「太陽は見てしまった」
「——以上、秘密結社『くるみ割り同盟』、第二回・世界征服会議を閉会する!」
『今日も平和な世界征服だった』『可決率低すぎて草』『次回も待ってる』
配信終了のボタンを押し、来海——燈哉は、ブースの椅子に深くもたれた。
同盟の配信は今日も好調。同時接続は右肩上がりで、切り抜きは連日伸びている。志穂バレも美咲の釘刺しも乗り越えて、日常はかつてなく順調に回っていた。
(……順調、なんだよな。怖いくらい)
後から思えば、この時の燈哉は、確かに油断していたのである。
◇
深夜の本社は、静まり返っていた。
企画資料の詰めで残っていた燈哉が廊下の電気を確認する。守衛室を除けば、フロアに残っているのは自分だけ。収録ブースに戻り、資料の続きに取りかかって——ふと、限界に気づいた。
(頭が、蒸れて死ぬ)
長時間のウィッグは、蒸れる。夏場は特に、蒸れる。今日は昼から収録と会議が連続で、一度も外せていなかった。
(……全員帰ったよな。それなら、少しだけ)
ぷつり、と。装着の緊張感が切れる音とともに、燈哉はウィッグを外した。汗ばんだ黒短髪に風を通し、首をごきごきと鳴らす。ブースを出て、休憩室の自販機で冷たい水を買い、一気に半分飲んだ。
生き返る——と、思った瞬間だった。
がちゃり。
休憩室の扉が、開いた。
「あれ〜、電気ついてる。誰か残って……」
菓子箱を抱えた美咲が、そこに立っていた。
静から届いたお礼の菓子——冷蔵庫に入れたまま帰りかけ、駅から引き返してきたのである。
美咲の視線が、自販機の前の人影を捉える。
黒短髪の、見知らぬ、男。
「「…………」」
時が、止まった。
「……ん、んんんん???」
「ま、待っ——」
「おおおお男の人ーーーー!?!?」
◇
「静かに! お願い、静かに!!」
「〜〜〜っ! 〜〜〜〜っ!!」
反射的に口を塞いでしまった手の中で、美咲がじたばたと暴れる。まずい。これでは完全に不審者の構図である。燈哉は慌てて手を離し、両手を上げて距離を取った。
「叫ばないで! 怪しい者じゃ——いや怪しいけど! 話を!」
美咲は素早く後退し、壁際のモップを引っ掴んで槍のように構えた。太陽系女子、意外と肝が据わっている。
「う、動かないで! ここ、男子禁制なんですけど!? どこから入ったの!? 目的は!?」
「そ、それは……」
「答えないなら通報——って、待って」
モップの穂先が、ぴたりと止まった。美咲の目が、すっと細くなる。
「……あなた、その歳格好。もしかして——**遥ちゃんの、従兄弟くん**?」
(——出た!!!)
燈哉の脳が、コンマ数秒で損得勘定を終える。不審者よりは、従兄弟のほうがましだ。
「……ど、どうも」
「どうも、じゃないよ!!」
モップを構えたまま、美咲の説教が火を噴いた。
「あのね!? 従兄弟くんだろうと何だろうと、ここは部外者立入禁止で、しかも男子禁制! 夜中に忍び込むとか、ありえないから! だいたい誰に会いに来たの!? 静ちゃん!? 遥ちゃん!?」
「い、いや、その」
「私、静ちゃんに言ったからね!? うちらは男女の交際ほぼ禁止だって! アイドルと同じだって! なのに会社に呼び込むとか、距離感どうなってるの!? これバレたら静ちゃんも遥ちゃんも大炎上で——」
(釘刺しの続きが俺に直撃している……!!)
説教はごもっともすぎて、一言も反論できない。燈哉は縮こまりながら、じりじりと出口への経路を探した。だが。
「……ん? 待って。おかしくない?」
美咲の声のトーンが、変わった。
「入口のセキュリティ、社員カードがないと開かないよ。……どうやって入ったの?」
「そ、それは、その」
「それに、なんで**そこ**にいるの? そこ、収録ブースの並びだよ。応接でも待合でもない、社員しか用のない場所……」
一歩、美咲が踏み込んでくる。モップは既に下ろされていた。代わりに、まっすぐな目が燈哉を捉える。
「ね。あなた、誰に会いに来たの? ——**綾芽ちゃんは、どこ?**」
「————」
心臓が、嫌な音を立てた。
「今日、綾芽ちゃん遅くまで残るって言ってた。電気もついてる。ブースに鞄もある。なのに、本人がどこにもいなくて、代わりに知らない男の人が立ってる。……ねえ、綾芽ちゃんに何かしたの?」
声に、本気の心配が滲んでいた。親友の身を案じる、太陽の目だった。
(……違う、美咲。そうじゃない。そうじゃ、ないんだ)
嘘の選択肢が、頭の中で次々と潰れていく。綾芽は帰った? 鞄がある。呼んでくる? どこから? 自分は関係ない? この状況で?
そして——燈哉の右手は、最悪のものを握ったままだった。
美咲の視線が、ゆっくりと、そこへ落ちる。
黒く長い、サラサラの——ウィッグ。
「……え」
視線が、往復する。ウィッグ。燈哉の顔。ウィッグ。燈哉の、顔。
見慣れた顔、のはずだった。半年間、隣で笑ってきた顔。優しそうな目つきの、整った顔立ち。それが今、短い黒髪で、男の骨格で、そこに立っている。
「……………………え」
美咲の手から、菓子箱が、ことりと落ちた。
「……あや、めちゃん……?」
沈黙が、答えだった。
「————————」
太陽が、凍りついた。




