間話「来海、逃げんなよ?」
事の発端は、一通のマルマロだった。
『ホラゲー配信。来海、逃げんなよ?』
三ヶ月前——一周年コラボのあの日、罰ゲーム候補として送りつけられた悪意の一枚。結局あの時は実行されずに終わった——が、リスナーという生き物は、執念深かった。
『ホラゲーまだ?』『逃げてて草』『来海逃亡九十日目』
来る日も来る日も届き続けるマルマロの束。ついには『#来海にホラゲーをやらせよう』なる署名運動めいたタグまで生まれ——
「——というわけで! 本日はリスナーの皆さんの熱いご要望にお応えして、ホラーゲーム実況です!」
来海は、九十日目にして、屈した。
「Vmove's五期生、極同志穂。今日は姐さんの護衛として参上しました」
画面には、桜吹雪の刺繍が入った白いロングコートを肩にかけた、金髪ツインテールの少女が仁王立ちしている。デビュー半年足らずで急成長中の、もはやお馴染みの舎弟——もとい、妹分である。
「Vmove's怠惰担当、早坂みなみで〜す。ホラーは、割と平気です」
そしてもう一人、白いロングヘアの生徒会長が、のんびりと手を振った。
(メンバー構成には、深い理由がある。志穂ちゃんも、みなみ先輩も——"秘密を守る会"の共犯者だ。つまり今日は、俺が多少やらかしても、揉み消してもらえる布陣なのである)
(なにせ護衛は、二人いる)
プレイするのは、話題のフリーホラーゲーム『零時の校舎』。深夜の廃校から脱出するだけの、シンプルで、それゆえに逃げ場のないゲームである。
「だ、大丈夫。所詮はゲーム。画面の中から幽霊は出てこない。物理法則がそれを許さない」
「姐さん、既に声が震えてます」
◇
——結論から言えば、来海は開始五分で限界を迎えた。
暗い廊下。軋む床。遠くで、何かを引きずる音。
「い、嫌だ嫌だ嫌だ、この学校絶対おかしい、消防法とか色々おかしい」
「姐さん、そこの理科室に鍵があるらしいですよ」
「理科室!? ホラーゲームの理科室なんて人体模型が動くに決まってるでしょ!? 私は行かない! 絶対に行かない!」
「研究者設定はどうしたんですか」
『来海ちゃんの語彙が完全に文系』『消防法www』『同接すごい勢いで伸びてる』
一方、みなみは恐ろしいほど平然としていた。
「あ、後ろの席に女の子座ってますね。……ふふ、一緒に授業受けてるみたいで、ちょっといいなぁ」
「先輩!? 今なんて!?」
「ぼっちはね、幽霊も友達だから」
『悲しすぎる』『名言やめろ』『泣いてる場合じゃないのに泣ける』
◇
そして、事件は起きた。
理科室の扉を開けた、その瞬間。画面いっぱいに、白い顔が。
『——゜*※▲!!』
「ぉぉおいまて——」
——出かかった。恐怖の臨界点で、喉から飛び出しかけたのは、来海の声でも、ましてや女性の声ですらない。あの、ヤンキーの——
「「うわあああああああああああ!!!」」
刹那。志穂の超特大の絶叫が、すべてを飲み込んだ。
マイクが割れんばかりの音量。スピーカーが悲鳴を上げ、コメント欄が『耳がww』『志穂の声しか聞こえんww』で埋め尽くされる。
さらに、である。
「わーん、来海ちゃんも志穂ちゃんも叫びすぎ〜! 私の心臓のほうがびっくりしたよ〜!」
すかさず、みなみののんびり声が上から被さり、話題は「絶叫した二人」から「動じない生徒会長」へと、するりと流れていった。
(——ナイス、静ちゃん!! ナイスすぎる、遥さん!!)
(——配信前の作戦会議で「ヤバい時は私が叫ぶ」って決めておいて、正解でした……!)
(——そして私が上から喋って上書きする、と。ふっふー、完璧な連携……守る会の名は伊達じゃないのだ)
護衛は、二人いた。事情を知らないリスナーたちだけが、伝説の絶叫シーンを心ゆくまで堪能していた。
◇
配信は、伝説の絶叫回として幕を閉じた。
同接は来海のソロ配信記録を更新し、切り抜きは一晩で百万再生。『消防法』『幽霊も友達』『志穂の音圧』がそろってトレンド入りし、三人の登録者はそれぞれ大きく跳ねた。
「二度と、やりません」
配信終了後、来海が真っ白に燃え尽きながら宣言したことは、言うまでもない。




