「告白」
海の見える庭園に、二人きり。
「お話って、何かしら。もうすぐ出発よ?」
「単刀直入に言います。——昨日の夜の投稿、先輩ですよね」
智恵の微笑みは、揺らがなかった。
「……あら、怖い。証拠でもあるの?」
「あの動画のイメージ画像です。目のハイライトの三日月型、右上から差す光、影に紫を混ぜる癖——それに、テロップのフォントと字間まで。ソフィー先輩が自作している配信サムネと、全部同じでした。……私も毎週、自分でサムネを描いているので、わかるんです。絵のクセは、指紋と同じだって」
「ふぅん。……絵のクセ、ね。まさか同業者に見られるとは、思わなかったわ」
「それと、もう一つ」
綾芽は、静かに続けた。
「先輩は、中の人の姿も、素性も、一切出さなかった。録った音に、自分で描いた絵を当てて——わざわざ、一番手間のかかる方法で作ってた。……本気で私たちを破滅させる気なら、そんなことはしない。先輩は最初から、一線を引いてたんですよね」
智恵の微笑みが、初めて、はっきりと固まった。
「それと——静ちゃんを私の部屋に向かわせたのも、先輩ですよね。あの夜、廊下で静ちゃんと話していたと聞きました」
智恵は答えない。ただ、微笑みの角度だけが、少しずつ硬くなっていく。
「……それで? 皆の前で私を吊し上げる? 会社に報告する? 好きにすればいいわ」
「しません。そんなことをしに来たんじゃないです」
「——じゃあ、何をしに来たのよ」
初めて、声に苛立ちが滲んだ。綾芽は一歩も引かず、静かに言った。
「知りたくて。先輩がどうして、そこまで——"私だけ"を、嫌うのか」
海風が吹いた。長い、長い沈黙のあと。
智恵は、ふっと自嘲するように笑った。仮面が剥がれた、素の笑いだった。
「…………気づいてないでしょうけど。私が最初に、あなたを見つけたのよ」
「……え?」
「一年前。——毎月、何十人もの企業勢がデビューしては埋もれていく時代よ。箱推しのご祝儀が切れれば、あとは実力勝負。デビューしたての明野来海も、最初は登録者三桁の"その他大勢"だった。誰も注目してなかった。でも私は——あなたの**初配信の、あのサムネを一目見てわかった**。構図も、色も、テロップの置き方も、全部一人の手で作り込まれてた。だから、デビュー配信を最後まで見たの。見て、確信した。ああ、この子は画面の向こうで、たった一人で、どれだけの準備を積んできたんだろうって。本物だって。……だから自分の配信で紹介したの。『ソフィーが見つけた超期待の新人』って。あなたの最初のバズの、火付け役は私」
(——嘘、だろ)
燈哉の記憶の底で、何かが音を立てた。デビュー直後、正体バレを恐れて、届くコラボの誘いを機械的に断り続けていた日々。定型文で返した無数の名前。その中に、確かに——ソフィアの名が、あった。
「コラボに誘ったわ。何度も。全部、断られた。……最初は仕方ないと思った。忙しいんだろうって。でもあなたは、誰とも組まないくせに、あっという間に私を追い抜いて、会社の顔になった。三期の私が三年かけて届かなかった場所に、たった十日で」
「先輩……」
「気づいたら、思ってたのよ。——利用されて、捨てられたんだって。私の紹介だけ踏み台にして、私のことなんて、覚えてもいないんだって。……ええ、わかってるわよ。逆恨みだって。醜いって。わかってて、止まらなかった。あなたが後輩に慕われて、先輩に囲まれて、キラキラしてるのを見るたびに——惨めで、惨めで、仕方なかった」
言い終えた智恵は、勝ち誇るでも開き直るでもなく、ただ疲れた顔で海を見た。
(……覚えて、いなかった。断った相手の顔も、名前も、ろくに見ていなかった。数字ばかり見ていた、あの頃の俺は——)
第六話の夜、胸に刺さった言葉が蘇る。皆が配信を観てくれていたのに、俺だけが誰も見ていなかった。……その報いの一つが、今、目の前に立っている。
綾芽は、深く、深く息を吸った。
「——先輩。私、覚えてます」
「……嘘おっしゃい」
「ソフィー先輩の紹介配信。『この子は本物』って言ってくれたこと。……あの頃の私、嬉しくて、何度も見返しました。……なのに、お礼ひとつ言えないまま、今日まで来てしまった」
「……だったら、なんで」
「コラボを断り続けたのは——先輩が嫌いだったからじゃ、ありません」
綾芽は、まっすぐに智恵の目を見た。明かせない真実の、ぎりぎり手前で。嘘のない言葉だけを選んで。
「あの頃の私は、誰かと仲良くなるのが、怖かったんです。深く関われば関わるほど、失うものが大きくなる気がして。……だから全部、断った。先輩だけじゃない。全員です。——先輩を踏み台にしたんじゃない。私は、ただの臆病者だったんです」
「………………」
「昨日、皆の前で言いました。まずは皆と仲良くなってから、って。……だから先輩。一番最初に——先輩と、コラボさせてください」
そして綾芽は、足と胴が直角になる、あの深いお辞儀をした。
「一年遅れの、お礼です。あの時、見つけてくれて——ありがとうございました」
沈黙。
やがて、頭上から落ちてきたのは、涙交じりの、掠れた笑い声だった。
「……なによ、それ。……ずるいわよ、そんなの……」
智恵はスマホを取り出し、綾芽の目の前で、昨夜の投稿を削除した。指先は、少し震えていた。
「……静ちゃんに、謝らないと。あの子を、一番醜いことに使ったのは、私だから」
「はい。……一緒に、行きましょう」
◇
「——というわけで、静ちゃん。本当に、ごめんなさい」
出発前のロビーの隅。深く頭を下げる智恵に、事情を聞いた静は、腕を組んでしばらく黙り——やがて、ふんと鼻を鳴らした。
「……利子つけて返してもらいますから。私を焚きつけた落とし前、先輩の配信で、私のこと宣伝してください。『ソフィーが見つけた超期待の新人・第二号』って」
「……っ、ふふ。ええ、任せて。私、人を見つけるのだけは、得意なの」
◇
帰りの高速バス。窓の外を、夕暮れの海が流れていく。
隣の席では静が船を漕ぎ、綾芽の肩にことんと頭を預けている。後ろの席からは遥と美咲の穏やかな寝息。通路を挟んだ先では、莉音が口を開けて熟睡し、朱里が呆れ顔でその写真を撮っていた。
(……休暇のはずが、人生で一番疲れた三日間だったな)
キス事故に始まり、宣戦布告、和解、告白騒ぎ、卓球、ボヤ騒ぎ——そして、一年越しのお礼。
(でも——)
肩の上の、小さな寝息。ポケットの中の、増えた連絡先。約束したコラボ。
(悪くない、と思ってしまった。……この仕事を続けていくために、じゃなくて。この人たちと、もう少し一緒にいたいから——バレるわけには、いかないな)
スマホが震えた。社長からのメッセージ。
『楽しめたか?』
燈哉は少し考えて、短く返した。
『はい。いい思い出になりました』
——かくして、"絶対にバレてはいけない温泉旅館"は幕を閉じた。
なお後日。約束通り行われた来海とソフィーの初コラボ配信が、とあるコンビ名の候補を巡って界隈を大いに騒がせることになるのだが——それはまた、別の話である。




