「通知の鳴り止まない夜」
深夜一時。とあるアパートの暗い部屋の中、一つの人影が椅子に座り、パソコンをカチカチと操作していた。
モニターに映るのは、編集中の配信サムネイル。銀髪の美少女が微笑む、いつもの光景。人影は最後のクリックを終え、椅子の背もたれに体重を預けて、大きく伸びをする。
「よっしゃ。これで一週間分のサムネ、完成っと」
静かな部屋に、小さな男の声が落ちる——
……はずだった。
ヴヴッ。ヴヴッ。ヴヴヴヴッ。
デスクの上のスマホが、さっきから鳴りやまない。
『【熱海組】美咲:見てください! 旅行の写真整理してたんですけど——卓球の遥先輩、顔が武士!』
『【熱海組】遥:消して!?今すぐ消して!?』
『【熱海組】静:それより綾芽さん、今日の配信見ましたけど。立ち回りが甘い。私ならあと三割は同接伸ばせましたね』
『【熱海組】美咲:(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)』
「……スタンプ五十連打はスマホが壊れるからやめてくれ、美咲さん」
一ヶ月前まで、この部屋の深夜は静寂そのものだった。聞こえるのはクリック音と、自分の独り言だけ。それが今や、この有様である。
(うるさい。……ちっとも嫌じゃないのが、困る)
燈哉は苦笑しながら、いくつかの通知に返信を打ち込んだ。静には「次は負けません」、遥には「武士の顔、保存した」、美咲には通報を装ったスタンプを一つ。
——そう。あの二泊三日から、俺の日常は確かに変わってしまったのだ。
◇
時刻は深夜一時半。本来ならとっくに布団に入っている時間だが、今夜はもう一件、予定があった。
通話アプリが着信を告げる。画面の名前は『上原智恵』。
「……こんばんは、綾芽ちゃん。夜分にごめんなさいね」
「こんばんは、ソフィー先輩。大丈夫ですよ、ちょうどサムネ作業が終わったところなので」
もちろん、声は"来海"のほうだ。智恵は、俺の正体を知らない。
『そう。……その、例の、約束のコラボの件だけれど。企画案をいくつか、その……考えてきたの。聞いて、もらえるかしら』
電話越しの智恵は、旅行前のお姉さんめいた余裕が嘘のように、ぎこちない敬語と素の口調の間を行ったり来たりしていた。
——あの庭園の一件以来、彼女はずっとこうだ。償いの意識が強すぎて、距離の詰め方がわからなくなっている。
(なら、こっちから崩すまでだ)
「先輩。企画会議の前に、一個だけいいですか」
『な、何かしら』
「その敬語、いつまで続けるんですか? 私、先輩の『ごきげんよう、下僕ちゃん』みたいな話し方のほうが、調子出ると思うんですけど」
『……っ、あ、あれは配信用の! というか下僕ちゃんなんて言ったことないわよ!』
「あ、いつもの感じ出ましたね」
『〜〜っ、この子ったら……!』
電話の向こうで、ようやく智恵らしい呆れ声が弾けた。よし、と燈哉は小さく拳を握る。
『……はぁ。わかったわよ、いつも通りでいくわ。——で、企画なのだけど。私たち、お互いの共通点といえば一つでしょう?』
「絵、ですね」
『ええ。だから——"お絵描き対決"はどうかしら。お題に沿って描いて、リスナーに判定させるの。お互いの絵のクセなんて、もう知り尽くしてるわけだし』
「……ふふ。それ、絶対面白いやつです」
サムネ職人同士、あの騒動で互いの手の内を暴き合った因縁の二人が、今度は正面から腕比べをする。リスナーが沸かないはずがない。
『それとね。約束の……志穂ちゃんの紹介も、この配信でやらせてもらうわ。宣伝用の画像も、もう描き始めてるの。今度は、誰かを上げるための絵よ』
「……先輩」
『な、何よ』
「いえ。……楽しみにしてます、って言おうと思って」
『……っ。……ええ。私も、よ』
◇
企画はまとまり、日程も決まり、通話はお開きになった。
スマホを置くと、時刻は深夜二時を回っていた。画面には、また『熱海組』の通知が二件、増えている。
(……一ヶ月前のこの部屋は、クリック音しかしなかったんだけどな)
燈哉は明日返す分の通知をそのままに、電気を消した。騒がしくなった日常は、明日も続く。——それが、ちっとも嫌じゃないのだった。




