「秘密結社、開幕」
配信、二日前の夜。本社の作業ブースで、燈哉はノートパソコンに向かっていた。
画面の中では、来海のアバターに黒いマントが羽織られ、質感のテクスチャが次々と切り替わっていく。燈哉の指がショートカットを叩くたび、レイヤーが重なり、ろうそくの照明素材が揺らめき、怪しい紋章が形を成していった。
「マントの裾、もう少し重そうに揺れるといいですね」
「あ、紋章! くるみ割り人形のシルエット、こっそり入れようよ」
「採用。……ほら、こう?」
数秒後には、画面の中でそれが現実になる。二人の「こうしたい」が、口に出すそばから形になっていくのが面白いらしく——
(——近い。二人とも、近い近い近い)
気づけば、左肩越しに遥、右肩越しに静。モニターを覗き込む二つの顔が、燈哉の頬のすぐ横にあった。シャンプーの匂いが二方向から攻めてくる。
「ね、ろうそくの色、もうちょっと不気味なほうが」
「兄さん、仮面はわざと安っぽく。チープさが大喜利の格を上げるので」
「わ、わかったから! 少し離れて! 肩! 肩に顎乗せない!!」
「「あ、ごめん(すみません)」」
離れたのは、それぞれ五センチだった。誤差である。
——かくして、衣装・紋章・照明・オーバーレイに至るまで、秘密結社の"世界"一式が一晩で完成した。
「……というか、兄さん。これ、ほぼ業者の仕事では?」
「燈哉って、ほんと何でもできるね……サムネだけじゃなかったんだ……」
「大げさだって。サムネ作りの、延長だよ」
——延長、というには少々出来が良すぎることに、本人だけが無自覚だった。
◇
「——団員諸君。よくぞ集まった」
暗転した画面に、燈哉お手製のろうそく照明が灯る。同じく燈哉お手製の黒マントと、わざと安っぽく仕上げられた仮面を身につけた三つのアバターが、円卓に着いていた。
「秘密結社『くるみ割り同盟』——ただいまより、第一回・世界征服会議を開催する」
『なんだこの茶番ww』『仮面が絶妙に安っぽくて草』『このチープさ、わかってて作ってるだろw』『待ってました』
「幹部コードネーム、"博士"だ」(来海である)
「同じく、"女神"」(みなみである)
「"番長"だ。よろしく頼む」(志穂である)
『コードネームが全員自己紹介w』『隠す気あるのかw』
「そして本日は、記念すべき第一回に、特別顧問をお迎えしている。——どうぞ」
「はいはーい! 特別顧問の"太陽"でーす! みんな元気!?」
登場したのは、黒マントを羽織ったミハネ——約束通り「真っ先に」呼ばれた美咲であった。なおこのマントも、前夜に「顧問の分もいるよね」と燈哉が三十分で追加制作したものである。
『ミハネちゃんw』『太陽って秘密結社に一番いちゃいけない属性だろ』『全部照らすな』
◇
企画は、シンプルにして最強だった。団員(視聴者)から募集した「世界征服のための作戦」を、幹部会議で真剣に審査する。
『作戦名:世界中の信号を三分だけ全部青にする』
「渋滞が消えるのか、事故が増えるのか……博士、物理学的見解を」
「交差点という概念が死ぬので、征服する前に世界が終わります。却下」
『作戦名:日本中の猫を我々の手先にする』
「これは……いい。番長、実行可能性は」
「猫は誰の手先にもなりません。……なりませんが、可決で」
「私情!?」
『番長は猫派』『わかる』『可決で』
会議は笑いの渦のうちに進行した。そして——この配信のもう一つの見どころは、特別顧問の挙動であった。
「〜〜〜っ、ちょっと待って! 今の番長の『可決で』、可愛すぎない!? ね、今の見た!? 巻き戻していい!?」
「顧問、進行が止まります」
「だって! あの『ぼっちの博士』が、こんな楽しそうにみんなで配信してるんだよ!? 同期として、こんな嬉しいことある!?」
『そういや太陽と博士は同期デビューか』『初コラボを仕掛けたのも太陽なんだよな』『尊い』
(……美咲は、デビューの頃からずっとこうだ。コラボもしない俺を、同期だからって気にかけ続けてくれた。恋とかそういうのじゃなくて——太陽なんだよな、本当に)
そんな平和な空気の中、事故は唐突に訪れた。
『作戦名:幹部同士でもっと仲良くなる(てぇてぇを見せろ)』
「ほう。では番長から、博士への日頃の感謝をどうぞ」
「え。……えっと、その。日頃から、お世話になっていて。私にとって博士は、頼れる……**兄さ**——」
((——!!!))
「——**姉さんのような存在です!!**」
会議室の空気が、一瞬だけ凍りかけ——
「わかる〜〜!! 番長は博士のこと、お姉ちゃんみたいに思ってるんだよね!! 初コラボの時からそうだった!! 尊いね〜〜!!」
特別顧問の全力の相槌が、すべてを暖色に塗り替えた。
『姉妹てぇてぇ』『番長の姉さん呼びいいな』『公式設定になった瞬間である』
(た、助かった……! 美咲の天然フォロー、下手な連携より強い……!)
((心臓に悪すぎる……!!))
◇
配信は、同時接続数が来海のソロ配信平均の倍を記録する大成功で幕を閉じた。『くるみ割り同盟』は早くも定例化を望む声で溢れ、コードネームはその日のうちにファンアートのタグになった。
「お疲れさま〜! いやー、楽しかったね!!」
配信後、本社の控え室。配信のテンションそのままに、美咲は上機嫌だった。
「ね、また顧問やっていい? あ、でも次は他の先輩たちにも席譲らないとかなあ。サツキ先輩が『先生も混ぜて』ってさっきから連投してきてて」
「サツキ先輩を入れたら結社が一日で摘発される」
「あはは! ……でもさ、ほんとに」
美咲は、ふと真顔になって、三人を見回した。
「三人とも、なんか——いい顔するようになったよね。特に来海ちゃん。一年前は、こんなふうに誰かと配信するなんて、想像もできなかったから。ずっと気になってた同期が、いま隣でこんなに笑ってるんだもん。……親友として、めーっちゃ嬉しいです!」
「……し、親友」
「え、違った!?」
「……合ってます、けど。面と向かって言われると、その、威力が」
耳まで赤くなる綾芽と、満面の笑みの美咲であった。
「——あ、そうだ。静ちゃん」
帰り支度の途中、それは不意打ちで来た。
「さっきサツキ先輩とチャットしてて聞いたんだけど。静ちゃん、遥ちゃんの従兄弟くんと知り合ったんだって? 休日に三人で歩いてたって」
(((莉音さん!! 言いふらしてる!!!)))
三人の背筋が、同時に伸びた。
「し、知り合いと言いますか。企画の、荷物持ちを、お願いしただけで」
「ふ〜ん?」
美咲はにこにこしたまま、少しだけ声のトーンを落とした。
「ならいいけど。一応、先に言っとくね。——うちら、彼氏はほぼ禁止だから。アイドルと同じ。付き合ってなくても、男の人と仲良くしていることがバレただけで大炎上する仕事だから、距離感だけは気をつけときな?」
いつもの太陽の顔のまま、中身だけが先輩の声だった。デビューして一年。たったそれだけの差で、美咲はこの世界の怖さを一年ぶん多く知っている。
「……はい。肝に、銘じます」
「ん、よろしい! ま、遥ちゃんの従兄弟くんなら、変な人じゃないだろうけどね!」
「「あ、あはは……」」
(——変な人ではないが、当の従兄弟はいま、お前の目の前で女装している)
心臓に悪すぎる、善意の忠告であった。
◇
その夜。「企画会議」のグループチャットに、遥がぽつりと書き込んだ。
『今日の「兄さ——」は過去一ヒヤッとした。罰として次回の菓子代は静ちゃん持ちです』
『異議あり。あれは事故です。そして事故処理したのは美咲先輩です』
『つまり静ちゃんは美咲ちゃんに菓子を送るべき』
『……それは、はい。送ります』
『あと、美咲先輩の「彼氏彼女ほぼ禁止」。正論すぎて声も出ませんでした。当の従兄弟さんが隣にいたのに』
『それな』
『俺の話はやめてくれ』
(……平和だなあ)
スマホを眺めて笑う燈哉は、まだ知らない。
——数日後、この平和な日常に「和風」の使者たちが訪れることを。




