇
帰り道は、車道沿いの歩道だった。
歩き出してすぐ、綾芽の位置が、すっと変わった。瑠奈の右側——車道側へ、自然に、当たり前のように。
(……いま、いれかわった)
瑠奈がそれを認識した、数十秒後だった。
ちりんちりん——と、背後から自転車のベルが鳴った。かなりのスピードで、歩道を突っ込んでくる。
「瑠奈さん、こっち」
肩を、軽く引き寄せられた。
自転車が、さっきまで瑠奈のいた場所を走り抜けていく。綾芽は箱を抱えたまま、何事もなかったように歩みを再開した。
「危なかったですね。歩道であのスピードは——瑠奈さん?」
「…………」
瑠奈は、止まっていた。
灰色の目が、瞬きを二回。それから、自分の肩に一瞬だけ触れていた手の位置を、見下ろす。
(——しんぱくすう、じょうしょう。すいてい、140)
(げんいん:ふめい。てきしゅう:なし。ダメージ:なし。なのに、けいかいレベルが、あがってる)
(……こしょう? わたし、こしょうした?)
「瑠奈さーん? 置いていきますよ?」
「……いく」
小走りで追いつきながら、瑠奈は胸の奥の異常値を、そっと保留フォルダに入れた。原因不明のバグは、再現条件が揃うまで観測を続ける。それが彼女の流儀である。
——この後、ゲームセンターのガンシューティングで瑠奈が歴代スコアを三倍更新して人だかりができ、二人で逃走する事件があったが、それはまた別の話である。
◇
その夜。自室に戻った瑠奈は、買ってきたモニターを設置し終えて、ふと、暗い画面に映った自分と目が合った。
紺色の髪。今日も毛先が、あちこちで好き勝手に跳ねている。
「…………」
気づけば、引き出しの奥から、ずっと使っていないヘアブラシを発掘していた。いつかの物販のおまけである。
しゃ、と一度、髪を梳く。
(……なんで、いま、かがみ、みてる? なんで、かみ、といてる?)
理由は、見つからなかった。見つからなかったが、手は止まらなかった。
しゃ。しゃ。
静かな部屋に、髪を梳く音だけが、規則正しく響く。
(……ま、いっか。そうびの、めんてなんす)
その夜、反町瑠奈の「装備メンテナンス」の項目に、生まれて初めて「髪」が追加された。
理由の欄は——空白のまま。




