第29話「戻ってくる場所」
ハンスたちを見送ったあと、俺たちは村長の家を出た。
「ツカサさん。診療所は私が見てきます」
リディアが言う。
「さっき話してた準備ですね」
「はい。あそこなら、手を貸せる人も分かると思います」
「じゃあ俺は、戻ってない人のことを確認します」
「お願いします」
村長が頷いた。
「先に牧草地から戻った者を呼ぼう。近くにいるはずだ」
◇
しばらくして、先に牧草地から逃げ戻った男がやってきた。
息はもう整っていたが、表情は硬い。
「もう一人について確認したいんです」
「ああ」
村長が、戻っていない男の名前を確認する。
村の人間同士だ。名前だけなら、俺が聞くまでもなく全員が知っていた。
「服装は?」
「茶色い上着だ。腰に小さい斧を下げてる」
「別れる前に怪我は?」
「してなかった」
「最後に見たのは?」
「牧草地の奥。北側の柵の近くだ」
「魔物は、そのとき何匹いました?」
「二匹は見た。もう一匹いたような気もする。でも、逃げるので精いっぱいで……」
「種類は?」
男が首を振った。
「分からない。ちゃんと見る余裕なんかなかった」
「それで大丈夫です。分からないところは、そのままで」
怖い中で逃げてきた人に、正確な観察まで求める方が無理だ。
――ノア。
『はい』
――今の情報を記録して。分からない部分は推測で埋めないで。
『承知しました』
服装。
持ち物。
最後に確認された場所。
別れた時点では怪我なし。
確認できるのはそこまでだ。
「もし別の道から本人が戻ってきたら、すぐ分かりますか?」
「家族か近所の者が気づく」
村長が答える。
「なら、診療所にも伝えておいた方がよさそうですね」
「ああ。こっちは俺たちで知らせておく」
「お願いします」
村長はすぐ近くの村人を呼び止めた。
あとは、村の人たちの方が早い。
俺は聞いた内容だけ覚えて、診療所へ向かった。
◇
診療所へ戻ると、すでに中の様子が変わっていた。
空いている寝台には新しい布が敷かれ、入口のそばには水の入った桶と清潔な布が置かれている。
壁際には担架。
外には荷車が一台寄せられていた。
「早いですね」
「ここの人たちが慣れてるんですよ」
リディアが答えた。
診療所にいた年配の女性がこちらを見る。
「怪我人が出るたびに一から考えてたら間に合わんからね」
「ですよね」
「担架で運べないなら荷車を使う。手が足りなけりゃ近所から呼ぶ。それだけだよ」
「荷車も、ここの人が?」
「ええ」
リディアが笑う。
「私は声をかけるのを手伝ったくらいです」
今ここで必要な準備は、もう村の人たちの中にある。
「戻ってない人のことは分かりました?」
「服装と持ち物、最後にいた場所までは」
「怪我は?」
「別れたときにはなかったそうです」
リディアが小さく頷いた。
そのときだった。
外から声が上がった。
「戻ったぞ!」
診療所にいた全員が、一斉に入口を見る。
「ハンスさんたち?」
「見てきます」
外へ出る。
村の入口から数人の男がこちらへ向かっていた。
先頭はハンス。
その後ろでは、二人の村人が一人の男へ肩を貸している。
茶色い上着。
腰には小さな斧。
「いた……」
自分でも気づかないうちに声が出た。
生きている。
歩くのはつらそうだが、自分の足で進んでいる。
「診療所へ!」
リディアが声を上げる。
「歩けるか!」
年配の女性も外へ出てきた。
「片足をやってる!」
ハンスが返す。
「荷車!」
近くにいた村人がすぐに動いた。
俺も荷車へ駆け寄る。
「こっちです」
道を空け、男を乗せるのを手伝う。
集まりかけた人たちへ村長の声が飛んだ。
「道を空けろ! 話はあとだ!」
それだけで、人の流れが左右へ分かれた。
荷車はそのまま診療所へ入っていった。
◇
診察が始まると、俺たちは外へ出た。
ハンスが入口の壁へ背を預け、水を飲んでいる。
「ハンスさんは怪我ないですか?」
「ああ」
「見つかった人は?」
「逃げる途中で足を捻っただけだ。魔物にやられた傷じゃない」
肩から力が抜けた。
「よかった……」
「運がよかったな」
ハンスが水筒を閉じる。
「魔物は?」
「三匹いた」
「三匹」
「少なくとも二種類だ」
俺は顔を上げた。
「違う種類が一緒に?」
「一緒にいたかどうかまでは分からん。俺たちが着いたとき、近い場所に三匹いたってだけだ」
そうか。
そこも分けて考えた方がいい。
「一匹は小さい。残り二匹は四つ足だった」
「襲ってきたんですか?」
「一匹だけな」
「残りは?」
「こっちを見たが、そのまま走っていった」
「どっちへ?」
ハンスが村の外へ目を向ける。
「森から離れる方だ」
リディアが黙った。
俺も、昼に見た地図を思い出す。
西。
東。
南。
そして、北の牧草地。
今までの目撃場所はばらばらだった。
姿も数も一致しない。
――ノア。
『はい』
――今の情報も追加して。北の牧草地で三匹。少なくとも二種類。一匹だけが襲ってきた。二匹は森から離れる方向へ移動。
『記録しました』
村長がハンスへ聞く。
「追った方がいいか?」
「いや」
返事は早かった。
「正体も数も分からん。追わない方がいい」
「今夜は?」
「誰も村の外へ出すな。森にも牧草地にも近づけない方がいい」
「ああ」
村長が頷く。
外は、少しずつ夕方の色に変わり始めている。
俺はもう一度、森の方を見た。
魔物が増えているのか。
何かに追われているのか。
それとも、まったく別の理由なのか。
まだ分からない。
ただ一つ。
森の中ではなく。
森から離れる方向へ走っていた。
その情報だけが、新しく加わった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、第30話「帰らないという選択」です。
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