93. アルマ宮編(38) 前日
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
祝賀会が終わると、もうすっかり夜になっていた。
ミリスは、アルマ宮に用意された客室で休んでいた。
今夜はアルマ宮に泊まった方がいいと、ヴィレンスからアニスの意向を伝えられたのだ。
第三港湾から長い距離を移動して、そのまま祝賀会に出て、よく知らない偉い人たちと話し続けた。
――さすがに疲れた。早く寝よう。
ペルラも同じアルマ宮にいるはずなのに、今日は結局、一度も会えなかった。
窓の外へ目をやる。
広いアルマ宮の建物が、暗闇の中に連なっていた。
下の階はほとんどの窓の灯りが消えているのに、上の階にはまだ明るい窓が多い。
まだ仕事をしているのだろうか。
自分がもう寝ようとしているのが、少し申し訳なかった。
ミリスは星の蔦を外し、剣を置いた。
礼装の上着のボタンを外しかけたところで、扉が叩かれた。
「はい」
扉を開けると、総司令官護衛隊の兵士が立っていた。
「ミリス・ヘーゼル殿。総司令官殿下がお呼びです」
「ジュニパー様が?」
明日はアニス様と会う予定になっている。
だが、ジュニパー様と会う予定はなかった。
――でも、確かにお礼は言った方がいいな。
ひと月近くペルラをアルマ宮に置いてもらっていたのだ。
ペルラと暮らすのは楽しい。
ただ、思いもよらないことが次々起きて、意外と慌ただしくもある。
焦げた鍋と、泣きそうな顔で振り返るペルラが頭に浮かんだ。
家の中で植木鉢を倒した時も大変だった。
ミリスは笑いを噛み殺した。
ジュニパー様も大変だったかもしれない。
ミリスは外したばかりの星の蔦をつけ直し、剣を腰に戻した。
礼装も手早く整えて、兵士のあとについて部屋を出た。
◇
兵士に案内され、ミリスはアルマ宮の上階を進んだ。
廊下の奥に大きな扉があった。
金の幾何学模様と宝石の象嵌が、扉一面を埋めている。
その中央だけが、妙に新しい。
銀線で描かれた駐留軍の大きな紋章が、古い金色の装飾の中へ、後から押し込まれたように嵌め込まれていた。
ミリスが前に立つと、扉の紋章とミリスの星の蔦が淡く光った。
扉の両脇に立つ兵士が、同時に姿勢を正した。
大きく脚を上げ、揃った動きで向きを変える。
そして左右から扉に手をかけ、重い扉をゆっくりと開いた。
「ミリス・ヘーゼル殿がお着きです」
総司令官執務室の奥に、ジュニパーがいた。
礼装のままのアニスとヴィレンスも、ジュニパーの背後に無言で立っていた。
ジュニパーだけは、もうすっかり私的な格好になっていた。
長い髪はほとんど結われておらず、ゆるく背へ流れている。
絹のローブの胸元は、青いオパールのピンで留められていた。
礼装を脱いでも、華やかな顔立ちは少しも変わらない。
ミリスは、ペルラを滞在させてもらったことと、今夜の部屋まで用意してもらったことへの礼を述べた。
「ああ……それは構わないけど」
ジュニパーは言った。
「迎えの日は明日だったよね? まだ前日だよ。いずれにしても、今日はもう遅いから、ペルラに会うのは明日ね」
「はい」
――残念だが、確かに、ペルラが寝ているところを起こしたら可哀想だ。
「今日呼んだのは、言いたいことがあってさ。ペルラのこと、よろしく頼むよ」
「はい」
返答しつつ、ミリスは困惑した。
――よろしくお願いするのは、婚約者の僕の方ではないのか?
「僕の大切な友達だから」
ジュニパーは清らかな笑みを浮かべた。
「あ……はい」
――友達か。
ジュニパー様とペルラは友達なのだ。
ジュニパー様が、ペルラを引き留めたくて、わざわざ戒厳令を出したのかと疑ってしまった。
まさかそんなことあるはずがない。
僕が警戒し過ぎたようだ。
「また会いに行くよ」
「あ……は、はい……」
ミリスは気の抜けた声で答えた。
――第三港湾に来るつもりなのか。
王族が来るとなったら、第三港湾は上へ下への大騒ぎになる。
ペルラに会うため……じゃないよな。
普通に考えれば、司令部の視察しかない。
ミリスはひとりで小さく頷いた。
ジュニパーはゆっくり背もたれに寄りかかり、足を組んだ。
「ペルラはいつ結婚するの?」
「え」
あまりに唐突だった。
「何を驚いている? お前、婚約者だよな?」
「はい」
ミリスは力強く肯定した。
ジュニパーは腕を肘置きに乗せ、指先で軽く叩いた。
「早く結婚しろよ」
ミリスは目を見開き、一瞬の間の後に答えた。
「ムーンストーン王都に戻ったタイミングで、両家を招いて結婚式を挙げたいと考えております」
「王都に戻る?」
ジュニパーの声に怪訝な色が混じった。
「はい。二年の任期が終わりましたら……」
「何を言っている?」
「えっ?」
ジュニパーは射抜くような視線でミリスを見た。
「ミリス・ヘーゼル。お前はアルマンディン駐留軍から出さない」
ジュニパーは椅子から立ち上がった。
ゆっくり窓際まで歩いていく。
遠く眼下の閲兵広場に、『平和祈願の火』が燃えていた。
「先代の総司令官が、どこで死んだか知ってるよね?」
「……」
「アルマ宮だよ」
ジュニパーは窓の方を向いたまま、静かに続けた。
「戦争の直後にアルマンディンに来て、そこからずっとアルマ宮にいた。一度も本国には戻れなかった」
ミリスも、自分の立っている位置から窓の外に目をやった。
閉じた環の火は、赤く微かに揺れていた。
ジュニパーは窓枠に手をついた。
「僕はアルマンディンで生きて、アルマンディンで死ぬ」
アニスは、その言葉の意味を知っていた。
『平和祈願の火』の地下には、旧アルマンディン王家の墓所がある。
歴代のアルマンディン王の棺と並んで、先代総司令官の棺も納められていた。
おそらく、その横にはジュニパーの棺が置かれるだろう。
「僕からペルラを取り上げないよね?」
ジュニパーは窓の外からミリスに視線を戻した。
「えっ?」
ジュニパーは窓辺を離れ、ゆっくりミリスへ近づいた。
「式を挙げる場所がないなら、アルマ宮を貸してやる。呼びたい客は全員アルマンディンに呼んでやる。早く結婚しろ」
「あの、ちょっと考え――」
ミリスはジュニパーから一瞬目をそらした。
「そうすれば、お前がアルマンディンにいる限り、ペルラもアルマンディンにいる」
ジュニパーが歩くたびに、胸元の青いオパールが光を返した。
「第三港湾が嫌なら、アルマ宮でもどこでも異動させてやる」
「いえ、あの――」
ミリスは顔を上げて、再びジュニパーを見た。
「だが、お前をここから出さない」
ジュニパーはミリスの前で立ち止まった。
「出るなら、ペルラを置いていけ」
初めて聞く、低い声だった。
ミリスは黙った。
アニスとヴィレンスを見たが、二人とも姿勢を正したまま、固く口を結び、ただ正面を見ていた。
ジュニパーは執務机へ戻り、椅子に腰を下ろした。
「明日は気をつけて帰れ」
その声は、数時間前の祝賀会で聞いた、穏やかなものに戻っていた。




