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婚約破棄された悪役令嬢ですが、処刑台の上で敵国皇帝に求婚されました 〜私を捨てた王国は滅びかけていますが、もう知りません〜  作者: 碓氷さゆ


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第25話 悪役令嬢からの声明

 皇国の使者が王都へ入ったのは、翌日の昼前だった。

 黒狼の紋章が刻まれた馬車は、王都の大通りをまっすぐ王宮へ向かう。王国の民たちは道の端へ避けながら、その馬車を不安げに見つめていた。

 数日前まで、皇国は恐ろしい敵国だった。

 黒狼皇帝は冷酷で、国境を越えれば命すら奪われると噂されていた。

 だが今、王都の人々が恐れているのは、皇国そのものだけではなかった。

 なぜ皇国の使者が、堂々と王宮へ向かっているのか。

 なぜ王国は、それを止められないのか。

 そして、なぜ皇国皇帝は、悪役令嬢として処刑されかけた公爵令嬢をここまで守るのか。


 答えを知らない民たちは、小声で囁き合う。


「リリアーナ様は、本当に罪人だったのか?」

「でも、聖女様の儀式で瘴気が出たって」

「神殿が何か隠していたらしいぞ」

「財務局も、リリアーナ様の書類を探しているって聞いた」

「悪女なら、どうして国がこんなに騒ぐんだ」


 噂は、止まらない。

 王宮も神殿も口を閉ざしている。

 だが、沈黙は疑念を消さない。むしろ、人々の不安を膨らませていた。


 黒狼の馬車は王宮の正門で止まった。

 皇国の使者は、無駄のない動作で馬車を降りる。

 黒を基調とした礼装に、銀の飾り紐。腰には儀礼用の剣。表情は静かで、王国側の出迎えに過剰な礼も怯えも見せない。

 出迎えた王宮文官が、緊張した面持ちで頭を下げる。


「ヴァレンティス皇国使節殿。王宮へようこそ」

「皇帝陛下より、グランベルク王国国王陛下、宰相閣下、ならびに関係各位へ文書を預かっております」


 使者の声は、よく通った。

 王宮文官は喉を鳴らす。


「すぐに、宰相閣下へお取次ぎいたします」

「文書は、王宮、宰相府、エルフェルト公爵家、王国神殿へ同時に渡すよう命じられております」

「同時に、ですか」

「はい。改ざん、差し止め、隠蔽を防ぐためです」


 周囲にいた王宮の者たちが、わずかに息を呑んだ。

 あまりにも直接的な言葉だった。

 だが、誰も反論できない。

 この数日、王国はすでに皇国から信用される立場を失っていた。


 宰相エドガーは、執務室で皇国の文書を受け取った。

 封蝋には黒狼の紋章。

 さらにその下に、小さな星の印が押されている。

 エドガーは、その印を見て目を細めた。


「星霜の加護に関する文書か」

「はい。皇国使者によれば、リリアーナ・エルフェルト嬢本人の声明も含まれているとのことです」


 本人の声明。

 その言葉に、部屋の空気が変わった。

 同席していた法務官、財務官マルセル、そしてギルベルト・エルフェルトが一斉に顔を上げる。

 ギルベルトの手が、わずかに震えた。


「リリアーナが……」

「読み上げる」


 宰相は封を切った。

 まず出てきたのは、皇国側で整えられた正式文書だった。断罪事件の再調査要求、星霜の加護への干渉禁止、神殿術具に関する危険性の通達。どれも簡潔で、隙がない。

 そして、その下にもう一枚。

 外交文書として整えられる前の、リリアーナ本人の言葉を写した声明が添えられていた。

 宰相は、しばらくその紙面を見つめた。

 文字は美しかった。

 だが、王国にいた頃のように、誰かの体面を守るために整えられた文章ではない。

 まっすぐで、静かな強さがあった。


「……読む」


 宰相は、低く告げた。


『私は、ミリア・ロゼット様へ危害を加えておりません。階段からの突き落とし、毒入り菓子による殺害未遂、聖堂への不敬、王太子殿下への反逆、いずれの罪も認めません』


 部屋に沈黙が落ちた。

 ギルベルトは目を閉じる。

 処刑台の上でも、娘は同じことを言っていた。

 だが、あの時は誰も聞かなかった。

 父である自分さえ。


 宰相は続きを読んだ。


『私は、正式な再調査を求めます。証拠、証言、記録、関係者の行動を明らかにし、感情や噂ではなく事実に基づいて判断されることを望みます』


 法務官が、苦しげに息を吐いた。

 それは、裁きとして当然の要求だった。

 当然のことを求めた令嬢を、王国は断罪し、処刑台に立たせた。


『星霜の加護について、私はまだすべてを理解しているわけではありません。ですが、この力は王冠に属さず、祭壇に縛られず、宿り手の心に従うものだと、古い記録にあります』


 マルセルが顔を上げる。

 星霜の加護。

 リリアーナが王国を静かに支えていた可能性。

 それが、ついに本人の声明として語られている。


『ゆえに、私は宣言します。星霜の加護は、王国神殿の所有物ではありません。王家の命令によって使われるものでもありません。私の意思に反して、祭壇、術具、儀式に接続されることを拒みます』


 その一文に、宰相の眉が深く寄った。

 王国神殿がしようとしていたことを、リリアーナは知っている。

 皇国も知っている。

 もう隠せない。

 ギルベルトは拳を握りしめた。

 娘が、拒むと書いている。

 王国にいた頃、何度も何度も自分を押し殺してきた娘が。


『私は、グランベルク王国へ戻る意思はありません』


 その一文を読み上げた時、ギルベルトの肩がわずかに震えた。

 分かっていた。

 本人から聞いていた。

 それでも、文字になった言葉は重かった。

 リリアーナは戻らない。

 王国へも。

 エルフェルト家へも。

 少なくとも、今は。


『王国の民を憎んでいるわけではありません。苦しみを望んでいるわけでもありません。必要な知識や危険性について伝えることは、可能な範囲で協力いたします。ですが、私自身を王国へ差し出すことはいたしません』


 マルセルが小さく頭を下げた。

 誰に向けたものでもない。

 ただ、その一文に対してだった。

 リリアーナは、まだ民を思っている。

 自分を処刑台に送った王国に対してさえ、民を見捨てるとは言わない。

 だが、自分を差し出さないとも言っている。

 それは、彼女がようやく手にした境界線だった。


 宰相は、最後の部分へ目を落とした。


『私は、悪役令嬢として処刑台に立たされました。けれど、私の罪はまだ証明されていません。私の言葉は、まだ聞かれていません。だから今、私自身の言葉で申し上げます。私は、やっていない罪を認めません。私は、私の意思に反して使われることを拒みます。そして私は、私自身の未来を、自分で選びます』


 読み終えた瞬間、部屋は完全に静まり返った。

 誰も、すぐには言葉を発しなかった。

 王国が消したはずの声が、皇国の封蝋に守られて戻ってきた。

 悪役令嬢の言い訳としてではない。

 一人の人間の声明として。


 最初に口を開いたのは、ギルベルトだった。


「……私たちは、あの子にこれを処刑台で言わせたのだな」


 その声は、掠れていた。


「言わせた上で、聞かなかった」


 宰相は目を伏せる。

 法務官は顔を青ざめさせた。

 マルセルは、震える手でリリアーナの声明の写しを見つめていた。


「宰相閣下」


 ギルベルトは顔を上げた。


「再調査では足りません」

「エルフェルト公」

「この声明を受け取った以上、王国はまずリリアーナの処刑命令そのものを一時無効としなければならない。罪状の根拠が明らかになるまで、彼女を罪人として扱うべきではありません」

「……当然だ」


 宰相は深く頷いた。


「法務官。すぐに処刑命令の停止と、断罪裁定の再審手続きを進めろ」

「はっ」

「マルセル。リリアーナ嬢の政務記録を保全しろ。財務局にあるものも、王太子府にあるものも、神殿関連のものもだ」

「承知いたしました」

「エルフェルト公」

「はい」

「あなたには、娘の私室と私物の保全を正式に命じる。神殿にも王太子府にも渡すな」

「命じられずとも、そのつもりです」


 ギルベルトの声は静かだった。

 だが、その静けさには決意があった。


「今度こそ、守ります」


 王太子宮にも、同じ声明の写しが届けられた。

 アルヴィスは、机の上に置かれた黒狼の封蝋を見た瞬間、顔を歪めた。


「皇国からだと?」

「はい。リリアーナ・エルフェルト嬢の声明です」


 文官は怯えながら答える。

 アルヴィスはしばらく封書を見つめ、それから乱暴に封を切った。

 最初の一文を読んだ瞬間、胸がざわつく。


『私は、ミリア・ロゼット様へ危害を加えておりません』


「まだ言うのか」


 アルヴィスは呟いた。

 だが、声に以前ほどの力はなかった。

 読み進める。


『私は、正式な再調査を求めます』


 あの夜も、彼女はそう言っていた。

 舞踏会の場で。

 大勢の貴族の前で。

 リリアーナは証拠を求めた。

 正式な調査を求めた。

 それをアルヴィスは、見苦しいと言った。

 悪女の言い逃れだと決めつけた。


『感情や噂ではなく事実に基づいて判断されることを望みます』


 感情。

 噂。

 アルヴィスの手が震えた。

 自分が何を根拠に断罪したのか、改めて考えようとすると、頭が痛む。

 ミリアが泣いていた。

 侍女が証言した。

 神殿がリリアーナの不敬を訴えた。

 それだけだ。

 リリアーナ本人の反論は、聞かなかった。

 聞く必要がないと思った。

 なぜなら、ミリアが傷ついていたから。

 自分が守るべき少女が、泣いていたから。


「……違う」


 アルヴィスは低く言った。

 誰に向けてか、自分でも分からない。


「私は、間違っていない」


 続きに目を落とす。


『私は、グランベルク王国へ戻る意思はありません』


 その一文で、胸の奥が強く軋んだ。

 戻らない。

 リリアーナが。

 王国に。

 自分のもとに。


 なぜ、そこで痛むのか分からなかった。

 リリアーナとの婚約は破棄した。

 ミリアを選んだ。

 彼女を悪女と断じた。

 それなのに、戻らないと突きつけられると、なぜこんなにも不快で、息苦しいのか。


『私は、私自身の未来を、自分で選びます』


 アルヴィスは、紙を握りしめた。

 リリアーナが選ぶ。

 誰を。

 何を。

 皇国を。

 カイゼルを。

 自分ではなく。


「ふざけるな」


 声が漏れた。

 だが、その声には怒りだけではなく、焦りが混じっていた。

 リリアーナは、いつも自分の隣にいるものだと思っていた。

 冷たくても、可愛げがなくても、公爵令嬢として、王太子妃候補として、そこにいるものだと。

 自分が選ばなくても。

 自分が愛さなくても。

 自分がミリアを庇っても。

 リリアーナは、王国のために残るものだと。


 その前提が、崩れていく。


「殿下」


 側近ルーカスが控えめに声をかけた。


「宰相府より、断罪裁定の再審に関する聞き取りが」

「黙れ」

「ですが」

「黙れと言っている!」


 アルヴィスは声を荒げた。

 ルーカスは口を閉ざす。

 だが、その顔には以前のような絶対的な忠誠はなかった。

 不安。

 疑念。

 それを見て、アルヴィスの怒りはさらに膨らむ。


「誰も彼も、リリアーナ、リリアーナと……」


 彼は握りしめた声明を机に叩きつけた。


「あの女は、もう王国の者ではない!」


 言った瞬間、自分の言葉が胸に刺さった。

 もう王国の者ではない。

 その通りだ。

 リリアーナは、自分の言葉でそう宣言した。


 そしてそれを、アルヴィスは止められない。


 王国神殿では、声明の写しを前に、神官長が顔を怒りに歪めていた。

 祭具室には、神殿上層部の神官たちが集まっている。

 白い法衣をまとった者たちの顔には、焦燥と苛立ちが浮かんでいた。


「皇国が、神殿にまで文書を送ってくるとは」

「しかも、加護への干渉を敵対行為とみなすなど」

「星霜の加護は本来、王国の土地を守る力ではないのか」

「ならば王国神殿が管理して当然だ」


 神官たちが口々に言う。

 だが、神官長は声明の一文から目を離せなかった。


『星霜の加護は、王国神殿の所有物ではありません』


 はっきりと書かれている。

 リリアーナ本人の言葉で。

 神殿の権威を、真正面から拒絶している。

 これが民衆に広がれば、神殿は大きく揺らぐ。

 聖女ミリアの認定式は失敗した。

 その上、リリアーナの星霜の加護が本物だと知られれば、王国の信仰構造そのものが崩れかねない。


「認めるわけにはいかぬ」


 神官長は低く言った。


「リリアーナ・エルフェルトは、皇国に囚われている。声明は皇国の圧力によって書かされたものだ。そう発表する」

「しかし、皇国印が」

「だからこそだ。皇国が彼女を利用していると訴えればよい」

「星霜の記録については」

「神殿の管理下にある古文書だ。外部へ漏れたものは偽書とする」


 その場の何人かが、わずかに顔を強張らせた。

 無理がある。

 そう感じたのだろう。

 だが、誰も神官長へ強く反論できない。


 その時、祭具室の奥で音がした。

 ぎしり、と古い木が軋むような音。

 全員が振り返る。

 封じたはずの記録書が、また開いていた。

 白い光が、ページの隙間から漏れている。


「またか……!」


 神官長が苛立たしげに歩み寄る。

 開かれたページには、昨夜とは別の一文が浮かんでいた。


『偽りを重ねる祭壇は、自らの影に呑まれる』


 神官たちの一人が、青ざめて後ずさる。


「猊下、これは警告では」

「黙れ!」


 神官長は記録書を閉じようと手を伸ばした。

 だが、触れた瞬間、白い光に弾かれる。

 指先に焼けるような痛みが走った。


「ぐっ……」

「猊下!」


 神官たちが駆け寄る。

 神官長は痛む手を押さえながら、記録書を睨んだ。

 まるで、書物そのものが神殿を拒んでいるようだった。

 リリアーナが遠く皇国で自分の意思を示したことで、封じられていた記録まで目を覚ましたのか。


「……ならば、なおさら急がねばならぬ」


 神官長は、痛みに歪む顔で呟いた。


「星霜の加護を、完全に皇国へ奪われる前に」


 その声には、信仰ではなく執着があった。


 エルフェルト公爵邸では、ギルベルトがリリアーナの声明を何度も読み返していた。

 夜の執務室。

 机の上には、娘の帳面と、皇国から届いた声明。

 その二つが並んでいる。

 政務資料としてのリリアーナ。

 そして、自分の言葉を取り戻し始めたリリアーナ。

 どちらも娘だ。

 だが自分は、前者しか見ていなかった。

 役に立つ娘。

 誇れる娘。

 王太子妃候補として恥ずかしくない娘。

 公爵家のために耐えられる娘。

 その奥で泣きたかった少女を、見ようとしなかった。


『私は、私自身の未来を、自分で選びます』


 ギルベルトはその一文を指でなぞった。

 幼い頃のリリアーナを思い出す。

 転んでも泣かなかった娘。

 褒められれば静かに礼を言い、叱られれば背筋を伸ばした娘。

 その姿を、強いと思っていた。

 誇らしいと思っていた。

 けれど本当は、泣けない子にしてしまったのかもしれない。


「旦那様」


 執事が入ってくる。


「王宮より、明日の再調査委員会への出席要請が届いております」

「分かった」

「神殿からも、先ほど使者が」

「内容は」

「リリアーナ様の声明は皇国の圧力による可能性があるため、エルフェルト公爵家として神殿側の調査に協力するように、と」

「断る」


 即答だった。

 執事は深く頭を下げる。


「承知いたしました」

「いや、待て」


 ギルベルトは羽根ペンを取った。


「断るだけでは足りない。こちらから返書を出す」


 彼は紙を広げ、迷いなく書き始めた。


『エルフェルト公爵家は、リリアーナ・エルフェルト本人の声明を正式な意思表示として受け取った。神殿による私物、記録、加護への干渉を一切認めない』


 書きながら、胸が痛む。

 これを、もっと早く言うべきだった。

 娘が断罪された夜に。

 娘が無実を訴えた時に。

 処刑台に立つ前に。


 それでも、遅くてもやらなければならない。


『また、リリアーナ・エルフェルトにかけられた罪状について、エルフェルト公爵家は正式な再調査を要求する。証拠の保全、関係者の尋問、神殿記録の開示を求める』


 ギルベルトは最後に署名した。

 エルフェルト公爵家当主として。

 そして、ようやく父として。


「届けろ」

「はい」


 執事が書状を受け取り、下がる。

 ギルベルトは、もう一度リリアーナの声明を見た。


「リリアーナ」


 小さく名を呼ぶ。


「お前の言葉は、届いた」


 それが許しを意味しないことは分かっている。

 娘は戻らない。

 すぐに父娘に戻れるわけでもない。

 だが、それでも。


「今度は、私が聞く」


 部屋の灯りが静かに揺れた。


 皇国の国境砦では、声明を送った後のリリアーナが少し疲れて眠っていた。

 クララがそばで刺繍をしながら見守り、オルガが静かに部屋の状態を整えている。

 カイゼルは扉の外で、王国からの第一報を受け取っていた。


「声明は宰相府、王太子宮、神殿、エルフェルト公爵家へ届きました」


 ラウルが報告する。


「宰相府は再調査を本格化。エルフェルト公爵は神殿の協力要請を拒否し、リリアーナ様の声明を正式な意思表示として受け取ると返書を出したようです」

「そうか」


 カイゼルの声は短い。

 だが、ラウルは彼の目元がわずかに和らいだことに気づいた。


「王太子殿下は荒れているようですね」

「だろうな」

「神殿は、リリアーナ様の声明を皇国の圧力によるものと主張する準備をしているようです」

「予想通りだ」

「どうします?」

「神殿がそう出るなら、次はリリアーナ本人の筆跡と、皇国魔術師による加護記録、神殿の古文書写しを提示する」


 カイゼルの声は冷静だった。


「嘘を重ねるなら、重ねた分だけ逃げ道を塞ぐ」

「怖いですねえ」

「当然だ」


 ラウルは肩をすくめる。

 そこで、部屋の中から小さな声が聞こえた。


「……陛下?」


 リリアーナの声だった。

 カイゼルはすぐに扉へ向き直る。

 ラウルが小さく笑った。


「行ってあげてください。報告はあとでもできます」

「ああ」


 カイゼルは部屋へ入った。

 リリアーナは寝台の上で目を覚ましていた。

 少しぼんやりしているが、顔色は悪くない。

 クララがほっとしている。


「起きたか」

「はい。何か、報告がありましたか」

「ああ。君の声明は届いた」

「……そうですか」


 リリアーナは胸元に手を置いた。

 緊張したように、けれどどこか安心したように。


「読まれたのですね」

「ああ」

「怖いです」

「そうだろうな」

「でも、後悔はしていません」


 その言葉を聞いて、カイゼルの瞳が柔らかくなる。


「それでいい」


 リリアーナは小さく笑った。


「父上は」

「君の声明を正式な意思表示として受け取った。神殿の干渉を拒否する返書も出している」

「……父上が」


 リリアーナの目が揺れた。

 嬉しいのか、痛いのか、自分でも分からないような表情だった。

 カイゼルは何も急かさない。

 リリアーナはしばらく黙ってから、小さく言った。


「少し、ほっとしました」

「ああ」

「でも、まだ許せるわけではありません」

「それでいい」

「はい」


 彼女は、そう答えた。

 以前なら、父が動いてくれたと聞けば、自分が歩み寄らなければいけないと思ったかもしれない。

 謝罪を受け取らなければ。

 許さなければ。

 娘として応えなければ。

 でも今は違う。

 ほっとした。

 けれど、まだ許せない。

 その両方があっていいのだと、少しずつ思えるようになっていた。


「陛下」

「何だ」

「私は、少しわがままになっているのでしょうか」

「それはわがままではない」

「では、何でしょう」

「回復だ」


 リリアーナは目を瞬かせた。

 回復。

 その言葉は、胸に静かに落ちた。


「……回復」

「ああ。君は、当然持っているはずのものを取り戻しているだけだ」

「当然持っているはずのもの」

「拒む権利。怒る権利。許さない権利。選ぶ権利」


 リリアーナの喉が震えた。

 そんなものが自分にもあると、まだ完全には信じきれない。

 けれど、カイゼルが当然のように言うから、少しだけ信じてもいい気がした。


「ありがとうございます」

「ああ」


 短いやり取り。

 けれど、リリアーナには十分だった。

 窓の外では、夕暮れがゆっくりと夜へ変わっていく。

 星飾りが淡く光る。

 その光は、もう誰かに見つけられることを恐れて隠れる光ではなかった。

 自分の意思で灯り始めた、小さな星だった。

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