第12話 街道の見方
本日より、更新を再開します。
第一巻全体の見直しにあわせて、これまでの公開分も最新版へ更新しました。
第12話から、物語の続きをお届けしていきます。
門を出て10歩ほどで、足裏の感触が変わった。
石畳が途切れ、踏み固められた土と細かい砂利になる。硬さはそう違わないのに、返ってくる音がまるで別だった。街の中では靴底が鳴った。ここでは、じゃり、と小さく沈む。
「思っていたより、広い道だな」
「街道ですから」
先を歩くカレンが、振り返らずに答えた。「荷馬車が2台、互いに端へ寄ればすれ違えます。ローデ村へ向かう途中まで、この街道を使います」
見れば、乾いた土の上に車輪の跡が2本、平行に伸びている。深いところと浅いところがあった。雨の日にできた跡が、そのまま乾いて残ったのだろう。道の脇には浅い溝が掘られていて、ところどころに枯れ草が溜まっている。
雨水を逃がすためか。誰かが定期的に手を入れている道だ。放っておけば、こうはならない。
左右には畑と牧草地が広がっていた。腰をかがめて草を刈る人影。杭につながれた牛。荷を積んだ馬車。街を出たと言っても、まだ人の匂いが濃い。すれ違った老人が軽く手を上げ、カレンが会釈を返した。俺も一拍遅れて頭を下げる。
背負い枠が肩に食い込んだ。封をされた箱が二つ。その隙間に、樹脂と粉を入れた布袋が詰めてある。重さそのものより、箱の角が当たるのが厄介だった。
「……重い」
「はい」
「否定しないんだな」
「重いですから」カレンは真面目な顔のまま言った。「肩紐の位置を、指2本ぶんだけ上げてください。腰で背負うと、後半で足に来ます」
言われたとおりにすると、確かに楽になった。18年働いても、荷物の背負い方は覚えなかったらしい。
『ローデ村へ向かう途中まで、この街道を使用する。カレンの説明として記録しました』
ノアの声は相変わらず平坦だった。記録、と言いながら、材料は俺が見聞きしたものしかない。それ以上のことは何も知らないまま、整理だけはきっちりやる。
「ツカサさん」
「ん」
「今のうちに、少し話しておきます」カレンは歩調を落とさずに言った。「この道は安全ですが、覚えてもらいたいことがあるので」
「聞く」
「歩くとき、足元ばかり見ないでください。前と、道の端と、その向こう。この三つを順番に見ます。ずっと同じところを見ていると、変化に気づけません」
俺は試しにやってみた。前を見て、道の端を見て、藪の奥を見る。三度目でもう首が疲れた。
「疲れるな、これ」
「慣れます。……最初はみんなそう言います」
1時間ほど歩くと、道が二又に分かれていた。人の腰ほどの高さの石柱が立っていて、彫られた文字が二つ。片方は聞いたことのない街の名前で、もう片方が「ローデ」だった。
右へ折れると、道幅がひとまわり細くなった。
変化は、はっきりとした線を引いたようには訪れなかった。まずすれ違う人がいなくなった。次に、畑と牧草地の区画がまばらになった。代わりに、腰から胸ほどの高さの藪が道の両側に増えてくる。しばらく行くと、道の左側が森と接した。
木の下は昼でも暗い。奥がどうなっているのか、数歩ぶんも見通せない。
カレンの歩き方が変わったのは、そのあたりからだった。歩幅が短くなり、顔の向きが左へ寄る回数が増える。喋らなくなった。
そして、足を止めた。
俺も止まる。何が起きたのか分からず、カレンの視線をたどった。森。藪。土。どれもさっきまでと同じに見える。
「……何かいるのか」
「静かに」
言われて口を閉じる。そのとき初めて、俺は気づいた。
鳥が鳴いていない。
さっきまでは、名前も知らない鳥が、ずっとどこかで鳴いていた。それが途切れている。虫の音もしない。風が葉を鳴らす音だけが残っていた。
1分ほどして、藪の奥で、がさ、と重いものが動く音がした。風とは違う方向だった。それきり、何の音もしなくなった。
さらに待つ。やがて、遠くで一羽が鳴いた。二羽目が続く。
「行きましょう。ただし、道の右端を歩いてください。止まらず、喋らずに」
言われたとおりにした。森と接した区間を抜けるまで、たっぷり10分かかった。
視界がわずかに開けたところで、カレンはようやく息を吐いた。
「……今のは何だったんだ」
「分かりません」
「分からない?」
「はい」カレンはあっさり頷いた。「鳥と虫が止まったので、何かが近くにいると判断しました。音の感じから、小さなものではなさそうだとは思います。ですが、それだけです」
彼女はしゃがんで、道の端の土を指さした。
「見てください。ここ、柔らかいでしょう。跡がついています」
言われて覗き込むと、確かに、丸いくぼみのようなものがあった。言われなければ、水たまりが乾いた跡だと思って通り過ぎている。
「獣の足跡ですか」
「たぶん。ただ、縁が崩れているので、いつのものかは分かりません。……ツカサさん、覚えておいてほしいのは、こういう跡は一つだけで判断しないということです。足跡、倒れた草、折れた枝、食べられた葉、木の傷。二つ三つ揃って、初めて『何かが通ったかもしれない』と言えます」
「一つだと駄目なのか」
「一つだと、思い込みます」カレンは眼鏡の位置を直した。「それと、先に言っておきます。私に分かるのは、何かが近くを通ったかもしれない、というところまでです。種類や数、いつ通ったかまで知りたければ、狩人に見てもらわないと分かりません。私は、以前に同行した狩人から基礎を教わっただけですから」
その言い方に、少しだけ肩の力が抜けた。分からないことを分からないと言う人間は、信用できる。
「じゃあ、見つけたらどうする」
「近づきません。報告します」カレンは立ち上がった。「今日の依頼は、荷物をローデ村へ届けることです。倒すことではありません」
そこから先は、俺も歩き方を変えてみた。前、道の端、その向こう。三つを順番に。首は疲れたが、さっきよりは続いた。
村道の後半、右側の藪が途切れる手前で、俺は足を止めた。
「カレンさん」
「はい」
「あれ、草の倒れ方が変じゃないか」
指さした先で、道端の草が一方向へ寝ていた。風で倒れているところは、あちこち向きがばらばらだ。だがそこだけ、幅にして人の肩ほど、まっすぐ森の方へ向かって倒れている。
「……それと、さっきから鳥の声が減ってる気がする。気のせいかもしれないが」
カレンがそちらを見て、少し黙った。
「よく気づきましたね」
「合ってるのか」
「合っているかは分かりません」カレンは正直に言った。「何かが草を踏んで森へ入った跡かもしれませんし、荷車の脇に積んだ荷が引きずられただけかもしれません。ただ――報告としては正しいです。断定せず、見たままを伝える。それでいいんです」
彼女は道の反対側へ寄るよう手で示し、歩調を上げた。
「進みます。日が傾く前に着きたいので」
森が退き、視界が一気に開けたのは、それから20分ほど後だった。
低い丘のふもとに、畑と牧草地が段になって広がっている。柵の中で山羊が数頭、こちらを見ていた。家畜小屋の屋根に、干し草が積んである。その向こうに、藁と板の屋根が寄り集まった集落が見えた。
村の入口に近い柵沿いには、石の台がいくつか据えられていた。上が黒く煤けている。何かを焚いた跡だった。
「あれは」
「魔物避けの香を焚く台です。夜のあいだ、家畜のいる側に焚きます」
俺は背中の荷を意識した。完成した香が、いちばん上の箱に入っている。ここまでの道で、ただ重いだけだった荷が、急に別のものに見えてくる。
これが、あの山羊たちを守るために使われる。
村の入口で、荷を下ろした。汗が引くと、風が思ったより冷たかった。
「ローデ村の村長さんへお届けに参りました。アルネス冒険者ギルドの依頼です」
カレンが声をかけると、しばらくして小屋の陰から女性が出てきた。髪を後ろでまとめ、袖をたくし上げている。手には板と、細い炭の棒を持っていた。
「ああ、来た来た。お待ちしていました」
明るい声だった。彼女は板を小脇に抱えて小走りに近づいてくる。
「すみません、父は今、留守にしていて」
「村長さんが、ですか」
「近くの村との集まりがあって、そちらへ出ているんです。日暮れまでには戻ります」
俺は頭の中で、ギルドで教わった手順を並べ直した。受取人が不在の場合。勝手に置いていかない。相手を確認する。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか」
「ハンナです」
「村長さんとのご関係は」
「娘です」
「荷物の受け取りについて、村長さんから任されていますか」
ハンナは一瞬だけ目を丸くして、それから笑った。
「任されています。村の共同物資は、だいたいわたしが帳面をつけているので。……ちゃんと聞くんですね、あなた」
「置いていって、後で誰も受け取っていないと言われたら困りますから」
「困りますね」
彼女は持っていた板をこちらへ向けた。細かい文字と数字が並んでいる。帳面の代わりらしい。
「じゃあ、確認しましょう。箱の封は、二つとも切れていませんね。こちらが完成した香。もう一方が、乳鉢とふるいと木型、それに密封容器の部品」
「そちらの箱には、使用手順と、街道周辺の目撃情報をまとめた書類も入っています」
「書類は父に渡します。……袋は、樹脂と粉と、交換用の芯材ですね。見せてもらいますね。はい、大丈夫。数も合っています」
ハンナは炭の棒で板に印をつけ、受領の紙にすらすらと署名した。手が早い。数を数えるとき、指を使わずに目だけで追っている。日常的にやっている人間の動きだった。
「空になった容器は、明日の朝までにまとめておきますね。持ち帰る決まりでしょう」
「助かります」
「ご丁寧にありがとうございます。……ところで、アルネスから来られたんですよね」
「はい」
「リディアは元気にしていますか」
俺は、署名された紙を受け取ろうとした手を止めた。
「……ご存じなんですか」
「友達なんです」ハンナは少し笑った。「あの子、誰にでも世話を焼くでしょう。自分のことは、あまり言わないくせに」
思い当たることがありすぎて、返事に困った。
「……否定はしません」
「でしょう」
そのとき、柵の向こうで、かん、と木を打つ音が響いた。見ると、若い男が石の台のそばにしゃがみ込み、脚に当て木をあてがって槌を振っている。
「ヨナス! 荷が来たよ!」
男が顔を上げ、槌を持った手を軽く上げた。それだけだった。すぐに手元へ戻る。
「夫です。台の脚が緩んでいたので、直しているところで」
「ああいうものも、村で直すんですね」
「あの人がだいたい直します。柵も、荷車も」
カレンが、荷を下ろした肩を回しながら小さく息を吐いた。俺も同じようにする。日が傾き始めていた。
「父が戻ったら、改めてお礼を言わせます。……それと、ひとつ気になっていることがあって」
「なんでしょう」
「森の近くのことで、少し話が出ているんです」ハンナは村道の方を、つまり俺たちが歩いてきた方角を見た。「このところ、何か見たっていう人が続いていて。いつもと違う跡があった、っていう話も」
「何かというのは」
「それが分からないんです」ハンナは困ったように笑った。「見たという人によって、言うことが違うので。夕方に一度だけ、とか、遠くで動いた気がした、とか。それだけなんですよ」
「ギルドには、伝えているんですか」
「まだです。家畜が減ったわけでも、誰かが怪我をしたわけでもないので。……話がもう少しはっきりしたら、父が届けを出すと思います」
俺は、道端で一方向に倒れていた草を思い出した。
隣を見ると、カレンもこちらを見ていた。




