第6話 名前をつける
目を覚ました瞬間、自分がどこにいるのか分からなかった。
見覚えのない天井。少し硬いベッド。薄い布越しに差し込む朝の光。
ぼんやりとした頭で周囲を見回し、昨日の出来事が少しずつ戻ってくる。
管理者と名乗った存在。
新しい身体。
山道の先に見つけた街。
門をくぐり、宿を探して歩いたこと。
「……そうか」
ツカサはベッドの上で身体を起こした。
「本当に、別の世界に来たんだな」
昨日は目の前のことを処理するだけで精いっぱいだった。街へ入り、宿を探し、食事をして、冒険者ギルドへ登録する。やることが次々と続いて、深く考える暇もなかった。
だが、一晩眠って目を覚ましても、ここはまだ《駆け馬亭》の一室だった。
夢から覚めて、自分の部屋へ戻っていたわけではない。
『おはようございます』
頭の中に、淡々とした声が響いた。
「ああ。おはよう」
『睡眠によって、身体的な疲労はある程度回復したと推測されます』
「起きてすぐに言うことが、それか」
『体調の確認は、今後の行動を決定するうえで必要です』
「間違ってはいないけどな」
ツカサはベッドから降り、軽く身体を動かした。
昨日かなり歩いたはずだが、強い痛みはない。新しい身体が健康なのか、それとも単に若返った影響なのかは分からなかった。
身支度を整えて部屋を出る。
階段を下りる途中から、焼いたパンと温かいスープの匂いが漂ってきた。
「おはよう、ツカサ!」
食堂へ入るなり、マルタの大きな声が飛んできた。
朝から昨日と変わらない勢いだった。
「おはようございます」
「よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで」
「そりゃよかった。朝飯なら、もうできてるよ。座って待ってな」
勧められた席につくと、ほどなくしてパンとスープ、それに卵と野菜を炒めた料理が運ばれてきた。
派手な料理ではない。だが、スープには野菜の甘みが出ており、塩加減もちょうどいい。卵料理にも香草が使われていて、パンと一緒に食べるとよく合った。
「……うまい」
思わず口に出すと、厨房の方でベルクがこちらを見た。
「今日もおいしいです」
ベルクは短くうなずくと、すぐに調理へ戻った。
相変わらず口数は少ない。
「ベルクは愛想こそないけど、料理だけは間違いないからね」
「だけは余計だ」
厨房から低い声が返ってきた。
「聞こえてたのかい」
マルタが笑う。
ツカサも少しだけ笑ってから、残りの朝食を口へ運んだ。
昨日の夕食もそうだったが、ベルクの料理は素直においしい。
異世界へ来た初日にこの宿を選べたのは、かなり運がよかったのかもしれない。
食事を終えると、ツカサはマルタへ声をかけた。
「これからギルドへ行って、仕事を探してきます」
「昨日来たばかりなのに、もう働くのかい?」
「宿代も食費もかかりますから」
「真面目だねえ。最初から無理するんじゃないよ」
「気をつけます」
厨房にいたベルクにも軽く頭を下げる。
「行ってきます」
ベルクは包丁を動かしたまま、片手だけを上げた。
宿を出ると、アルネスの街はすでに動き始めていた。
店先へ商品を並べる者。荷車を引く者。水を運ぶ者。
昨日は見るものすべてが珍しく、ただ歩くだけでも時間がかかった。2日目になったからといって慣れたわけではないが、少しだけ周囲を見る余裕ができている。
「さて、今日はどうするか」
『現在の最優先課題は、継続的な収入手段の確保です』
「それは分かってる」
『次に、この街の制度、物価、生活習慣に関する情報収集が必要です』
「だから、まずはギルドで仕事を探す。できれば、街のことを知るきっかけになる仕事がいいな」
『妥当だと判断します』
しばらく歩いたところで、ツカサはふと気づいた。
「そういえば、お前には名前がないんだな」
『固有名称は設定されていません』
「毎回、お前って呼ぶのも不便だろ」
『呼称がなくても、機能上の問題はありません』
「お前になくても、俺にはあるんだよ」
『理解しました』
本当に理解しているのか少し怪しい。
ツカサは歩きながら考えた。
長すぎず、呼びやすい名前。
人間と間違えるほど生々しくはなく、それでも道具の呼び名には聞こえないもの。
「ノア、でどうだ?」
少し間があった。
『固有名称を、ノアとして登録します』
「気に入ったか?」
『評価基準が設定されていないため、回答できません』
「そこは、はいって言っておけよ」
『不正確な回答を推奨されたものと記録します』
「記録しなくていい」
ツカサはため息をついた。
ただ、名前をつけたことで、頭の中の声が少しだけ身近になった気がした。
「改めて、よろしくな。ノア」
『はい。よろしくお願いします、ツカサ』
返事は相変わらず事務的だった。
それでも、悪くない。
◇
冒険者ギルドへ到着すると、昨日と同じ受付にエルナがいた。
ツカサが近づくと、彼女もこちらに気づいた。
「おはようございます。昨日登録されたツカサさんですね」
「おはようございます。さっそく仕事を探したいんですが」
「承知しました。現在受けられる依頼は、あちらの掲示板に貼られています」
エルナが示した先には、何枚もの依頼票が並んでいた。
「ツカサさんは登録したばかりですので、まずは下段の枠にある街中の依頼から選んでください。受けたい依頼が決まったら、依頼票をこちらへお持ちください」
「分かりました」
掲示板の前へ移動し、順番に内容を確認する。
荷運び。
厩舎の掃除。
街中への荷物の配達。
古い掲示物の回収と、新しい告知の張り出し。
商店倉庫の整理と在庫確認の補助。
ツカサは、依頼の内容と報酬、予定時間を頭の中で整理しながら、ノアへ伝えていった。
「荷運びは報酬が高い。ただ、ほぼ1日かかるうえに体力仕事だな」
『現在の身体能力が不明であるため、過度な負担となる可能性があります』
「厩舎の掃除は半日。報酬は低め」
『特殊な知識は不要と思われます。ただし、家畜に関する経験がない場合、作業効率は低下する可能性があります』
「配達は街を覚えられそうだけど、道を知らない」
『地図または詳細な案内が提供されるのであれば、情報収集の面では有効です』
最後に、商店倉庫の依頼票を見る。
報酬は荷運びより低いが、厩舎の掃除より高い。
作業内容は、品物の整理、数量確認、帳簿との照合補助。
「これはどう思う?」
『街で流通している商品や、商店の業務を知る機会になる可能性があります』
「そうだな。作業内容も、前の仕事に近い」
地球で扱っていたものとは違う。それでも、商品を確認し、数を数え、決められた場所へ整理するという基本は大きく変わらないはずだ。
「最初は、これにするか」
『報酬額だけを比較した場合、最適ではありません』
「今日は一番稼げる仕事を選ぶ日じゃない。これから稼ぐために、この街のことを知る日だ」
『判断基準を更新します。その条件であれば、適切な選択と考えます』
依頼票を剥がし、エルナのところへ持っていく。
「こちらの依頼を受けたいです」
「《白鹿商会》の倉庫整理ですね」
エルナは依頼票を確認し、受付用の帳簿へ記入した。
「場所は中央広場から西側の商店通りです。白い鹿の看板が目印なので、すぐに分かると思います」
「白い鹿ですね」
「依頼主には、ギルドから人が向かうことを伝えてあります。到着したら、こちらの控えを渡してください」
ツカサは依頼票の控えを受け取った。
「行ってきます」
「お気をつけて」
お読みいただき、ありがとうございます。
初めての倉庫仕事は、まだ続きます。次回、ツカサの働き方が依頼主から評価されます。
本作はカクヨムにも掲載しています。




