40. バサルク王国編(20) 雨と炎
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
重い扉の向こうには、薄暗い謁見の間が広がっていた。
謁見の間の左右には、大きな灯火台が置かれていた。
高く上がった炎が、時折揺れていた。
外では激しい雨が降っていた。
風にあおられた雨粒が、閉じられた板戸を激しく叩いた。
謁見の間には、湿った空気が重く澱んでいた。
金と水晶の簾は今日は脇へ寄せられていたが、薄暗くて、壇上のオーニチェの姿はぼんやりとしか見えなかった。
その少し後ろには、ピレイが控えている。
ミリスは壇の下まで進み、頭を下げた。
「お呼びでしょうか」
「ああ」
オーニチェの声がした。
「ここへ来る途中、回廊が落ちているのは見たか?」
「はい」
「ペルラが不審者を見たと教えてくれたのでな」
ミリスが顔を上げた。
「ペルラが?」
「そいつに脅されて、口止めされたそうだ。それでも、そのままにしておけないと思って、後を追ったらしい」
「脅されて? 後を追った?」
ミリスの声がわずかに上ずった。
「そのあと、傷だらけで歩いているところを王宮の使用人が見つけて、私のところへ連れてきた」
「傷だらけ?」
オーニチェは平然と続けた。
「傷は手当てをした。今は安全な部屋で過ごしている」
ミリスはほっと息を吐いた。
「どうもありがとうございます」
オーニチェはしばらくミリスを見ていた。
「ペルラが不審者を見たのは、使節団の荷物部屋だ」
「え?」
雨が一段と激しく板戸を打った。
「ペルラは口止めされていた。喋れば、お前に毒を飲ませると脅されたらしい」
「私に?」
「ああ。ペルラは早く伝えてくれと、ひどく心配していた」
ミリスは目を伏せた。
「そうですか……ありがとうございます」
「……とにかく、そいつが何者かはペルラは言わなかった。だが、そのほかの話を手がかりに、我々は不審者を探した」
オーニチェが片手を上げた。
「結果はこれだ」
横の小さな扉が開いた。
守備兵たちが、ミリスの前に担架を運び込んできた。
その上に横たわる男を見て、ミリスは目を見開いた。
「……フェンネル?!」
返事はない。
フェンネルは目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。
オーニチェが言った。
「こいつが王宮の下層で気絶していた。おそらく、回廊を落とした時に巻き込まれたのだろう」
ミリスは担架へ近づき、守備兵に訊いた。
「……フェンネルは……生きていますか?」
壇上のオーニチェから返事があった。
「生きている」
「そうですか……」
ミリスの肩から、わずかに力が抜けた。
「だが、今は寝かせている」
ミリスはオーニチェを見上げた。
「寝かせている?」
オーニチェは答えず、守備兵に手で合図した。
担架が再び運ばれていく。
オーニチェがミリスを見た。
壇上の薄闇の中で、オーニチェの黒い瞳が獣のように光った。
「まあ、聞け」
オーニチェが少し笑うのが見えた。
「お前、こいつに喋らせて、どうするつもりだ?」
「……え?」
ミリスは困惑した。
「フェンネルが着ていた服。あれが何の服かわかるか?」
「いえ」
「王宮の厨房で働く、下働きの者の服だ」
「え?」
「しかも、あいつは農薬を持っていた」
「農薬?」
「人に飲ませてはいけない物らしい。量によっては、命に関わることもあるそうだ」
ミリスの表情が変わった。
「ペルラはすぐに農薬だとわかったらしい。彼女らしいな?」
オーニチェは優しい声で言った。
ミリスは曖昧に頭を下げた。
「ペルラに対しては、喋ればお前に飲ませると脅した。だが、それが最初からの目的だったとは考えにくい」
オーニチェは淡々と話した。
「フェンネルは王宮の厨房に入り込める服を用意し、人に飲ませてはいけない農薬を持っていた。そして、昼食の支度が進む時間に、厨房の近くにいた」
オーニチェの声が低くなる。
「私の食事か飲み物に混ぜるつもりだった、と考えるのが自然だろう」
外の風に合わせて、灯火台の火がわずかになびく。
ミリスを照らす光と影が、何度も入れ替わる。
「どうだ、ミリス?」
オーニチェは静かに尋ねた。
「使節団の団長として、申し開きがあるのではないか?」
雨音が強く弱く響いていた。
「すぐには言葉が出てこないか?」
オーニチェはミリスを見下ろした。
「いいぞ。しばらく時間をやる。
明日、もう一度話そう」
ミリスは深く頭を下げた。
「……はい、ありがとうございます」
そして、言葉を絞り出した。
「あと、あの、フェンネルは……」
「フェンネルは自分の部屋で寝ていてもらう」
「……はい」
「それから、ペルラは安全な部屋へ移す」
「部屋を変わるということですか?」
「そうだ」
オーニチェの声から怒りを感じた。
「お前は……私がペルラを使節団の人間のそばに戻すと思うか?」
「…………」
ミリスは答えられなかった。
ペルラを危険にさらす人間がフェンネルだけとは限らない。
そう言われれば、その可能性を否定する材料を、ミリスは何一つ持っていなかった。
オーニチェが立ち上がった。
壇を降りる。
一段。
また一段。
やがて、ミリスと同じ高さまで下りてきた。
オーニチェはミリスの前で足を止めた。
「お前では、ペルラを守れない」
灯火の熱さがミリスを焼くようだった。
オーニチェはミリスの目をじっと見た。
瞳に映った炎が揺れていた。
「お前を信用できるまで、ペルラは戻さない」
そう言うと、オーニチェはミリスの横を通り過ぎた。
ミリスは頭を下げた。
しばらくして、軋む音がして、大きな扉が閉まった。




