「疑心、暗鬼、そして庇う手」
最終日の朝食は、通夜のように静かだった。
例の投稿は夜の間にじわじわと拡散し、朝には参加者全員が知るところとなっていた。再生数はまだ数万——本格的な炎上には遠い、いわば"ボヤ"だ。だが問題は、火の大きさではなかった。
「……この動画、映像は全部イラストだ。誰の姿も映っていない。——だが、この音声。歓声の近さ、球を打つ音の生々しさ。会場の内側でしか、録れない」
引率の柚木が、スマホを置いて静かに言った。
「つまり——録ったのは、この旅行の参加者の誰か、ということになる」
十五人の間に、見えない亀裂が走る。誰もが箸を止め、誰の顔も見ないようにして、全員の顔色を窺っていた。
(……嫌な空気だ。せっかくの旅行が、最後の最後で)
燈哉が唇を噛んだ、その時。
「……あのさぁ」
沈黙を破ったのは、莉音だった。悪気のない、しかし絶望的に迂闊な一言が続く。
「初日に、来海ちゃんの部屋に怒鳴り込んだ子が、いたよね……?」
「莉音」
朱里の低い声が飛んだが、遅かった。
全員の視線が、一斉に静へ集まった。
「……っ! わ、私じゃない!」
静は勢いよく立ち上がった。だが、追い詰められた元ヤンの声は、本人の意思とは裏腹に喧嘩腰の響きを帯びてしまう。
「なんだよその目……! 私じゃないって言ってるでしょ!?」
「べ、別に決めつけてはないけど……」
「その顔が決めつけてるんだよ!!」
(まずい。この流れは、まずい——)
疑いが疑いを呼ぶ悪循環。誰かが止めなければ、静は一昨日の夜より深い場所へ突き落とされる。
——だから、誰よりも早く。
「静ちゃんじゃ、ありません」
凛とした声が、広間を貫いた。綾芽が静の隣に立ち、まっすぐ全員を見回す。
「私は一昨日の夜、この子と二人で、本音でぶつかりました。静ちゃんは、不満があれば裏で撮って流すような子じゃない。……正面から、堂々と怒鳴り込んでくる子です」
「そ、それはそれでどうなんですか……!」
「褒めてるんだよ」
静の目が、じわりと潤む。すかさず遥と美咲も立ち上がった。
「わ、私も静ちゃんじゃないと思う! 昨日のお風呂で、あの子、綾芽ちゃんのこと『一番すごい人』って……」
「そうそう! あれは嘘つける顔じゃなかったよ!」
「ちょ、それ本人の前で言わないでください!!」
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。その隙を捉えて、朱里が手を叩く。
「はい、犯人探しは一旦ストップ! 朝ご飯食べちゃいましょ。……対応は引率の私と柚木で考えるから」
◇
(——さて。考えるのは、俺もだ)
自室に戻った燈哉は、ベッドに腰掛け、例の動画を一時停止した。画面いっぱいに、あの「イメージ画像」が表示される。
一年間、たった一人で配信を回してきた男である。毎週サムネを描き、構図を練り、色を調整し続けてきた——絵に関して、燈哉の目は職人のそれだ。
(……上手い。描き慣れてる。デフォルメの効かせ方も、扇情的な構図の作り方も、素人じゃない。——それに、この絵。どこかで……)
目のハイライトの、三日月型の入れ方。右上から差す光。影の色に、ほんの少し紫を混ぜる癖。テロップのフォントと、独特に詰めた字間。
燈哉は無言でYtubeを開き、あるチャンネルのサムネイル一覧を並べた。
——ソフィーの配信サムネ。確か本人が「全部自分で描いてるのよ」と自慢していた。
ハイライト、光の向き、影の紫、フォント。……全部、同じだった。
(絵のクセは、指紋と同じだ。毎日サムネを作ってる俺が言うんだから、間違いない)
(それに——録音なら、胸ポケットのスマホ一つでできる。誰にも怪しまれず、静かに)
上原智恵。
(動機は? わからない。でも、静ちゃんを焚きつけたのも、多分……)
燈哉は目を閉じ、深く息を吐いた。告発は簡単だ。証拠を並べ、皆の前で名前を言えばいい。だがそれは、静が受けたのと同じ吊し上げを、別の人間に向けるだけだ。
(それに——なんでか、引っかかるんだよな。あの人の悪意は、なんというか……真っ直ぐすぎる。まるで、俺"だけ"を狙ってるみたいな)
◇
昼前。帰り支度の始まったロビーで、綾芽は朱里と柚木に申し出た。
「投稿の件——私に、預からせてもらえませんか」
「……心当たりがあるのかい?」
「はい。ですが、皆の前で吊し上げるようなことは、したくないんです。犯人探しで終わる旅行なんて、誰の思い出にもならないから」
朱里と柚木は顔を見合わせ——ふっと笑った。
「……ほんと、あんたって子は。わかった、預ける」
「僕らは何も聞かなかった。……ただし、何かあったらすぐ呼ぶこと。いいね」
「はい。ありがとうございます」
◇
出発まで、あと二時間。
旅館の奥、海の見える小さな庭園に、黒いセーターの女が一人、ぼんやりと立っていた。
綾芽は静かにその背中へ歩み寄り、声をかける。
「——ソフィー先輩」
智恵が、ゆっくりと振り返る。その口元には、いつもの柔らかな、お姉さんの微笑み。
「あら、綾芽ちゃん。どうしたの? こんなところで」
「少しだけ……お話、しませんか」
海風が、二人の間を吹き抜けた。
微笑みの仮面の奥で、何かが軋む音がした——気がした。




