「太陽が陰る日」
深夜の会議室に、二人分の沈黙が積もっていた。
テーブルを挟んで、燈哉と美咲。美咲の前には、拾い上げられた菓子箱と、手つかずの水のペットボトル。燈哉の手元には、外したままのウィッグが、力なく置かれている。
先に口を開いたのは、美咲だった。
「……名前、聞いていい?」
「————野治、燈哉。それが、本名」
自分の声で答える。作っていない、低い男の声。美咲の肩が、小さく揺れた。
「……声も、それが本当なんだ」
「うん」
「『綾芽』は」
「社長がくれた偽名。……ここで働くための」
「そっか」
美咲は、静かに頷いた。取り乱しはしなかった。叫びもしなかった。ただ、テーブルの一点を見つめたまま——ぽつりと、言った。
「……ねえ。私、綾芽ちゃんと親友だと思ってたんだ」
「————」
「同期でさ。最初、全然コラボしてくれなくて。人付き合い苦手なのかなって、ずっと心配で。誕生日会だって、私が無理やり企画して。旅行でやっと一緒に遊べて、嬉しくて。この間なんて、面と向かって親友って言っちゃって——」
声は、震えていなかった。震えていないことが、一番痛かった。
「——ぜんぶ、嘘の上でのことだったんだね」
「違う」
言葉が、考えるより先に出た。
「……嘘は、ついてた。名前も、声も、性別も、ぜんぶ嘘だ。それは謝る。何回でも謝る。でも」
燈哉は、頭を下げたまま続けた。
「配信が楽しかったのも、旅行が楽しかったのも、美咲に親友って言われて——嬉しかったのも。そこだけは、一個も嘘じゃない」
「…………」
「俺は、色々あって、この仕事に人生が懸かってる。男だとバレたら全部終わる。だから言えなかった。美咲を騙したかったからじゃない。……ここで、生きていくためだった」
長い、長い沈黙があった。
やがて美咲は、ふう、と息を吐いて——テーブルに、突っ伏した。
「……あー。もー。……もーーーー」
「み、美咲?」
「思い当たる節しか、ないんだけど……!!」
がばりと顔を上げた美咲は、両手で頭を抱えていた。
「言われてみれば! 温泉入らないし! 着替えいっつも個室だし! 腕相撲やたら強いし! このあいだの配信の『兄さ——』も!! あれ絶対、志穂ちゃん素で言いかけてたやつじゃん!! 私、天然フォローしてたんじゃなくて、ただの天然だったじゃん!!」
「そ、そのフォローに何度も救われて」
「うるさい!!」
叫んでから、美咲は、はっと動きを止めた。
「……待って。じゃあ、遥ちゃんと静ちゃんは」
その時、会議室の扉が勢いよく開いた。
「燈哉!!」
「兄さん!!」
息を切らした遥と静が、飛び込んでくる。燈哉の送った『美咲にバレた』の一報に、終電間際の街を二人して引き返してきたのである。
美咲は、二人の顔を見た。二人の呼び方を、聞いた。
「……『燈哉』。……『兄さん』。……そっか。二人とも、知ってたんだ」
「み、美咲ちゃん、これはね」
「じゃあさ」
美咲の目が、すうっと細くなった。
「——この間の三人歩きの『従兄弟くん』って、**本人**?」
「「…………はい」」
「私、サツキ先輩とその話で盛り上がっちゃったんですけど!? 静ちゃんに『男の人との距離感気をつけな』って説教したんですけど!? 本人の目の前で!!」
「「((すみませんでした!!))」」
ひとしきり叫んで、美咲は、脱力したように椅子に沈んだ。そして、少し掠れた声で笑った。
「……あはは。なにそれ。私だけ、ずっと外側にいたんだ」
「————」
その一言に、三人とも、返す言葉を失った。
沈黙を破ったのは、静だった。
「……美咲先輩。ひとつだけ、言わせてください」
静は姿勢を正し、深く息を吸った。
「私がこの秘密を知ったのは、偶然です。遥先輩も、偶然です。誰も、選ばれて知ったわけじゃない。でも——知ってから分かったことが、あります」
「……なに?」
「兄さんは、バレた相手の人生を、自分の秘密より先に心配する人です。私の時も、真っ先に『巻き込んでごめん』でした。美咲先輩が外側にいたのは、信用されてなかったからじゃない。……**巻き込みたくない一番手**だったからだと、私は思います」
「————」
「同期で、一番近くて、一番大事だから。一番、遠ざけた。……不器用にも程がありますが」
美咲は、しばらく黙っていた。
それから、菓子箱の包みを、ゆっくりと開けた。中の焼き菓子をひとつ取り出して、口に放り込み、もぐもぐと咀嚼して——言った。
「……決めた」
顔を上げた美咲は、いつもの、太陽の顔だった。
「私、ずっと来海ちゃんの味方だよ。——**中身が、誰でも**」
「……美咲」
「綾芽ちゃんが綾芽ちゃんじゃなくても、来海ちゃんは来海ちゃんだし、私の親友は私の親友。一年間隣で見てきた私が保証する。それで、おしまい!」
言い切ってから、美咲はテーブル越しに身を乗り出し——燈哉の両頬を、むにっと両手で挟んだ。
「**ただし!** 一個だけ、怒っていい?」
「ふぁい」
「親友のピンチに、一年間も一人で戦わせてたこと! 旅行の時も、バレそうな時も、私なんにも知らないで呑気にしてた! ……次からは、頼って!! 私、こう見えて口は堅いし、演技だって得意だし!」
「……うん。ありがとう、美咲」
「ん。よろしい!」
満面の笑みで頬から手を離し、美咲は焼き菓子をもう一つ口に放り込んだ。
(……ああ。この人は、本当に)
太陽なんだな、と。燈哉は、今度こそ心の底から思った。
◇
帰り道。夜風の中を、四人で駅へ歩く。
「そういえば美咲先輩。さっき『演技得意』って言いました?」
「言った! 文化祭で主役やったし!」
「……先輩。今後、配信で兄さんの秘密に触れそうになった時、動揺を隠せる自信は」
「まっっったくない!!」
「「「即答!?」」」
からからと笑う美咲の声が、深夜の街に響く。
——秘密を守る会、四人目。太陽の加入である。




