29. バサルク王国編⑨ 風穴
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
「この近くに、涼しい風穴があるそうです」
侍女にそう教えてもらい、ペルラとミリスは昼過ぎに王宮を出た。
バサルク王宮は、熱帯雨林の巨木の間に吊り橋や回廊を渡し、樹冠近くまで幾層にも広がっている。
二人は微かに揺れる回廊を下り、地上へ向かった。
熱帯雨林の中を通る道は今日も蒸し暑かった。
風穴は、王宮からそれほど遠くない岩場にあった。
大きな洞窟を想像していたペルラは、その入口を見て少し驚いた。
岩と岩の間に、人ひとりがやっと通れるほどの隙間が開いている。
中へ向かって、急な岩場が続いていた。
けれど、その隙間からは確かに冷たい風が流れてくる。
「涼しい……!」
ペルラは思わず顔をほころばせた。
「中はもっと涼しいって言ってたね」
ミリスが先に降りていく。
数段下まで進むと振り返り、ペルラへ手を差し出した。
「足元、気をつけて」
「はい」
ペルラはスカートの裾を少し持ち上げ、ミリスの手を取った。
岩はところどころ湿っている。
慎重に足を下ろしたつもりだった。
「あっ」
靴底が滑った。
体が前へ傾く。
次の瞬間、ミリスの腕がペルラを受け止めた。
「ペルラ!」
ペルラの体は思ったよりも柔らかかった。
「大丈夫?」
肩と腰を支えられ、ペルラはなんとか転ばずに済んだ。
ペルラが顔を上げると、すぐ近くにミリスの顔があった。
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
「よかった」
ミリスはほっとしたように笑った。
それから、今度はさっきよりもゆっくりと奥へ降りた。
風穴の内部は、小さな部屋ほどの広さだった。
薄暗い。
けれど天井近くの岩に細い割れ目があり、そこから白い光が差し込んでいる。
光は岩肌の一部を照らし、その下を冷たい風が静かに流れていた。
ペルラはうれしそうに言った。
「涼しいですね」
「うん」
ミリスも隣で息をついた。
「王都を思い出すね」
ムーンストーン王都は涼しい日が多い街だ。
ペルラは笑った。
「確かに。バサルクにいることを忘れそうです」
外ではあれほど蒸し暑かったのに、ここではじっとしていると少し肌寒いくらいだった。
二人は何をするでもなく、しばらく涼しい風に当たった。
◇
風穴を出ると、外の空気は再び蒸し暑かった。
「暑いです……」
「さっきまで涼しかったから余計にね」
二人は笑いながら道を戻った。
途中、香ばしい匂いが漂ってきた。
道沿いの店先で、大きく切ったイカが串に刺され、炭火で焼かれている。
「わあ! イカ焼きですね」
「食べる?」
「食べちゃいますか?」
買い食いに慣れていない二人は、小さな声で相談して微笑んだ。
王都から遠く離れたバサルクで、誰も見ている人はいない。
焼きたてのイカには、甘辛いタレがたっぷり塗られていた。
店の人によると、バサルクバケモノオオイカという種類の大きなイカらしい。
ペルラが一口食べる。
「おいしい!」
満面の笑みを浮かべたペルラを、ミリスはうれしそうに見ていた。
「熱くない?」
「大丈夫です」
「よかった」
ミリスは自分の串をかじった。
◇
二人が王宮へ戻ると、いつもより多くの守備兵や使用人が回廊を行き交い、使節団の滞在区域も落ち着かなかった。
ミリスは事情を確認するため、そのまま使節団の部屋へ向かった。
ペルラが自室へ戻ると、侍女が迎えた。
「お帰りなさいませ、ペルラ様」
「ただいま。何かあったの?」
「少し前に、不審者が王宮へ入り込んだそうです」
「えっ!」
ペルラは驚いた。
「この辺りにも入り込んだそうですが、もう全員取り押さえられました。ご心配はいりません」
「よかった……」
ペルラはホッとした。
侍女は冷たいお茶を持ってくると、少し頬を赤らめて言った。
「バサルクの守備兵と一緒に、フェンネル様も活躍されたんですよ」
「そうだったの? フェンネル様は総司令官護衛隊の所属なんですって」
「だから、お強かったんですね! カッコよかったです」
ペルラはくすっと笑った。
「フェンネル様に言っておきましょうか?」
「まだ内緒でお願いします」
二人は顔を見合わせて笑った。




