第22話「教わった通りに」
宿から杖を取ってギルドへ戻ると、裏手には小ぶりな荷車が止まっていた。
御者台のそばに立っているのは、今朝、街道から戻ってきた商人だ。
「ツカサさんですね。今日は助かります」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「俺はダリオだ。現場には相方のセルジュと、護衛のハンスが残ってる」
四十代くらいだろうか。
日に焼けた顔に疲れは見えるが、怪我はなさそうだ。
カレンもすでに来ていた。
「杖、持ってきましたね」
「ちゃんと取りに戻りました」
「よかったです」
「それだけで褒められると、普段どれだけ信用されてないのか気になるんですけど」
「忘れなかったので、信用は上がりました」
「低いところから始まってません?」
ダリオが不思議そうに俺たちを見る。
「前にも組んだことがあるのか?」
「一度だけです」
カレンが答えた。
「なら話が早いな。行こう。向こうで待たせてる」
馬が歩き出す。
俺とカレンは荷車の横についた。
◇
アルネスの門を出てしばらくすると、建物はほとんど見えなくなった。
街道の左右には畑と草地。
その先には林が続いている。
前回ローデ村へ向かったときと同じように、カレンは歩きながら何度も周囲へ目を向けていた。
俺も少しは気にするようになった。
ただ。
「ツカサさん」
「はい?」
「前見てください」
「見てますよ」
「今、三回くらい林の方見ましたよね」
「カレンさんが見てるから、俺も見た方がいいのかなって」
「転ばない程度でいいですよ」
「そこまで危なっかしく見えます?」
「街道で転んだら、護衛としてちょっと恥ずかしいので」
「俺じゃなくてカレンさんが?」
「一緒に歩いてる人が転んだら、少しは」
「責任重大だな……」
カレンが笑う。
前回よりは、こういう会話にも慣れてきた。
「カレンさん」
「はい」
「この辺って、魔物は普通に出るんですか?」
「出ますよ。ただ、アルネスの近くならそれほど多くありません」
「見つけたら戦う?」
「必要がなければ避けます」
「冒険者でも?」
「冒険者だからです」
「どういう意味です?」
「怪我をしたら仕事ができなくなるでしょう?」
「ああ」
言われてみれば当然だ。
「倒してお金になる魔物もいますけど、だからって見つけたもの全部に向かっていく人は少ないですよ」
「もっと戦うものだと思ってました」
「ツカサさん、冒険者を何だと思ってるんです?」
「……剣を持って魔物と戦う人?」
「間違ってはいませんけど」
カレンが少し呆れたように笑う。
「生きて帰るのも仕事ですよ」
その言葉は、妙に頭に残った。
◇
二時間ほど歩いたところで、ダリオが前を指した。
「あれだ」
街道の端に、一台の荷車が止まっている。
止まっているというより、傾いていた。
片方の車輪が外側へずれ、荷台もわずかに斜めになっている。
そのそばに男が二人。
一人は商人らしい服装。
もう一人は腰に剣を下げていた。
護衛だろう。
「やっと来たか!」
商人の男が手を上げる。
「待たせた!」
ダリオが答えた。
近づくと、荷車の状態がよく分かった。
車輪そのものが壊れたというより、それを支えている部分が駄目になっているらしい。
俺には詳しいことは分からない。
ただ、その場でどうにかできる状態ではなさそうだ。
「こっちが相方のセルジュ。護衛のハンスだ」
「よろしく」
セルジュが短く挨拶する。
ハンスも軽く頭を下げた。
カレンとは顔見知りなのか、二人は簡単に言葉を交わしていた。
「周りは?」
「今のところ何もない」
「分かりました」
護衛同士の会話はそれだけだった。
俺は荷台を見る。
「……多いですね」
「だろ?」
ダリオが笑う。
木箱。
麻袋。
小さな樽。
布で包まれた荷物。
代わりに持ってきた荷車と見比べる。
全部積めるようには見えない。
「全部は無理そうですね」
「ああ。だから、今日持って帰るものを選ばないとな」
セルジュが荷台へ上がる。
「まずこれ。干し肉と干し果物。これは今日中じゃなくてもいい」
「こっちは?」
「塩だ。それは持って帰りたい」
「理由は?」
「明日の朝、店に卸す分が入ってる」
「なるほど」
聞きながら、頭の中で分けていく。
急ぐもの。
残してもいいもの。
壊れやすいもの。
価値が高いもの。
――ノア。今の話を整理して。
『承知しました』
短く頼む。
『聞いた話を、急ぐ品、残せる品、壊れやすい品、高価な品の四つに分けて保持します』
――ありがとう。
「割れ物はあります?」
「この二箱だ」
「残しても?」
「できれば持って帰りたい。中身より、明日の荷車に積み直す方が面倒だ」
「値の張るものは?」
「その布の包みだ。あまり外へ置いておきたくない」
高いから持って帰る、ではない。
明日使う。
壊れやすい。
積み直す手間が大きい。
理由はいくつもある。
「じゃあ、塩と割れ物。それから高価なものを先にして、空いたところへ他の荷物を載せる感じでどうですか?」
セルジュが荷台を見回す。
「そうだな。樽と保存食は残していい」
「重いものは、どれを下に置けばいいです?」
「そこは俺が見る」
「お願いします」
自分で分からないところまで決める必要はない。
そこからは、ダリオとセルジュの指示を聞きながら荷物を積み替えた。
重い箱は下。
割れ物は動かない位置へ。
隙間には袋を入れる。
「それ、もう少し右だ」
「これくらい?」
「そう。そこでいい」
「この上は?」
「軽いものなら載せていい」
何度か聞き直しながら作業を進める。
カレンは積み替えを手伝いつつも、ときどき周囲へ目を向けていた。
ハンスも同じだ。
二人がいるからこそ、俺たちは荷物に集中できる。
しばらくして。
「よし」
ダリオが荷台を見渡す。
「これなら十分だ」
すべては載らなかった。
だが、今日必要なものはほぼ回収できた。
残った荷物は壊れた荷車へまとめ直し、布をかける。
「俺とハンスはここに残る」
セルジュが言った。
「野営の支度はある。ハンスもいるから、今夜はここで大丈夫だ。明日の朝、荷車を直せる奴を連れてきてくれ」
「ああ」
ダリオが答える。
護衛のハンスも残るなら、ひとまず問題はない。
「じゃあ、戻りましょうか」
俺が言うと、カレンがうなずいた。
「はい。暗くなる前に戻りましょう」
◇
帰り道。
来たときとは違い、荷車にはかなりの荷物が載っている。
車輪が地面を踏む音も少し重い。
何度か荷台を振り返る。
「気になります?」
カレンが聞く。
「割れ物が」
「今のところ大丈夫そうですよ」
「帰って開けるまで安心できません」
「ツカサさん、思ったより心配性ですよね」
「仕事の荷物なので」
「自分のだったら?」
「もっと心配します」
「でしょうね」
カレンが笑った。
俺も笑い返す。
そのときだった。
カレンの表情が変わった。
足が止まる。
「止まって」
さっきまでと声が違う。
ダリオもすぐに手綱を引いた。
荷車が止まる。
「何かいる?」
俺が声を落とす。
カレンは答えず、街道の右側を見る。
草の向こう。
林との境目。
何かが動いた。
カレンの手が剣へ伸びる。
「ツカサさん、荷車のそばに」
「はい」
杖を両手で持つ。
心臓が少し速くなる。
草が大きく揺れた。
飛び出してきたのは、犬ほどの大きさの四足の魔物だった。
低い姿勢のまま、こちらへ走ってくる。
「下がって!」
カレンが前へ出る。
剣が抜かれる。
速い。
魔物がカレンへ飛びかかる。
その一撃をかわし、カレンが横から斬りつけた。
俺には、それだけでも目で追うのがやっとだった。
――あれを相手にするのか。
そう思った瞬間。
「ツカサさん!」
カレンの声。
「左!」
振り向く。
もう一体。
俺のいる側の草むらから、いつの間にか出ていた。
カレンは、荷車を挟んだ向こう側。
一体目を相手にしている最中だ。
声は届く。だが、すぐには来られない。
魔物と目が合った。
動けない。
一瞬だけ。
本当に、一瞬だけだったと思う。
でも長く感じた。
魔物が地面を蹴る。
――相手を倒そうとするな。
ヴァルターの声が頭に浮かぶ。
――一度だけ距離を作れ。
身体が動いた。
杖を正面へ突き出す。
「っ!」
飛び込んできた魔物の肩口に、杖の先が当たった。
腕へ強い衝撃が来る。
重い。
押される。
それでも、思っていたより足は踏ん張れた。
受け止めるな。
押し合うな。
距離を作る。
一歩、下がる。
杖を前へ残す。
魔物が地面へ落ち、体勢を立て直そうとする。
俺もさらに下がる。
「カレン!」
「そのまま下がって!」
返事が来た。
追わない。
倒そうとしない。
もう一歩。
魔物が再びこちらへ向く。
怖い。
今度こそ足が止まりそうになる。
魔物とのあいだへ、赤い髪が飛び込んできた。
一閃。
魔物が地面を転がる。
動かなくなった。
「……」
静かになった。
先ほどカレンが相手をしていた一体も、少し離れたところに倒れている。
終わった。
そう分かっても、杖を下ろせない。
「ツカサさん」
「はい」
「もう大丈夫です」
「……はい」
声が少し上ずった。
ゆっくり杖を下ろす。
そこで初めて気づいた。
手が震えていた。
「怪我は?」
「ない……と思います」
「ちゃんと確認してください」
「はい」
腕。
腹。
足。
どこにも傷はない。
杖を握っていた手が少し痛いくらいだ。
「大丈夫です」
カレンが息を吐いた。
「よかった」
その声は、いつもより少し柔らかかった。
「今の……」
俺は倒れた魔物を見る。
「教わった通りには、できましたかね」
カレンも魔物を見てから、俺へ視線を戻した。
「はい」
少しだけ笑う。
「ちゃんと下がれました」
訓練場では、何度もやった。
杖を出す。
一度だけ距離を作る。
下がる。
たったそれだけ。
でも。
本当に自分へ向かってくる相手を前にすると、全部が違った。
「……怖かった」
思わず口にする。
カレンは笑わなかった。
「はい」
ただ、静かにうなずいた。
「それでいいと思います」
教わったことが、本当に自分を守るためのものだった。
今になって、ようやくそれが分かった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、第23話「もう少しだけ」です。
本作はカクヨムにも掲載しています。




