「はじめてのおでかけ」
五月晴れの土曜日、昼前の電気街。
駅前の待ち合わせ場所に、黒短髪の細身の青年が立っていた。黒のTシャツにグレーのパーカーという、街に溶ける無個性な服装——野治燈哉、素の姿である。
(考えてみれば、女装なしで人と待ち合わせるのって、いつぶりだ……?)
「と、燈哉ー! お待たせ!」
小走りでやってきたのは、白いパーカーにショートパンツ、黒タイツの小柄な少女。真っ白なロングヘアが、初夏の日差しにきらきらと透けている。
稲葉遥。——素の俺と、堂々と街を歩ける、唯一の人間だ。
「悪いな、休みの日に。機材選び、一人だと決めきれなくて」
「い、いいのいいの! 私も新しいマイク見たかったし! ……そ、それに」
「それに?」
「な、なんでもない! ほら行くよ!」
(……変なやつ)
(——"それに、燈哉と出かけるの、ちょっと楽しみだった"なんて、言えるわけないでしょ!!)
◇
機材店に入った途端、遥のスイッチが入った。
「見て燈哉、これ新型のコンデンサーマイク! 低音の拾いが段違いって噂の! あ、こっちのオーディオインターフェースも新調した? してない? 嘘でしょ、あの音質でよく二年目の看板張れるね!?」
「お前、機材の話になると人格変わるな!?」
早口でまくし立てる遥は、配信五年目の貫禄そのものだった。隠キャの面影は、好きなものの前では消えるらしい。
結局、遥の見立てでマイクとケーブルを選び、会計へ向かうと——店員がにこやかに言った。
「彼女さんへのプレゼントですか? ラッピングもできますよ」
「「ち、違います!!」」
ハモった。気まずさが、店内BGMより大きく響いた。
◇
昼はラーメン屋に入った(遥の「おでかけといえばラーメン」という謎の持論による)。
「……そういえばさ。燈哉って、休みの日、いつも何してるの?」
「サムネの作り置きと、配信の準備と……あとは寝てる」
「それ、休みって言わないんだよ。……私も人のこと言えないけど」
「じゃあ遥さんは何してるんだ」
「え。……さ、サムネの作り置きと、配信の準備と、寝てる……」
「同類じゃねぇか」
顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。
(——ああ、そうか。この感じ、部室とか、放課後とか、そういうやつだ。俺には縁のなかったやつ)
◇
帰り道、ゲームセンターの前で遥の足が止まった。視線の先には、クレーンゲームの中の巨大なクマのぬいぐるみ。
「……欲しいのか?」
「べ、別に? ただ、あの子、私の配信のマスコットに似てるなーって思っただけで……」
言いつつ、遥は百円玉を投入し——五連敗した。
「なんで!? 今、絶対アームかすってた!!」
「貸してみろ」
燈哉が代わる。アームの軌道、景品の重心、支点の位置——サムネ職人の観察眼が、獲物を静かに解析する。
一発だった。
「…………」
「ほら」
差し出されたクマを、遥はまじまじと見て、それから燈哉を見上げた。
「……い、いいの?」
「俺が持って帰っても、飾る場所ないからな」
「…………っ」
遥はクマを両腕でぎゅっと抱きしめると、顔の下半分をその頭に埋めた。耳が、ほんのり赤い。
「……ありがと」
(——何だ、この空気。何なんだ、この空気!!)
(——彼氏でもないのに、ぬいぐるみ取ってもらっちゃった……!!)
デートではない。断じてデートではないのだが、傍から見れば完全にそれであった。
◇
夕暮れの駅までの道。事件は、そこで起きた。
「——あれ? あの制服……」
道の先、見覚えのある姿。ワイシャツに緑の模様入りのネクタイ。楽しげに友人と歩いてくるのは——大政美咲、その人である。
(まずい!!)
美咲は綾芽の顔しか知らない。素の燈哉を見られても正体はバレない——が、問題は隣だ。**遥が、見知らぬ男と二人でいるところ**を見られたら。ぬいぐるみ持ちで。夕暮れの街で。
言い訳のしようが、ない。
「と、燈哉っ、こっち!」
遥がとっさに燈哉の腕を掴み、脇道の自販機の陰へ引っ張り込んだ。
——近い。
肩と肩が触れる距離。抱えたクマがつぶれて、ぷぎゅ、と小さく鳴いた。二人は息を殺し、美咲たちの楽しげな話し声が通り過ぎていくのを待つ。
十秒。二十秒。……足音が、遠ざかっていく。
「……い、行った、かな」
「……おう」
至近距離で目が合った。互いの顔が、夕陽のせいにできない色になっていることに、今さら気づく。二人は同時にぱっと離れた。
「い、今のは! 仕方なく! 緊急避難だから!」
「わ、わかってる」
「……それと」
遥はクマで顔を半分隠したまま、上目遣いに言った。
「今日のこと……誰にも、言わないでよね」
「……おう」
(言えるわけがない。誰にどう説明しても、デートにしか聞こえないだろ、こんなの——!)
デートではない。断じて、デートでは、ないのだが。
その夜、遥の部屋のベッドの一番いい場所に、クマが鎮座したことを——燈哉は知らない。




