9. アルマンディン編① 来客
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
アルマンディン第三港湾にあるミリスの家に、珍しい客が来ていた。
ペルラの友人、イグニス・コンミフォラと、その父親であるコンミフォラ侯爵だった。
二人は昨日、コンミフォラ家の技術者たち数十人とともに第三港湾へ到着したばかりである。
目的は、ジュニパー第二王子の総司令官就任に合わせた、アルマ宮の銀線の大規模改修だった。
一行はこのあと内陸の旧王都アルマへ向かう予定だったが、その前に、イグニスとコンミフォラ卿がペルラたちの家へ立ち寄ったのだった。
小さな家の周囲には、駐留軍の兵士が何人も配置されていた。
そして、玄関脇にはタロウが立ち、室内の壁際にはジロウが控えていた。
コンミフォラ侯爵は持ってきた包みをミリスとペルラに差し出した。
「婚約おめでとう。お祝いだ」
「ありがとうございます」
中には銀の菓子皿が入っていた。
二人は礼を言った。
◇
「遠かった〜」
ソファに腰を下ろすなり、イグニスが言った。
「遠いですよね」
ペルラは笑った。
「僕、アルマンディンに来たの初めて!」
「私も今回が初めてです!」
「同じだね?」
「同じですね!」
ペルラとイグニスは楽しそうに笑った。
コンミフォラ侯爵は、会話する二人をしばらく見ていたが、持ってきた本を取り出して読み始めた。
ミリスは紅茶を一口飲んだ。
妹のルビーから聞いて、イグニスがペルラの友人であることは前々から知っていた。
だが、二人が一緒にいるところを見るのは初めてだった。
「ペルラは元気にしてた?」
「アルマンディンに来てからは元気ですよ」
「あ、そうか。色々あったんだもんね。ごめんね」
「いえ、大丈夫ですよ! 人間生きていれば色々あります」
「そうだよね」
「そうですよ」
「あはは!」
「ふふふ!」
横でミリスは黙って紅茶を飲んだ。
「イグニス様は最近どうでしたか?」
ペルラが尋ねた。
「最近? うーん、最近は船に揺られててつらかったけど」
「その前ですよ」
「その前は……アルマ宮用の銀線の設計に追われてた。大変だった。とにかく量が多くて」
「なるほど。アルマ宮は広そうですものね」
アルマ宮は、かつてのアルマンディン大陸王国の王宮である。
王国時代には、単に『大宮殿』と呼ばれていた。
しかしアルマンディンがムーンストーン王国に併合されると、本国ではない宮殿をそのまま『大宮殿』と呼ぶのはふさわしくないとされ、所在地である旧王都アルマの名を取って『アルマ宮』と改められた。
「そもそも、あそこはアルマンディン大陸王国が造った宮殿だから、ムーンストーンの銀線をつけるための空間がないんだよね」
「空間がないんですか? 宮殿だから広そうですけど」
「壁や柱に旧王国時代の装飾がたくさんあって、今ある銀線も、その上に無理矢理つけてあるんだ」
「そういうことなんですね」
「そこへ今度はもっと増やすから大変だよ。元からある装飾を無視したら簡単だけど、それじゃ美しくないし」
「難しそう」
「アルマ宮を見るのは楽しみだけどなあ。とにかく銀線の量が多くて、突貫工事だよ」
「忙しいですね」
「うん。間に合うかなあ」
「イグニス様ならきっと大丈夫ですわ」
ペルラがイグニスの目を見た。
「……ペルラにそう言われると、できそうな気がするよ」
二人は笑って顔を見合わせた。
その時、イグニスの視線がふと玄関の方へ動いた。
「あ。銀線で思ったけど」
玄関脇にはミリスの『星の蔦』が置いてあった。
幾筋もの銀線が、蔦のような優美な曲線を描いて網目状に広がり、ところどころに淡いミントグリーンの小さな宝石がはめ込まれていた。
星の蔦は、ムーンストーン王立軍の装備である。機能や装着範囲は、階級や職務内容によって少しずつ異なっている。
軍から受け取る時に、使用者に合うように調整される。
宝石は各人が好きなものを入れることができた。
「ミリス様の星の蔦、調整しようか?」
「……え?」
ミリスは急に話を振られ、驚いて思わず聞き返した。
「もしよければ、星の蔦を――」
「あ、はい。ぜひお願いします」
ミリスはすぐに立ち上がると、星の蔦を持ってきて、イグニスに渡した。
イグニスは、ところどころにはめ込まれた宝石を、いくつか順番に数秒ずつ押した。
すると、星の蔦全体が淡い光を放った。
前にいた王都守備隊の頃から、何年も使ってきた装備だが、星の蔦全体が光るところをミリスは見たことがなかった。
イグニスは鞄から、小さな工具を取り出す。
それを使って、銀線の接続部にある小さなねじをいくつか外していった。
すると、それまで一つの網目を形作っていた銀線がゆるみ、一本ずつ外せるようになった。
星の蔦は、身体に沿う程度にはしなやかに曲がる。
だが普段は、銀線一本一本をこんなふうに動かすことなどできない。
イグニスは一本の銀線を指先でゆっくり曲げた。
位置を少しずらす。
曲線を整える。
それから、隣の銀線へ再び接続した。
触れた部分が、淡い青色に光った。
イグニスはそれを見て、わずかに位置を直した。
もう一度つなぐ。
今度は薄い緑色の光が灯る。
次の場所では紫。
その次は、ごく淡い黄色。
イグニスは、接続するたびに現れる光を確かめながら、銀線の位置や曲がり具合を少しずつ変えていった。
指先には迷いがない。
何本もの銀線を外し、曲線を整え、またつなぎ直す。
やがてイグニスは、外したねじをすべて締め直した。
再び、いくつかの宝石を押す。
淡い光が、耳の部分から肩へ、肩から腕へ、そして手の方へと流れるように走っていった。
「うん、いいね」
イグニスは呟いた。
さらに別の宝石を数秒押す。
星の蔦全体が明るく光り、その光はすぐに消えた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ミリスは星の蔦を受け取り、その場で身につけた。
いつも通り、ミリスの左耳の下から左手までを、細い銀線が蔓のように絡み合ってしなやかに覆った。
「……すごい」
思わず声が出た。
未だかつてないほど、星の蔦の感覚は鮮明だった。
同じ装備とは思えない。
「ありがとうございます!」
「あ、そう? よかった」
イグニスは嬉しそうに笑った。
「でね、ペルラ、それがさあ――」
イグニスはすぐにペルラとの会話に戻っていったが、ミリスは星の蔦をつけたまま、しばらく余韻に浸っていた。
その後、イグニスは持ってきた箱をペルラの前へ置いた。
「そうだ。これ、婚約祝い」
箱を開けると、銀色の枠の中に、色とりどりの宝石の小さな玉が一列に吊り下げられていた。
端の玉を持ち上げ、放す。
玉がぶつかる。
中央の玉はほとんど動かないまま、反対側の端の玉だけが跳ね上がった。
「すごい!」
宝石は揺れるたび、光を受けて小さくきらめいた。
ペルラはもう一度、端の玉を持ち上げた。反対側が跳ねる。
また持ち上げる。また跳ねる。
「不思議ですね!」
「でしょ?」
イグニスも嬉しそうだった。
――やられた。
咄嗟にミリスは思ったが、何と戦っているのか、自分でもよく分からなかった。
「あと、これ」
イグニスが別の包みを出した。
「植物の病気の薬。アルマンディンじゃ手に入りにくいと思って。うちで作ってるやつ。よく効くよ」
「コンミフォラ家の薬! ありがとうございます」
ペルラは薬を大事そうに胸に抱きかかえた。
「そうだ。今育てている鉢植え、ご覧になりますか? アルマンディンの植物なんですよ」
「いいねえ。見たい見たい」
ペルラとイグニスが窓際に移動する。
ミリスもついていく。
鉢植えは三つしかないのに、二人の話が尽きないことに、ミリスは感心してしまった。
ふと見ると、コンミフォラ侯爵は相変わらずひとりで本を読んでいた。
コンミフォラ侯爵は、クッションに身を委ね、足を組んで、完全にくつろいでいる。
さすが、噂に違わぬコンミフォラ家の自由っぷりである。
そこまで考えて、ミリスは別の可能性に気づいて愕然とした。
――いや。むしろ、自分がホスト役としてコンミフォラ卿にあれこれ話しかけるべきだったのではないか。
うっかりペルラに気を取られてしまった。
僕の気遣いが足りないばかりに、退屈されているのではないか。
そもそもコンミフォラ侯爵は、単に婚約者の友人の父親というだけではない。
ムーンストーン貴族の中でも大貴族である。
目上の方に対して失礼だったのではないか――。
苦悩するミリスをよそに、お手伝いさんのナズナが新しい紅茶を運んできた。
ペルラとイグニスがテーブルに戻ってきたので、ミリスも何となく再び座る。
「イグニス様は祝賀会に出席されますか?」
ペルラが尋ねた。
「それがね、そこまでいられないんだよ。ムーンストーンで次の仕事があってね」
「あら、残念。アルマでまたお会いできるかと思いましたのに」
「ペルラは祝賀会に行くの?」
「はい」
「アルマ宮に行ったら、ぜひ銀線を見てね」
「はい。イグニス様がいなくても、銀線に会えますね」
「そうだね。銀線の顔を見てやってよ」
イグニスは笑った。
「帰り、第三港湾まで来たら、またペルラの家に寄るよ」
「本当ですか? 楽しみにしています」
ペルラが微笑んだ。
――すぐまた来るんだな……。しかも、ここは僕が借りている家だからな? いや、そんなことはどうでもいいが……ああ、正しくは、僕とペルラの家だな。
ミリスは深呼吸をすると、一瞬目を閉じた。
――イグニスが来れば、ペルラが喜ぶ。何も問題はない。全く問題ない。大歓迎だ。
◇
ペルラとミリスは、二人を乗せた馬車が角を曲がり、見えなくなるまで見送った。
「イグニス様も大変ね。お仕事がうまくいくといいわね」
ペルラが言った。
「そうだね」
ミリスは優しく答えた後、少し力を込めて玄関のドアを閉めた。
家のドアは二重だった。
外側に鉄の柵のドア、内側に重い分厚い木の扉があった。
それがこの辺りでは普通の造りだった。
イグニスが言っていた、次の仕事があるから祝賀会に出ないという話は、本当なのだろう。
だが、ミリスには、それだけではないことも分かっていた。
ムーンストーン本国で、コンミフォラ家といえば、化粧品や石鹸、薬で名高い侯爵家である。
だが、それらは高級品で生産量も多くなく、遠いアルマンディンまでは流通していなかった。
この土地でコンミフォラ家の名を有名にしたのは、別のものだった。
『星の蔦』。
対アルマンディン戦争の途中から投入され、ムーンストーン王立軍を勝利に導いたと言われる装備である。
それを開発したのが、コンミフォラ家だった。
コンミフォラ家の当主と跡継ぎが、アルマンディンに長居する理由はない。




