102. アルマ宮編(47) 地下
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
馬車は、アルマ宮の正面玄関前で一度止まった。
ヴィレンスに促され、ソルト卿だけ降りた。
石段の下で護衛隊の兵士が待っていた。
兵士に案内されて正面玄関へ消えていく姿を、ミリスは窓越しに見送った。
日が傾き始めていた。
馬車はさらに巨大な宮殿の外周に沿ってしばらく進み、やがて通用口の前で止まった。
「星の蔦は外して、馬車の中に置いていってください」
ヴィレンスが言った。
ミリスは言われた通りに外した。
アルマ宮に通行記録を残さないためだろう。
ヴィレンスとミリスは馬車を降りた。
◇
夕暮れのアルマ宮は静かだった。
巡回中の兵士と一度すれ違っただけで、ほかに人の姿はなかった。
高い天井から、大きなシャンデリアが幾つも吊られていたが、火は入っていなかった。
大きな窓から差し込む最後の薄明かりと、壁際の燭台だけが、長い回廊を照らしていた。
ヴィレンスは何も言わずに先へ進んでいく。
ミリスはその背を追った。
幾つかの廊下を曲がり、大きな階段を下りた。
装飾がなくなり、床も壁もむき出しの石へ変わった。
燭台が減り、空気がひんやりとしてきた。
やがて、ヴィレンスがある壁の前で足を止めた。
古い石壁に、そこだけ新しい銀線が何本も走っている。
地下牢へ続く扉だった。
◇
地下牢は薄暗く、人の気配はなかった。
長い通路の左右には、いくつもの扉が並んでいた。
ミリスは右側の、奥から三番目の扉を開けた。
バサルク国王から聞いた手順を思い出し、仕掛けを慎重に一つずつ動かす。
最後の金具を押し込むと、低い音がした。
牢の奥の石壁の一部がゆっくりと横へずれた。
その向こうから、明るい光が漏れた。
開いた先に、一人の男が立っていた。
ニアオーリだった。
「……ミリス様?」
ニアオーリは目を見開いた。
それから、後ろにいるヴィレンスにも気づいたらしい。
一瞬だけ表情を固くしたあと、深く頭を下げた。
「どうもありがとうございます。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」
「お怪我はありませんか?」
ミリスが尋ねる。
「ありません。落ちた下は柔らかいベッドで、部屋は快適に整えられていましたから……」
「快適?」
ミリスは視線をニアオーリの後ろへ向けた。
部屋は清潔で、中央には大きなベッドが置かれている。
窓はないが、どこからか新鮮な空気が流れ込んでいた。
卓上には飲み物と食べ物が並び、棚には本や絵の道具、さらには一本のフルートまで置かれていた。
――ジュニパー様は、まさか、ペルラとこの部屋に落ちるつもりだったのか?
「昔は、こんな部屋ではありませんでした」
ニアオーリが言った。
「昔?」
ニアオーリは、ミリスの横を指した。
「そこをご覧ください」
ミリスは横を見た。
明るい部屋から漏れる光が、薄暗い地下牢を淡く照らしていた。
先ほどまで暗くて気づいていなかったが、ミリスの真横に、大きな金属の塊がいくつも無造作に積み上げてあった。
人の背丈ほどの長さがある太い刃が、何本も上向きに突き出していた。
ミリスは息を呑んだ。
人が落ちてくれば、そのまま身体を貫くためのものだと、一目でわかった。
落とし穴から取り外されたのだろう。
「敵を殺す罠でした」
ニアオーリが静かに言った。
ミリスはニアオーリへ向き直った。
「ペルラを助けてくださって、ありがとうございました。ペルラもお礼を申しておりました」
ミリスは頭を下げた。
「いえ……かえってご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ミリスは微笑んだ。
「いいえ、感謝しております。
ソルト卿の依頼で迎えに来ました。帰りましょう」
「はい。ありがとうございます」
ニアオーリは頷いた。
◇
来た道を戻り、ミリスとニアオーリはヴィレンスに案内されて通用口を出た。
外は、もうすっかり暗くなっていた。
門の前には、先ほど乗ってきた馬車が待っていた。
ミリスとニアオーリが乗ると、馬車は正面玄関へ向かった。
ソルト卿が乗り込んできたが、その顔はひどく青ざめていた。
しかし、ニアオーリとミリスの顔を見ると、ぎこちなく笑った。
「無事でよかった」
ニアオーリとミリスは無言で頷いた。
馬車はソルト伯爵邸に向かって走り出した。
ニアオーリは窓の外を見た。
遠ざかるアルマ宮の広場では、巨大な円環の炎が明るく燃えていた。
ニアオーリは幼い頃に聞いたその火の名を覚えていた。
『永遠の王冠』。
その炎の下には、歴代の王が眠っている。
ニアオーリは目を閉じて、黙祷した。
――もう、大宮殿へ来ることはないだろう。




