「頂点の背中」
『【告知】東楓・月見の宴〜特別編〜 ゲスト:明野来海』
告知画像が出た瞬間、SNSのトレンドに「楓×来海」が入った。
『九帝の頂点と四期の看板』『事務所の新旧エースじゃん』『同接何万いくんだこれ』
——そして当日。燈哉は、配信開始一時間前のV-ARENA和風庭園(非公開状態)で、早くも圧倒されていた。
「来海や。立ち位置はそこ。月の出は開始十二分後、お前さんの見せ場は月が雲を抜ける瞬間に合わせる。歌の尺は四分十五秒。前後の語りは妾が巻くゆえ、お前さんは伸ばしてよい」
進行表が、秒単位だった。
照明も、カメラ位置も、コメントを拾う位置さえも、すべてが設計されていた。楓は羽織の袖を揺らしながら、庭園を隅々まで歩き、演出の一つ一つに最終指示を出していく。
「あ、あの、楓さん。ここまで細かく決めて、その通りにいくものなんですか?」
「いかぬよ」
楓は、事もなげに言った。
「生配信じゃぞ? 必ず、ずれる。——**ずれた時に戻せる場所を、百個作っておく**。それが設計というものじゃ」
(……レベルが、違う)
◇
配信は、開始一分で異次元だった。
「——ようこそおいでなさった。月見の宴、今宵は特別な客人を連れてきたぞ」
同時接続、開始三分で十万。来海のソロ配信の最高記録を、挨拶の間に超えていった。
だが本当の衝撃は、数字ではなかった。
(——空気を、握ってる)
楓が一拍、間を置く。十数万人が、息を呑むのが分かる。楓が笑う。コメントの流れが、笑いに変わる。楓が声を落とす。誰もが、聞き入る。十数万人の呼吸を、たった一人が指揮者のように操っていた。
「来海や。研究者どのから見て、今宵の月はどうじゃ?」
「は、はい! えー、本日の月齢は十三夜。満月の二歩手前です。……実は満月より十三夜を好んだのが、昔の日本人でして」
「ほう。完璧より、少し欠けた方が良いと?」
「はい。**未完成のものには、明日がある**ので」
「————」
一瞬、楓の目が、面白そうに光った。
「ふふ。……のう、皆の衆。今の言葉、今宵一番の月より良かったのう?」
『それな』『研究者ちゃんやるじゃん』『未完成には明日がある、いい言葉』『楓様が久々に素で笑った』
見せ場の歌も、無事に月と重なった。来海の歌声が雲間の月光と交差した瞬間、コメント欄は光の絵文字で埋め尽くされ——配信は、同時接続二十五万という数字を残して、大団円のうちに幕を閉じた。
◇
配信終了後。観客のいなくなった庭園(非公開)に、楓と来海だけが残った。
「……お疲れさまでした。あの、今日は本当に、勉強に」
「のう、来海や」
楓は月見台に腰掛け、ぽんぽんと隣を叩いた。
「今日の同接、二十五万。……お前さん、どう見た?」
「……凄い数字、だと思います」
「妾はな、**足りぬ**と思うておる」
「————」
「登録者八百万。今日見に来たのは二十五万。……残りの七百七十五万は、今日、妾を必要とせんかった。頂点とはそういう場所じゃ。数字が大きくなるほど、届かぬ人の数を思い知る」
楓は月を見上げた。その横顔は、配信中の完璧な女帝ではなく、ただの求道者のものだった。
「十日で百万、と騒がれたの、お前さん」
「……はい」
「あれは、勢いの数字じゃ。妾の八百万は、積み上げの数字。勢いは、いつか止まる。積み上げは、止まらぬ。——お前さんは今、ちょうどその境目におる」
「境目……」
「勢いで届く高さの、天井じゃよ。ここから先は、設計と、積み上げと、覚悟でしか登れん」
楓は立ち上がり、羽織を翻して、来海を正面から見た。
「のう、来海。八百万は、遠いか?」
「————遠い、です」
正直に、答えた。今日、頂点の仕事を隣で見て、その遠さは骨身に沁みていた。だが。
「でも——今日より近くは、なりました」
「————」
楓は、目を丸くして。それから、声を上げて笑った。
「ふはは! 良い、良いのう! その返しが出るなら、見込みありじゃ!」
ひとしきり笑って、楓は袖から扇子を取り出し、ぴしりと来海に向けた。
「妾の背中、追うてみや。——待っておるぞ、四期の看板」
◇
その夜。『企画会議』のグループチャットは、騒がしかった。
『同接25万!!見たよ!!月と歌のとこ鳥肌だった!!』
『「未完成のものには明日がある」、切り抜きが既に五十万再生です』
『みんなありがとう。……でも、上には上がいたよ。とんでもないのが』
『兄さんの目標が増えた顔、久しぶりに見ました』
『え、文字でわかるの!?』
(——八百万。遠いな。……よし)
燈哉は、モニターの前で一人、拳を握った。守るための日々に、追うための目標が加わった夜だった。
——その頃。とある無口なゲーマーの端末に、一件の通知が灯っていたことを、燈哉はまだ知らない。
『【リマインド】約束の再戦、そろそろ? ——H』




