73. アルマ宮編(19)果物
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
夜、アルマ宮の広い食事室で、ペルラはひとり席について、ジュニパーを待っていた。
壁際には侍女のランが立っている。
いつものように、穏やかな微笑みを崩さない。
窓の外はもう真っ暗だった。
巨大なシャンデリアの光が、黒い窓ガラスに映り込んでいる。
――いつもなら、もう食べ終わっている時間だわ。
ペルラはぼんやりと窓を眺めた。
やがて、大きな扉が開いた。
軍服姿のジュニパーが、二人の護衛を従えて慌ただしく入ってきた。
「ペルラ、ごめんね。遅くなっちゃった」
ペルラはすぐに立ち上がって、礼をした。
「ジュニパー様、おかえりなさいませ」
「ああ、そのままでいいのに。ありがとう。今日はこの服のまま失礼するよ」
ジュニパーはいつも、夕食の前に着替えていた。
席へ向かいかけて、ペルラの足元を見た。
「あ、靴履いてくれてるんだね。似合ってるよ」
靴の青い宝石がキラキラと輝いた。
「ありがとうございます。とてもきれいな靴で……お姫様みたいです」
ジュニパーはペルラの目を見た。
「きれいなのはペルラだよ。僕のお姫様」
ペルラは一瞬、言葉に詰まった。
「えっ。そ、そんな……」
「じゃあ、そう思ってるのは僕だけなの?」
ジュニパーは椅子に腰を下ろし、手元のグラスを取って一口飲んだ。
「えっ……?」
ペルラが困っていると、ジュニパーはグラスを置いた。
「ペルラはずっと僕のお姫様だよ。いつ、どこにいても」
ジュニパーはペルラを見つめた。
「……」
ますます、何と答えたらいいのかわからない。
「僕は真剣なのに、ペルラは何も言ってくれないんだね? 寂しいなあ……」
ジュニパーの顔が曇った。
ペルラは一生懸命説明した。
「あ、あの、えっと……ジュニパー様は本物の王子様ですし、何と言ったらいいか今考えていて……」
ジュニパーは吹き出した。
「あははは! 困ってる? ごめんね」
ちょうど給仕がやってきて、皿を取り替えた。
二人は新しい皿の料理に移った。
「ジュニパー様、お忙しかったのですね」
「ちょっと色々あってね……。また賊が出たんだ」
「えっ!」
ペルラの顔から笑みが消えた。
「また……?」
第三港湾からアルマに向かう途中で、宿屋に賊が来た時のことが、頭に浮かんだ。
ペルラは、ミリスにもらった耳飾りに触れた。
「では、私の通行許可はやっぱり難しいですよね……」
「そうだね。まだ危ないね。でも、ここは安全だから安心してね」
「はい。怖いこともなく、楽しく過ごさせてもらってます」
ペルラは弾んだ声で言った。
「それはよかった。僕がペルラを絶対守るからね」
ジュニパーが微笑んだ。
「ありがとうございます」
ペルラも笑った。
給仕が次の料理を運んできた。
二人はしばらく食事を続けた。
やがて、ペルラは手を止めた。
「すみません」
近くにいた給仕へ声をかける。
「おいしいのですが、おなかがいっぱいになってしまったので、下げてください」
「かしこまりました」
給仕は一礼して皿を下げた。
ジュニパーがペルラを見る。
「最近、あんまり食べてないの?」
「いえ、そういうわけでは……。でも今日は、おなかがいっぱいになってしまって……すみません」
「謝らなくていいんだよ。でも、ペルラが食べないと心配なんだ」
「そうですよね……ごめんなさい……」
「あっ、また謝った!」
ジュニパーが笑った。
「今日はもう『ごめんなさい』はなしだよ?」
「はい」
ペルラも笑った。
「ドレスのボタンも、前より締めてるって聞いたよ?」
「それはそうなんですけど……」
「料理がおいしくないの? 料理人変えようか?」
「いえ、そんなことは……。お料理はとってもおいしいです」
「じゃあ、慣れてる味がいいんじゃない? ベトーラ家の料理人を連れてこようか?」
「あの……お恥ずかしながら、うちにはあまり料理人がいたことがなくて……」
ペルラは目を伏せた。
「いたよね? ディアバス……だっけ?」
ジュニパーは肉にフォークを勢いよく突き刺した。
「あ、あの……ディアバスはよく料理をしていましたが、バサルクの王子ですし、ここにはちょっと……」
「大丈夫」
ジュニパーは微笑んだ。
「大丈夫……?」
――どういう意味かしら。
ペルラは思わず聞き返した。
「ペルラが食べたいなら、ディアバスを呼べるよ」
ジュニパーはにこやかに言った。
「…………」
ペルラは理解した。
――そうだわ。
ディアバスは属国バサルクの王子で、ムーンストーン王国には人質として来ている。
ムーンストーンの王子であるジュニパー様が呼ぼうと思えば、本当にアルマンディン領に呼べるのだ。
でも、ここに来たら、ディアバスがムーンストーン王都でせっかく始めた仕事はどうなるのだろう。
これから先の人生だって、ますます不安定になるかもしれない。
しかも、オーニチェ様が聞いたら悲しむわ。
――ディアバスはここに来ちゃダメ。
給仕が食事の皿を下げ、デザートを運んできた。
ペルラは顔を上げた。
「ジュニパー様。私、食べれます!」
「そう? よかったぁ」
ジュニパーの顔が明るくなった。
「果物なら食べれる? ペルラ好きだものね」
「はい!」
ジュニパーは給仕へ顔を向けた。
「果物、もう少し持ってきて」
「かしこまりました」
ペルラはデザートを口に運んだ。
「おいしいですね」
「そうだね」
ジュニパーは嬉しそうに笑った。
しばらくして、給仕が大きな果物の盛り合わせを運んできた。
ジュニパーは立ち上がって皿を持つと、そのまま大きな食卓の反対側まで回り、ペルラの隣に来た。
「椅子を」
すぐに給仕が椅子を運んでくる。
ジュニパーは果物の皿を置いた。
「さあ、ペルラ姫。果物が参りましたよ」
ペルラは思わず笑った。
「ジュニパー様ったら」
ジュニパーも笑い、隣の椅子に腰を下ろした。
「ねえ、ペルラ。僕に食べさせて」
「えっ?」
「お願い! 僕もう今日疲れちゃった」
「そういうことなら仕方ありませんね」
ペルラは笑った。
「何がいいですか?」
「そうだなあ。じゃあ、メロン!」
ペルラはフォークでメロンを取り、ジュニパーの口元へ運んだ。
けれど、ジュニパーは口を開けない。
ただ微笑んで、ペルラの顔を見ていた。
「……?」
ペルラはフォークを持ったまま待った。
「あの……口を……」
ジュニパーは笑った。
「ごめん、ごめん。ペルラの顔を見ていたくて」
その時、メロンから果汁が一滴落ち、ジュニパーの手の甲についた。
「あっ、ごめ……」
ペルラは途中で口を閉じた。
――今日はもう『ごめんなさい』はなし、だったわ。
ジュニパーは何も言わず、ペルラを見たまま、手の甲についた果汁を舐めた。
それから、フォークを持つペルラの手を両手で包んだ。
その手を自分の方へ寄せ、メロンを口に含む。
「甘くて、おいしい」
「よかったです」
ペルラが笑った。
「ペルラは何がいい?」
「ブドウかな」
「じゃあ、僕の方を向いて」
「はい」
ペルラは椅子に座り直し、ジュニパーの方へ身体を向けた。
「手は膝の上だよ?」
「わかりました」
ペルラは言われた通りに両手を膝の上へ置いた。
ジュニパーはフォークでブドウを一粒刺した。
「さあ、口を開けて」
「はい」
ペルラは笑いながら口を開けた。
ブドウが口に入る。
「おいしい?」
「おいしいです」
「食べれたね?」
「はい」
「僕が食べさせてあげる。その方が食べれるんじゃない?」
「ええっと……」
ジュニパーはフォークを置いた。
「ブドウをフォークでって、おかしかったね。ブドウは手の方がおいしいかな?」
「あの、どちらでも……」
ジュニパーはブドウを一粒、指でつまんだ。
「ペルラ、手は膝の上だよ?」
「はい」
ジュニパーが身体を寄せる。
その膝が、ペルラの膝に当たった。
ジュニパーはブドウをペルラの口元へ運んだ。
ペルラは口を開ける。
けれど、ブドウは来ない。
「あの……?」
ジュニパーは、そのままブドウを自分の口に含んだ。
そして、ニヤリと笑った。
「…………」
ペルラは口を閉じた。
「ごめん。怒った?」
ジュニパーは上目遣いでペルラの顔を覗き込んだ。
「怒ってませんよ!」
ペルラは何だか落ち着かなくて目を逸らした。
「ねえ、怒らないで?」
ジュニパーは笑いながらペルラの両肩に手を置き、軽く揺すった。
軍服の肩から垂れた飾緒の固く編まれた紐が揺れて、ペルラの胸元の柔らかな肌をかすかに擦った。
「だから怒ってませんって」
ペルラも笑った。
「ちょっとびっくりしただけです」
「じゃあ、名前呼んで?」
「ジュニパー様?」
「食べさせてください、って言って? そうしたら今度はブドウあげるから。お願い」
――ジュニパー様のお願いって、かわいいな。
ペルラはまた笑った。
「ジュニパー様、食べさせてください」
「いいよ」
ジュニパーは新しいブドウを一粒つまんだ。
「さあ、もう一度。手は膝の上に」
「はい」
ペルラはまた両手を膝の上へ置いた。
「口を開けて」
言われた通り、口を開ける。
けれど、今度もブドウは来なかった。
「あの……?」
ジュニパーは楽しそうにペルラを見ていた。
「ほら、あれだよ」
「あれ……? あっ」
ペルラは思い出した。
「食べさせてください……」
「ペルラ、もう一つあるでしょ?」
なんだか恥ずかしい。
「ジュニパー様、食べさせてください……」
「声が小さいなぁ。まあ、いいことにしてあげる」
ジュニパーは指先につまんだブドウを、ペルラの口元へ近づけた。
「ほら、口を開けて」
ペルラは口を開けた。
ジュニパーの指先が、ブドウを口の中へ入れた。
ペルラが口を閉じる。
指先は、閉じた唇にしばらく触れてから離れた。
ジュニパーは軍服の首元のボタンを一つ外し、頬杖をついた。
そのまま満足そうにペルラを眺める。
ペルラはブドウを噛むと飲み込んだ。
「ブドウ、まだあるからね」
ジュニパーは嬉しそうに笑った。




