97. アルマ宮編(42) カウプテ邸
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
ソルト伯爵邸を出たペルラとミリスは、馬車でカウプテ・パセリの屋敷へ向かった。
カウプテとは、今日一緒に北部へ戻る予定になっている。
昨夜も本来ならカウプテ邸に泊まるはずだったが、急遽アルマ宮に宿泊することになったため、結局一晩世話になることはなかった。
アルマ市内にあるパセリ家の屋敷は大きかった。
高い石塀の上には有刺鉄線が張り巡らされ、門の両脇にはパセリ家の私兵が立っていた。
黒い金属の門扉は幾何学模様の装飾が施され、その中央に大きなパセリ家の紋章が掲げられていた。
紋章には緑青が浮かんでいたが、一部には何かを削り取ったような跡が残っていた。
屋敷に入ると、二人は応接室へ案内された。
「昨日は、お部屋まで用意していただいていたのに、申し訳ありませんでした」
ミリスが使用人にそう伝えると、アルマ宮から連絡は受けているので気にしないように、と返された。
カウプテ様が来たら、昨日のアルマ宮での一件も聞いてみなくてはいけない。
二人がお茶を飲みながら待っていると、応接室の前を一人の男が通りかかった。
ミリスが顔を上げる。
「あ」
男も足を止めた。
「あ」
バサルク王太子のオーニチェだった。
カウプテは、オーニチェの母の末弟である。
親戚の家なのだから、確かにオーニチェがここにいてもおかしくないかもしれない。
「オーニチェ様! ご無沙汰しております」
ペルラが嬉しそうに挨拶した。
「ペルラ! 久しぶりだな」
オーニチェも笑顔になる。
オーニチェは、いつものバサルクの衣装ではなく、ムーンストーン風の服を着ていた。
ただし、ムーンストーンやアルマンディンの長剣ではなく、バサルクの短剣を腰に差していた。
「オーニチェ様、ムーンストーン風の服をお召しなんですか?」
「ああ、ペルラの前では初めてだったか。アルマでバサルクの服を着ると目立つし寒いからな。どうだ?」
「すてきです」
「そうか。それはよかった」
オーニチェとペルラはお互いに微笑んだ。
ミリスはお茶を一口飲んだ。
「ペルラの耳飾りも似合っている」
「ああ、耳飾り……ありがとうございます」
ペルラは自分の耳飾りに触れた。
「こちらはミリス様から、こちらはジュニパー様からいただきました」
ミリスはお茶を机に置き、ペルラの耳飾りをまじまじと見た。
――あの青い耳飾りが、ジュニパー様からの贈り物だったとは。
昨夜、見たことがない耳飾りだとは思ったが、それ以上は頭が回らなかった。
日の光の中で、優美な銀線の枠に嵌め込まれた大きなオパールが、南国の海のような青さを見せていた。
改めてよく見ると、宝石も細工も確かに上等だった。
「……そうだったか」
オーニチェは穏やかに返答した。
「こちらは実はミリス様と色違いのお揃いなんです」
ペルラは、髪を耳にかけて、赤銅色の宝石が埋め込まれた耳飾りを見せた。
「よかったな」
次にペルラはもう片方の青いオパールの耳飾りを見せた。
「こちらはジュニパー様に言われて、アルマ宮ではずっとつけていました。
来賓用の銀線の指輪の代わりです。
迷子になったらすぐわかるそうです。便利ですよね?」
「そうだな。便利だな」
オーニチェは頷いた。
「ところで、ペルラはアルマ宮にいたのか?」
「はい。一ヶ月おりました。これからようやく家に帰れます」
「一ヶ月も? バサルクから帰ってずっとか? ミリスも?」
オーニチェはミリスを見た。
「私は第三港湾にある家におりました」
ミリスが答えると、オーニチェは困惑の表情を浮かべた。
ペルラが説明した。
「オーニチェ様。アルマに来たら、ちょうど戒厳令が出て、民間人は出入りできなくなってしまったのですが、ジュニパー様がご親切に私をアルマ宮に泊めてくださったのです」
「……大変だったな。だが、通行許可は?」
「許可がなかなか降りなくて、困りました」
「そうだったか……」
オーニチェが何か言いたげにミリスを見た。
ミリスはその視線に気づかないふりをして、お茶に口をつけた。
少なくとも、ペルラの前でする話ではない気がした。
ミリスは少し間を置いて、オーニチェに尋ねた。
「オーニチェ様はなぜアルマに?」
「父上の腰が悪くて、アルマにいい整体師がいると聞いたので連れてきた。ついでにバサルクの整体師にも勉強させようと思っている。
そのアルマの整体師は、前の駐留軍総司令官を担当していたらしいぞ。知っているか?」
「ちょっとわかりません……」
「オーニチェ様はお優しいんですね」
ペルラが言った。
「ペルラほどじゃないがな」
オーニチェは微笑んだ。
ミリスは無言のまま、お茶をまた一口飲んだ。
その時、廊下の向こうから大きな声が聞こえてきた。
「あー、ダメだ、ダメだ! オーニチェ! どこだ?」
オーニチェは応接室の椅子に座ったまま、声を張った。
「ここでーす」
「ここじゃわからないだろ!」
声が近づき、やがてカウプテが応接室に姿を現した。
「あ、ミリスとペルラ様。すまない。ちょっと待っててくれるか?」
そう言うと、すぐにオーニチェへ向き直る。
「オーニチェ、ダメだ。整体師は今日は定休日らしいぞ」
「ええ〜?」
「ええ〜はこっちのセリフだ」
「早くても明日ですか」
「そういうことだな。でも、やっぱり初回は私が一緒に行った方がいいだろう」
「そうですね」
「バサルク王家と名乗らないつもりだろう」
「できれば、はい……」
カウプテは腕を組んだ。
「仕方がない。出発を明日に遅らせるか」
ミリスがぼんやり二人の会話を聞いていると、カウプテがこちらを向いた。
「そういうことだ、ミリスとペルラ様。申し訳ない。アルマを出発するのは明日にしてくれないか」
ミリスは瞬いた。
自分にも関係のある話だったらしい。
「あの、僕は構いませんが、第三港湾の司令部に連絡しないと……」
「ああ、連絡はしておく。今夜はうちに泊まってくれ。
ペルラ様も、申し訳ない」
返事がない。
ミリスが見ると、ペルラはうつむいたまま、頭が小さく揺れていた。
うとうとと舟をこいでいる。
「ペルラ、大丈夫か?」
ミリスは小声で言って、ペルラの腕に触れた。
「……!」
ペルラは目を開けた。
「すみません、ボーッとしちゃって……さっき、お昼にアルマ宮でごちそうをいただいたから、ちょっとおなかがいっぱいで……。
何のお話でしたか?」
「出発が明日に延びた」
「ああ、そうなんですね……」
ペルラはゆっくり答えて、ミリスににっこり笑った。
「横になって寝たらどうか?」
オーニチェが言った。
「どうせ出発は明日なんだし、今日はゆっくりすればいいじゃないか」
そして近くにいた使用人へ顔を向ける。
「ペルラを客室に案内して」
「はい」
ペルラは使用人に案内され、応接室を出ていった。
扉が閉まる。
カウプテがオーニチェを見た。
「おいおい、私の家だぞ……」
「あっ、すみません」
オーニチェが軽く頭を下げた。
「まあ、どのみち休んでもらった方がいいと私も思うが……」
カウプテは呆れたように息を吐いた。
「これだから王子様は……」
「いやいや、パセリ家に比べたら、本当にウチなんて大したことありません」
「いやいや」
「いやいや」
ミリスは黙って茶をすすった。
カウプテは使用人の方を振り返った。
「そういえば、オーニチェに頼まれてた物、買ってきたんだろう? 持ってきてくれ」
ほどなくして、使用人がいくつもの箱や包みを持って戻ってきた。
テーブルの上に次々と置かれていく。
「なんかいっぱいありますね……」
ミリスが言う。
「だろう?」
カウプテがわざとらしくため息をついた。
「申し訳ない。助かります」
オーニチェが殊勝な態度で頭を下げた。
「人使いが荒いんだよ」
「買ってきたのはカウプテ様じゃないですよね?」
オーニチェが反論した。
「似たようなものだろう」
カウプテは一つずつ品物を確認し始めた。
「これが腰にいい薬」
「ああ、これこれ」
「これが腰にいいお茶」
「これね」
「これが腰にいいお菓子」
「うん」
そして、最後に一枚の絵を取り出した。
「これが腰にいい絵」
「ありがとう」
ミリスは絵を見た。
「……絵? 効くんですか?」
オーニチェはミリスを見た。
「効くわけ……ないだろう!!」
「じゃあ、どうして買ったんですか?」
「父上が新聞の広告欄で見つけたからだ!」
カウプテが、笑いを噛み殺しているのか、まじめなのかわからない顔で言った。
「信じることが大切だ」
オーニチェは絵を巻いて筒にしまうと、筒をミリスに向けた。
「そうだそうだ。人としての純粋な気持ちを失ってはいけないぞ、ミリス」
ミリスは下を向いて、こみ上げる笑いを隠した。




