第17話 何に使いますか?
肩の痛みは、昨日より少しましになっていた。
なくなったわけではない。
腕を上げればまだ張るし、肩を回せば、身体の奥から鈍い抗議が返ってくる。
だから、荷袋に付けた肩当ても、今日はまだ試すだけにしておくことにした。
中身は軽い。
効果を確かめるには物足りないが、わざわざ重くする気にもならなかった。
改善したものは、すぐに試したくなる。
書店で売り場を変えたときもそうだった。棚を動かした直後は、数字がどう変わるか気になって仕方がない。
ただ、自分の肩まで実験台にする必要はない。
そこは三十八年分、大人になったと思いたい。
◇
冒険者ギルドへ入ると、エルナはすぐこちらに気づいた。
「おはようございます、ツカサさん」
「おはようございます」
「肩、大丈夫ですか?」
「昨日よりは」
「では、重い荷物は禁止ですね」
「まだ何も言ってませんよ」
「肩当てを付けて、荷運びの依頼を見てますから」
見られていた。
掲示板には、荷運び、配達、掃除、積み込みと、すでに経験した仕事がいくつか並んでいる。
最初に見たときは、どれも知らない仕事に見えた。
今は違う。
紙に書かれた内容から、大体の作業を想像できるものが増えている。
少しだけ、この街で働いた人間になったらしい。
「今日は、これなんてどうですか」
エルナが一枚の依頼票を示した。
依頼主は《白鹿商会》。
「また倉庫ですか?」
「いえ。中央広場に出す臨時の売り場です。商品の補充と、お客さんへの案内ですね」
「接客ですか」
「お金を受け取ったり、値段を決めたりするのは商会の方がします。ツカサさんは補助です」
少し意外だった。
異世界へ来てから、荷物を運び、数を数え、配達もした。
だが、客を相手にする仕事はまだしていない。
「受けます」
「即決ですね」
「売る仕事なら、前の仕事で十八年やってましたから」
「それなら得意ですね」
「どうでしょう」
俺は依頼票を見ながら答えた。
「本なら、ですけど」
◇
中央広場には、普段からさまざまな露店が並んでいる。
その一角に、見覚えのある白い鹿の印があった。
「冒険者ギルドから来ました」
「おう。来たな」
売り台の奥から出てきたのはオルドだった。
「倉庫のときの兄ちゃんだろ。ツカサだったな」
「覚えてたんですね」
「仕事した奴の名前くらい覚える。全部じゃないがな」
そこは正直らしい。
オルドは俺の肩を見た。
「なんだ、それ」
「肩当てです。ローデ村への配達で肩をやったので」
「ああ。あの道を荷物背負って行ったのか」
「十八キロほど」
「そりゃ痛める」
オルドは少し笑った。
「今日は箱を運びに来たわけじゃないから安心しろ。客の相手だ」
「そっちなら経験があります」
「前の仕事で、だったな」
「はい。ただ、ここの商品はほとんど分かりません」
「それでいい」
オルドは売り場へ視線を向けた。
「分からんのに知った顔で説明する奴より、分からんと言える奴の方が使いやすい。客は金を払うんだ。間違ったことを言われたら困る」
並んでいるのは、布、小さな油壺、乾物、香草の束、それにいくつか用途の分からない品。
「基本は補充と案内。値段の交渉と金の受け取りは俺たちがやる」
「商品の説明を聞かれたら?」
「知ってるなら答えろ。知らんなら、何を知りたいのか聞いてから俺を呼べ」
「何を知りたいのか、ですか」
「客だって、自分が欲しい物の名前を知ってるとは限らん」
それは、よく知っている。
書店でも、
『昨日テレビで紹介されていた本』
『表紙が青いやつ』
『たぶん小説。でも作者は分からない』
そんな問い合わせはいくらでもあった。
「……確かに」
「経験ある顔だな」
「あります」
「なら、やってみろ。箱より客の方がよく動くぞ」
「箱は質問してきませんしね」
「そういうことだ」
◇
最初の客は、年配の女性だった。
「ねえ、煮込みに入れる香りの強いやつ、どこにある?」
いきなり難問だった。
「香りの強いやつ、ですか」
「そう。葉っぱが細くてね。近所の人にもらった煮込みに入ってたんだけど、名前を忘れちゃった」
棚には香草らしい束が何種類も並んでいる。
当然、俺には区別がつかない。
「料理の最初に入れますか? それとも最後の方ですか?」
「最後の方だったと思うよ」
「乾かしたものですか?」
「そうそう。生じゃなかった」
「香りは辛い感じですか。それとも甘い感じですか?」
女性は少し考えた。
「辛くはないね。肉の臭いが消えるような……」
そこまで聞いて、俺は降参した。
「すみません。候補を絞るところまではできそうなんですが、私では間違えるかもしれません。詳しい者を呼びますね」
「いいよいいよ。私も名前を覚えてないんだから」
オルドを呼ぶ。
聞いた内容を伝えると、オルドは棚から二つの束を取り出した。
「たぶん、このどっちかだ。煮込みに入れるならこっちの方が多いが、匂いを見てみるか?」
「ああ、これだよ!」
女性はすぐに片方を指した。
「助かったよ。兄ちゃん、名前くらい覚えときなよ」
「今日覚えます」
「じゃあ次は頼むよ」
笑いながら言われた。
悪くない。
◇
二人目は、俺より少し年上くらいの男だった。
油壺を二つ手に持って、難しい顔をしている。
「兄ちゃん。この二つ、何が違う?」
また来た。
「すみません。まず、何に使う予定ですか?」
「何にって、油だよ」
「料理ですか。灯りですか。それとも道具の手入れでしょうか」
「ああ、灯りだ。家のランプに使う」
「でしたら、少し確認します」
オルドへ聞くと、今度は一緒に売り台まで来た。
「灯りなら、こっちで十分だ」
オルドは安い方を指した。
客が眉を上げる。
「高い方じゃなくていいのか?」
「高い方は匂いが少ない。狭い部屋で長く灯すならそっちもいいが、普通に使うならこっちで困らん」
「商人が安い方をすすめるのか」
「必要ない物を高く売って、一回多く儲けても仕方ないだろ。次に来なくなる」
客は笑った。
「白鹿は相変わらずだな」
「嫌なら高い方も売るぞ」
「いや、安い方でいい」
やり取りを横で聞きながら、少し感心した。
高い商品を売ることより、次も来てもらう方を見る。
扱っている物は違っても、商売の考え方には知っている匂いがあった。
「今の、覚えておけよ」
客が去ったあと、オルドが言った。
「油の違いですか?」
「それもだが、先に使い道を聞いたところだ」
「前の仕事でも、それはよくやってました」
「何が欲しいかより、何に使うかを聞いた方が早いことがある」
「ありますね」
「なら、商品を知らんからって、何もできないわけじゃないだろ」
なるほど。
この人は、ちゃんと喋る。
必要なときに、必要なだけ。
◇
「油はどこだい?」
「奥の右側です」
次の客を案内する。
◇
「すみません、灯り用の油は?」
「奥です。あの布の向こうですね」
◇
「油、ある?」
「あります。こちらへどうぞ」
また油だ。
三回目で、さすがに気になった。
売り場の入口から見る。
油壺そのものは並んでいる。
だが、前に掛けられた布が少し張り出していて、札が隠れていた。
商品がないのではない。
見えていない。
書店でも何度もあった。
「すみません。新刊ってどこですか」
目の前に新刊台があっても聞かれることがある。
客が悪いわけではない。
見つからない売り場は、置いていないのと同じだ。
「オルドさん」
「今度は何だ?」
「油の札、少し動かしてもいいですか」
「商品じゃなくて札を?」
「はい。今日、油の場所を何度も聞かれてます。入口から見ると、布で札が隠れてるんです」
オルドは売り場の外へ出た。
少し離れ、俺が見ていた位置から棚を見る。
「……確かに見えんな」
「札だけ前へ出せば、場所は分かると思います」
「やってみろ」
俺は札を外し、少し手前へ移した。
布に隠れないよう、向きも少し変える。
「ただし」
オルドが言った。
「売り場全部を勝手に動かすなよ」
「もちろんです」
「常連は今の並びを覚えてる。分かりやすくしたつもりで全部変えると、今度はいつもの客が迷う」
「ああ……それはありますね」
書店でも、よかれと思って棚を大きく動かした翌日に、
『いつもの場所にない』
と言われることがあった。
「変えるなら、困ってるところだけか」
「そういうことだ」
やっぱり、現場には現場の経験がある。
◇
しばらくして、一人の客が入口で立ち止まった。
売り場を見回す。
札に気づく。
そのまま油壺へ向かった。
聞かれなかった。
「……よし」
「聞こえてるぞ」
隣でオルドが笑った。
「一人、自分で見つけました」
「一人でも減ったなら意味はあるな」
「こういうのは、一人ずつ減らすものなので」
「そうだな。何度も同じことを聞かれるなら、売り場にも原因がある」
オルドは売り場を眺めた。
「売れてないと思って場所を変えることはあるが、見つかってないだけってこともあるか」
「あります。前の店でもよくありました」
「なら、その目は使えそうだ」
少し間を置いて、オルドが続ける。
「ただし、ここは本屋じゃない。売り物も客も違う。前にうまくいったからって、同じやり方が通るとは思うなよ」
「はい」
「まず見て、それから聞け」
「覚えておきます」
褒められた直後に釘を刺された。
でも、そのくらいでちょうどいい。
◇
午後には、朝より商品を覚えていた。
香草の場所。
油の違い。
布の用途。
それでも知らないものの方が多い。
「これは子どもでも使えるの?」
女性客が小さな道具を持ち上げた。
見たことはある。
使い方は知らない。
「何に使う予定ですか?」
「庭仕事。息子に手伝わせようと思って」
俺は道具を見る。
そして、すぐにオルドを見る。
「確認します」
「またかい?」
女性が笑った。
「はい。今日、かなり確認してます」
「正直だねえ」
「間違えるよりはいいので」
「それはそうだ」
少し離れたところで、オルドが笑っていた。
たぶん。
◇
仕事を終えて、ギルドへ戻った。
「お疲れさまでした」
エルナが依頼票を確認する。
「売り場のお仕事はどうでした?」
「知らないことばかりでした」
「大変でしたか?」
「思っていたより楽しかったです」
これは、自分でも少し意外だった。
「十八年接客をしていたので、もっとできると思ってたんですけど」
「違いました?」
「商品が違えば、知らないことだらけでした」
「それはそうですよね」
「はい。ただ」
昼間のやり取りを思い返す。
名前の分からない香草を探していた女性。
二種類の油で迷っていた男。
何度も聞かれた油の場所。
「商品を知らなくても、何に使うのか聞くことはできました。分からなければ、分かる人を呼べます」
書店でもそうだった。
全部の本を読んでいる店員なんていない。
児童書。
医学書。
資格書。
コミック。
専門外の質問なんて、毎日のようにあった。
必要なのは、全部知っていることじゃない。
客が何を探しているのか、一緒に探すことだった。
「十八年働いても、全部知っていたわけじゃなかったんですね」
エルナが言う。
「全然です」
俺は笑った。
「むしろ、知らないものが多いことだけは、よく知ってました」
異世界へ来て、知らないことだらけになった。
それが怖くないわけじゃない。
でも。
知らないことがある状態そのものは、案外、初めてではないのかもしれない。
受付を離れ、掲示板の前に立つ。
できる仕事を選ぶ。
それは今でも大事だ。
無理をしない。
分からないことは聞く。
それも変わらない。
ただ、今日みたいに。
知らない仕事の中にも、自分が使えるものはある。
掲示板には、まだ経験したことのない仕事がいくつも並んでいた。
次は一つくらい。
知らない仕事を選んでみてもいいかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございます。
商品を知らなくても、「何に使うのか」を聞くことはできる。
ツカサが十八年の接客経験を、この世界でも少しずつ使い始めました。
本作はカクヨムにも掲載しています。




