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婚約破棄された悪役令嬢ですが、処刑台の上で敵国皇帝に求婚されました 〜私を捨てた王国は滅びかけていますが、もう知りません〜  作者: 碓氷さゆ


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第53話 私が選ぶ仕事

 皇立植物園を訪れる朝、リリアーナは窓辺に立ち、空模様を確かめていた。


 薄い雲はあるが、雨の気配はない。星花の中庭には柔らかな日差しが落ち、朝露をまとった花々が静かに揺れている。


 今日は、皇都へ来てから初めて皇城の外へ出る日だった。

 以前、宿場で休憩を取った時とは違う。皇都の民が暮らす街を通り、自分が行きたいと望んだ場所へ向かう。


 楽しみだった。

 それと同じくらい、緊張もしている。


「お嬢様、外套はこちらでよろしいですか」

「ええ。今日は少し風があるものね」


 クララから受け取ったのは、淡い灰青色の外套だった。国境砦を出る朝にも着ていたもので、白銀の糸で小さな星が刺繍されている。


 ドレスは動きやすい生成り色を選んだ。裾は華美に広がらず、温室や試験区画を歩くことを考えた仕立てになっている。


 鏡の前で装いを確認した後、リリアーナは靴へ視線を落とした。


「庭を歩くなら、こちらでよいですね」

「はい。少し土がついても問題のないものをご用意しております」

「それは助かります」


 王国にいた頃は、庭園へ出る時でさえ、衣服を汚さないことを優先していた。土へ触れるのは庭師の仕事。王太子妃候補は、整えられた花を眺めて微笑めばよい。


 けれど今日は、自分の目で土を見たい。匂いを確かめ、必要なら手袋越しに触れてみたいと思っている。


「楽しそうですね」

 クララが言った。

「顔に出ている?」

「とても」

「少し恥ずかしいわ」

「隠す必要はございません」

「そうね」


 リリアーナは、鏡の中の自分へ小さく笑いかけた。


 扉が叩かれたのは、支度を終えた直後だった。


「カイゼルだ」


 取り次ぎを待たずに名乗る声が聞こえ、リリアーナの頬が自然に緩む。


 銀色の鍵を使い、自分で扉を開いた。


「おはようございます」

「ああ」


 カイゼルは黒い上衣に、外出用の長い外套をまとっていた。皇帝の紋章は控えめだが、廊下には護衛の騎士が数名控えている。


「公務はよろしいのですか」

「午後へ回した」

「私のために?」

「植物園へ同行すると約束した」

「……はい」


 約束だから来た。


 その言葉を、もう何度も聞いている。

 それでも、聞くたびに嬉しかった。


「体調は」

「問題ありません。オルガにも確認していただきました」

「疲れたら戻る」

「はい。無理はしません」

「ああ」


 カイゼルの視線が、リリアーナの足元へ落ちる。


「歩きやすそうだな」

「今日は、土を見るつもりですから」

「土を?」

「エレナ博士とお話しした区画を、実際に見せていただけるそうです」

「なるほど」


 その時、廊下の奥からラウルが歩いてきた。


「陛下、馬車の準備が整いました」

「ああ」

「本日の植物園は、一部区画だけ一般入場を止めております。正門と通常の温室は、民間の方々も利用されます」

「それでいい」

「リリアーナ様のお姿を見ようと、少し人が集まっているようですが」

「警備を増やしすぎるな」

「承知しております」


 リリアーナの身体が、僅かに強張る。


 それに気づいたカイゼルが、彼女を見る。


「別の入口も使える」

「いいえ」


 リリアーナは一度息を整えた。


「正門から入ります」

「無理をする必要はない」

「無理ではありません。少し怖いだけです」

「ああ」

「でも、隠れて入るより、今日は普通に植物園へ行きたいです」

「そうしろ」


 カイゼルは止めなかった。

 ただ、馬車へ向かう間、いつもより少しだけ近い場所を歩いていた。


 皇立植物園は、皇城から馬車で半刻ほどの場所にあった。


 皇都の中心部を抜ける間、リリアーナは窓の外を眺める。市場には朝から多くの人が集まり、店先には野菜や果物、布地、陶器が並んでいた。パンを焼く匂いと香辛料の香りが、開いた窓から僅かに入り込んでくる。


 皇帝の馬車だと気づいた者たちは道を空け、頭を下げた。その中には、リリアーナの姿を探す者もいる。


「あの方が、リリアーナ様?」

「皇国へ残られるそうよ」

「王国の聖女ではなかったの?」

「聖女ではなく、星霜の加護を持つ方だって」


 聞こえてくる言葉に、リリアーナは膝の上で指を重ねた。


 悪意は感じない。

 けれど、誰もが自分を星霜の加護と結びつけている。


「やはり、私は加護で見られるのですね」

「ああ」

「仕方がないことでしょうか」

「今はな」

「今は?」

「君が皇都で別の姿を見せれば、呼ばれ方も変わる」

「別の姿」


 王国で悪役令嬢と呼ばれたように、皇国では星霜の乙女と呼ばれるのだろうか。

 どちらも、彼女の一部分だけを見た言葉だ。


「私は、どのように見られたいのでしょう」

「決めなくてもいい」

「そうですね」

「ただし、見せたくないものは見せる必要がない」

「はい」


 リリアーナは窓の外へ視線を戻した。


 今日、自分は加護を使うために植物園へ向かうのではない。

 土を見て、植物を見て、エレナ博士と話すために行く。


 そのことを、自分だけは忘れないようにしようと思った。


 植物園の正門は、黒い鉄柵と蔓草を組み合わせた美しい造りになっていた。門の上には、開いた本から一本の若芽が伸びる紋章が掲げられている。


 馬車が到着すると、周囲にいた人々から小さなどよめきが起こった。


 カイゼルが先に降り、続いてリリアーナへ手を差し出す。

 彼女はその手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。


 視線が集まる。


 王国の舞踏会で感じたものとは違う。敵意や嘲笑ではなく、好奇心と少しの警戒。それから、噂の人物を初めて見た驚きだった。


 リリアーナは、無理に微笑まなかった。

 ただ、自分がしたいと思う程度に頭を下げた。


「おはようございます」


 近くにいた人々が、戸惑いながらも礼を返す。


「お、おはようございます」

「ようこそ、皇立植物園へ」


 どこからか上がった声に続き、何人かが同じ言葉を口にした。


 歓迎されることに、まだ慣れていない。

 それでも、逃げずに聞くことはできた。


「リリアーナ様」


 正門の奥から、エレナが早足で近づいてきた。


 今日は深緑の上衣の上に、作業用らしい茶色の前掛けをつけている。片手には帳面、もう片方には小さな布袋を持っていた。


「お待ちしておりました」

「本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。陛下まで本当にいらっしゃるとは」

「約束した」

「陛下のご予定を半日奪ったと、農務院から苦情が来そうです」

「来させればいい」

「陛下らしいお答えです」


 エレナは肩をすくめ、リリアーナへ視線を戻した。


「最初に一般温室をご覧になりますか。それとも、すぐに薬草試験区画へ?」

「試験区画を見たいです」

「やはり、そうおっしゃると思いました」

「一般温室も、後で見たいですが」

「もちろんです。ただし、午前中にすべて回ろうとはなさらないように」

「オルガにも言われています」

「では、私からは二度目の注意ということで」


 エレナに案内され、一行は植物園の奥へ進んだ。


 園内には、大小いくつもの温室が並んでいる。高い硝子屋根の向こうには、皇国では見慣れない大きな葉や鮮やかな花が見えた。


 道の脇には植物の名を記した札が立ち、訪れた子どもたちが教師らしい女性から説明を受けている。


 その一団の前を通った時、幼い少女がリリアーナを見上げた。


「お姉さまは、花を咲かせる人?」


 付き添いの女性が慌てて少女の肩へ手を置く。


「申し訳ございません」

「いいえ」


 リリアーナは足を止めた。


 どう答えればよいのか、少し考える。

 星霜の加護で花を咲かせることはできる。けれど、それだけではないと伝えたかった。


「今日は、花がどうして育つのかを勉強しに来ました」

「お姉さまも勉強するの?」

「ええ。知らないことが、たくさんありますから」

「大人なのに?」

「大人でも、知らないことはあります」


 少女は驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。


「わたしも勉強する」

「一緒ですね」


 リリアーナが答えると、少女は大きく頷いた。


 一行が再び歩き出した後、カイゼルが小さく言う。


「花を咲かせなかったな」

「はい」

「求められたと思わなかったか」

「少しだけ。でも、今日は勉強に来たと伝えたかったのです」

「ああ」


 加護を見せなくても、少女は笑ってくれた。

 そのことが、リリアーナには少し嬉しかった。


 薬草試験区画は、植物園の最も奥にあった。


 低い柵で区切られた畑が東西に並び、それぞれの区画へ異なる土や肥料が使われている。研究員たちが土を採取し、植物の高さや葉の色を記録していた。


 エレナは、南側の区画へリリアーナを案内する。


「こちらが、記録にあった薬効低下の起きた場所です」

「思っていたより、葉の色が薄いですね」

「ええ。育ってはいますが、根から吸い上げる養分が足りていない可能性があります」


 リリアーナは柵の外から畑を見た。


 同じ薬草が植えられている北側区画と比べると、確かに茎が細い。葉の数も僅かに少なかった。


「中へ入ってもよいですか」

「足元が柔らかいので、お気をつけください」

「はい」


 エレナから作業用の手袋を受け取り、リリアーナは区画へ足を踏み入れた。


 カイゼルも後ろから入ろうとする。


「陛下は、そこにいらしてください」

「なぜだ」

「靴が汚れます」

「構わない」

「でも」

「君だけ泥の中へ入らせるつもりはない」


 カイゼルは、当然のように区画へ入った。


 エレナが小さく笑う。


「皇帝陛下が試験区画へ入られたのは、開園式以来ですね」

「余計な記録は残すな」

「歴史的な出来事ですので」

「エレナ」

「冗談です」


 リリアーナは二人のやり取りに笑いながら、土の前へしゃがんだ。


 手袋越しに表面を少し掘る。

 乾いて見えた土は、内側に湿気を含んでいた。


 指先で軽く崩し、匂いを確かめる。


「少し酸っぱいです」

「分かりますか」

「微かにですが」


 エレナも隣へしゃがみ、別の場所の土を取った。


「確かに。腐敗臭ほどではありませんが、正常な区画とは違う」

「根を傷つけない場所で、もう少し深い土も見られますか」

「こちらに採取用の穴があります」


 研究員が、細長い器具を持ってくる。


 土を層ごとに採取すると、表面より深い部分に黒ずんだ箇所があった。


「これは?」

 リリアーナが尋ねる。

「以前使用していた肥料の残りかもしれません」

 研究員が答えた。

「記録には、何を使ったと?」

「二年前に、南部から取り寄せた腐葉土を混ぜています」

「翌年も?」

「同じものを一度だけ」

「その腐葉土を使ったほかの区画はありますか」


 エレナが研究員を見る。


「果樹試験区画で使用されています」

「状態は?」

「一部で根の生育が遅れておりますが、気候によるものと判断していました」


 エレナの表情が変わった。


「腐葉土の保管記録と、使用したすべての区画を調べて」

「はい」


 研究員が走っていく。


 リリアーナは、採取された土を見つめた。


「まだ、腐葉土が原因と決まったわけではありません」

「ええ」

「輸送中の保管状態かもしれませんし、この区画との相性だけかもしれません」

「その通りです」


 エレナは頷いた。


「結論を急がず、使用区画と未使用区画を比較します」

「はい」


 リリアーナは、そこで手を止めた。


 もっと見たい。

 記録を確認したい。

 果樹区画へも行きたい。


 だが、膝へ僅かな重さを感じている。集中していたため気づかなかったが、思っていた以上に身体へ力が入っていたようだ。


「疲れたか」

 カイゼルが尋ねる。

「少しだけ」

「休め」

「でも、今から果樹区画を」

「今日は行かない」


 迷いのない声だった。


 以前なら、もう少しだけと食い下がったかもしれない。

 けれど、続きは逃げない。


 リリアーナは、ゆっくりと立ち上がった。


「分かりました。今日はここまでにします」

「よろしい判断です」

 エレナが言う。

「続きは私たちが調べます。結果は報告いたします」

「私がいなくても?」

「もちろんです。ここは私たちの仕事場ですから」


 その言葉に、リリアーナは安心した。


 自分が見つけたかもしれない問題でも、最後まで一人で背負う必要はない。研究員たちへ任せ、結果を待ってよいのだ。


 区画を出ると、エレナが近くの休憩所へ案内した。


 木陰に置かれた卓には、冷ました香草茶と小さな焼き菓子が用意されている。リリアーナは長椅子へ座り、手袋を外した。


「体調はいかがですか」

 オルガが尋ねる。

「少し足が重いです。でも、めまいはありません」

「では、予定通りここで休息を。一般温室は次回にいたしましょう」

「はい」


 素直に答える。


 残念ではある。

 けれど、次に来る理由が残ったと思えばよい。


「リリアーナ様」


 エレナが、向かい側へ座った。


「本日のご意見、ありがとうございました」

「私は、気づいたことをお伝えしただけです」

「それが研究には重要なのです」

「でも、責任は」

「私たちにあります」


 前回と同じ言葉を、エレナははっきりと繰り返した。


「リリアーナ様へお願いしたいことがあるとすれば、調査結果が出た時に、また一緒に記録を見ていただけないかということです」

「私に?」

「はい。ただし、義務ではありません。興味が続いていれば、ですが」


 興味が続いていれば。


 その条件が、リリアーナには嬉しかった。


「見たいです」

「では、結果がまとまりましたらお知らせします」

「お願いします」


 エレナは少し迷った後、懐から一枚の書類を取り出した。


「もう一つ、ご相談があります」

「何でしょう」

「皇立植物園では、外部の学者や医師、農務官に、期限を定めて研究へ参加していただく制度があります」

「期限を定めて?」

「三か月、半年、一年など。正式な官職ではありません。研究協力員という立場です」


 リリアーナは、差し出された書類へ視線を落とした。


「私に、その研究協力員を?」

「すぐに決めていただく必要はありません」


 エレナは、先にそう言った。


「星霜の加護を使っていただくためではありません。記録を読み、疑問を挙げ、私たちとは違う視点を共有していただきたいのです」

「私の考えを」

「はい」

「でも、私は植物学を正式に学んだわけではありません」

「だからこそ見えるものもあります。もちろん、基礎から学ぶ時間も用意します」

「もし、途中で続けられないと思ったら?」

「辞めていただいて構いません」

「迷惑には」

「なりません」


 エレナは真剣な目で、リリアーナを見る。


「三か月だけ、試してみませんか」


 リリアーナの胸が高鳴った。


 仕事。


 その言葉には、重い記憶がある。


 国のため。

 王太子のため。

 公爵家のため。


 できるから、しなければならない。

 役に立てるから、休んではならない。


 けれど、今差し出されたものは違う。


 三か月だけ。

 興味があるなら。

 途中で辞めてもいい。


「今、決めなくていい」

 カイゼルが言う。

「はい」

「断ってもいい」

「はい」

「受けるなら、条件を自分で決めろ」

「条件を?」

「ああ。時間、日数、担当する範囲。君が無理をしないために必要なものを決めればいい」


 リリアーナは、書類を見つめた。


 すぐに受けると言いたい気持ちはある。

 だが、嬉しさだけで決めるのは少し違う。


 体調。

 学ぶ時間。

 皇都での暮らし。

 王国から届く報告。


 考えることは多い。


「今日、この書類を持ち帰ってもよいですか」

「もちろんです」

 エレナが答える。

「受けるかどうかだけでなく、どのような条件なら続けられるかを考えたいです」

「それが最もよいと思います」


 リリアーナは、書類を丁寧に受け取った。


「ありがとうございます」

「こちらこそ。あなたと一緒に研究できる日を、楽しみにしております」


 期待。


 その言葉を聞いても、以前のような恐怖だけは感じなかった。


 応えなければならないのではない。

 応えたいかどうかを、自分で選べる。


 帰りの馬車で、リリアーナは研究協力員の書類を膝の上へ置いていた。


 カイゼルは隣に座り、急かすことなく窓の外を見ている。


「カイゼル」

「何だ」

「受けたいと思っています」

「ああ」

「でも、怖くもあります」

「ああ」

「また、役に立つことばかり考えるようになってしまわないでしょうか」

「なるかもしれない」

「否定してくださらないのですね」

「君は長く、そう生きてきた。すぐには消えない」


 正直な答えだった。


「なら、どうすればよいでしょう」

「気づいた時に止まればいい」

「自分で?」

「ああ。難しければ、周りに言え」

「カイゼルにも?」

「ああ」

「止めてくださいますか」

「止める」


 その答えに、リリアーナは少し笑った。


「きっと、私は不満を言います」

「言えばいい」

「続きを読みたいと」

「明日読めと言う」

「もう少しだけ、とお願いしても?」

「断る」

「厳しいですね」

「君が倒れるよりいい」


 リリアーナは、膝の上の書類へ視線を落とした。


「週に二日から、始めたいです」

「ああ」

「午前中だけ」

「ああ」

「加護の使用は、研究内容に含めない」

「ああ」

「私が望んだ時でも、使う前にエレナ博士と相談します」

「ああ」

「体調が悪い日は休む」

「ああ」

「休んだ分を、別の日に無理に取り戻さない」

「ああ」


 一つずつ条件を口にする。


 誰かが決めた規則ではない。

 自分を守るために、自分で決める条件だった。


「それなら、できるかもしれません」

「そうか」

「三か月だけ、試してみたいです」

「ああ」


 カイゼルは、リリアーナの決断を大げさに褒めなかった。

 当然の選択として、そのまま受け止める。


 それが、今は心地よかった。


「明日、エレナ博士へ返事をします」

「ああ」

「私が決めた条件も、伝えます」

「ああ」


 リリアーナは窓の外を見る。


 皇都の街並みが流れていく。

 行きとは、少し違って見えた。


 この街で、自分が通いたい場所ができた。

 学びたいことができた。

 帰りたい部屋もある。


「カイゼル」

「何だ」

「私、皇国で仕事をしてみたいです」


 カイゼルは、静かに彼女を見る。


 王国へ恩を返すためでも、皇国に救われた借りを返すためでもない。


「私が、やってみたいからです」

「ああ」


 リリアーナは、研究協力員の書類を胸へ抱くことはしなかった。

 ただ、大切に膝の上へ置く。


「それでも、よいでしょうか」

「それがいい」


 短い答えだった。


 けれど、リリアーナが欲しかったのは許可ではない。

 自分で選んだことを、そのまま受け止めてもらうことだった。


 皇城へ戻った後、リリアーナは部屋の机へ向かった。


 研究協力員の申請書を開き、希望する条件を書き込む。


『期間 三か月』

『参加日 週二日』

『時間 午前のみ』

『星霜の加護の使用を研究義務に含めない』

『体調に応じて休止、中断を認める』

『研究上の最終責任は、植物園管理責任者および担当研究員が負う』


 最後の一文まで書き終え、リリアーナは羽根ペンを置いた。


 かつての彼女なら、条件をつけることを恥じただろう。期待されるなら、すべて受け入れるべきだと思った。


 だが、続けるためには、自分を守る必要がある。


 無理をしないことは、怠けることではない。

 好きなものを、嫌いになるまで使い潰さないための選択だ。


 リリアーナは、自分の名を記した。


『リリアーナ・エルフェルト』


 公爵令嬢として命じられた仕事ではない。

 王太子妃候補として背負わされた役目でもない。


 彼女が自分で選び、自分の条件で始める、最初の仕事だった。

お読みいただきありがとうございます。

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毎日19時半ごろ更新予定です。

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