「琴音の工房」
その招待状は、一行だった。
『工房においで。逃げたら追う ——琴音』
「逃げたら追う、って」
感謝祭から数週間。社内チャットに届いた九帝からの呼び出しに、燈哉は苦笑いしながら、V-ARENAへの接続ヘッドセットを被った。
(九帝の技術者、東琴音。……サムネを「素人の作りじゃない」って言った人だ)
正直に言えば、少し、緊張していた。技術の話は、ごまかしが利かないからである。
◇
V-ARENAの奥、非公開エリアに、その工房はあった。
天井から吊るされた無数のロボットアーム。壁一面を流れる数式のホログラム。床には歯車と工具が転がり、奥の炉では、何かの試作品がぐつぐつと煮えている——ように見える演出が組まれている。
「……きた。よし」
作業台の向こうから、ゴーグルを頭に載せた小柄なアバターが、ひょこりと顔を出した。工具ベルトを腰に巻いた、九帝の技術者・東琴音である。
「ようこそ、変態のいる工房へ」
「挨拶が不穏!?」
「ほめてる。技術者の変態は、最上級のほめことば」
琴音は作業台をこつこつと叩いた。座れ、ということらしい。
「単刀直入。きみのサムネ、レイヤー構成見せて」
「え、いきなり」
「いきなりが一番、素が出る」
観念して、燈哉は自分の作業データを画面に広げた。配信サムネ、告知画像、そして『くるみ割り同盟』の衣装と紋章——普段は誰にも見せない、制作の中身である。
琴音は、黙った。
スクロールする。止まる。拡大する。また止まる。ゴーグルを下ろし、レイヤーの名前付け規則を眺め、エフェクトの重ね順を辿り、共通素材の使い回し構造を確認して——たっぷり三分後、ぽつりと言った。
「……きみ、独学?」
「は、はい。見よう見まねで」
「ふうん。——面白いね」
ゴーグルの奥の目が、きらりと光った。
「作業の速さ優先で、構造がぜんぶ『量産前提』になってる。趣味の作り方じゃない。仕事の作り方。しかも、誰にも教わってないなら——考えて、そこに辿り着いてる」
「そ、そうですか……?」
「そう。で、ここからが本題」
琴音は、自分の配信のオーバーレイデータを、どんと作業台に置いた。
「これ、うちの配信画面。半年前から、コメントが流れる時にたまーに一瞬カクつく。原因、わかる?」
(……試されてる)
燈哉はデータを開き、構造を辿った。表示の重ね順、更新のタイミング、素材の読み込み——目が、自然に流れを追っていく。頭の中で、パズルのピースが噛み合っていく感覚。
「……たぶん、ですけど。この装飾、コメントが来るたびに毎回読み直してますよね。ここを最初に読んだままにしておけば」
「——ん。正解。三十秒は新記録」
琴音は、満足そうに頷いた。
「やっぱりね。きみの目は、絵描きの目じゃなくて、**仕組みの目**。……ねえ、きみ。プログラム、書ける?」
「————」
一瞬、答えに詰まった。
(……書ける、と思う。ちゃんとやったことはない。でも、たぶん、俺は——)
「……わかりません。やったこと、ないので」
「ふうん」
琴音は、それ以上追及しなかった。代わりに、小さな工具箱のアイコンを、燈哉のほうへ滑らせた。
「これ、あげる。うちの自作ツール詰め合わせ。サムネ作業が三割早くなる。——使ってみて、感想ちょうだい。それが入場料」
「い、いいんですか? 九帝の秘蔵ツールとか」
「道具は、使い倒す人のところにあるべき。それが工房のルール」
(……この人、めちゃくちゃ良い人では)
◇
工房見学は、そのまま雑談へ雪崩れ込んだ。V-ARENAの開発秘話、九帝時代の機材の悲惨さ、炉の演出の無駄なこだわり。技術の話をする琴音は、年齢不詳の九帝ではなく、ただの楽しそうな機械いじり好きだった。
——と、その時。工房の扉が、ばーんと開いた。
「琴音〜。妾の羽織の物理演算、また袖が暴れておるぞ——って、おや」
和服姿の絶対的エース・東楓が、腕を組んで立っていた。
「四期の看板ではないか。なんじゃ、琴音のお気に入りになったか」
「楓。今いいとこ。袖はあとで」
「妾の袖を後回しにするでない」
言いながら、楓はずかずかと工房に入り、来海の広げたままの作業データを、ひょいと覗き込んだ。
「……ほう」
一瞬、目が細くなる。八百万人の頂点の目が、素材の一枚一枚を、値踏みするように眺めた。
「画で客を呼ぶ気概のある若手は、久々に見たのう。——時に来海や。お前さん、妾の配信、見たことは?」
「も、もちろんです! 勉強させてもらってます!」
「勉強、のう」
楓は、にい、と笑った。獲物を見つけた顔だった。
「なら今度、妾の企画に来や。**見るのと立つのとでは、景色が違う**。八百万の頂から見える景色——いっぺん、拝ませてやろう」
「……! ぜひ!」
「ん。話は早いのう。気に入った」
◇
接続を切り、自室のヘッドセットを外した燈哉は、しばらく天井を見上げていた。
(九帝の工房と、八百万の頂点、か)
手の中には琴音のツール。目の前には楓の招待。日常の輪が、また一回り広がっていく。
(……プログラム、書けるか、って聞かれたな)
なぜだろう。あの質問にだけは、即答してはいけない気がしたのだった。




